2012年10月14日 (日)
多言語の社会
リージョンコード DVDからブルーレイに映像のパッケージメディアが変わった際に、私が最初に期待したことは「リージョンコードの廃止」でした。 DVDでは日本と北米で別のコードが振られていたために、アメリカに旅行へ行った際に買ってきたDVDを観るにはわざわざ専用のプレーヤを用意する必要があったのです(マルチリージョンに対応したプレーヤも、入手可能でしたが)。 結局ブルーレイでも世界を3分割したリージョンコードが設定されてしまいましたが、北米と日本が同じコードになったために、DVDの時代よりは劇的に改善されたといえるでしょう。 すでに何度も観ている映画や、音楽のライブ映像などでは、字幕や吹き替えなしでも十分に楽しめます。オペラでも字幕はあるに越したことはないものの、代表的な作品であればストーリーなどは頭に入っていますし、対訳本などもあるのでこれも必須ではありません。 最近では、むしろ世界中で同じソフトを販売したほうが得策と判断したのか、リージョンフリーのソフトが増えているのもありがたいことです。 ちょうどこの原稿を書きながらかけているのは、ドイツのAmazonから購入した映画のブルーレイですが、パッケージにはリージョンコードの記載はなく、日本国内向けのプレーヤで問題なく再生できています。 音声5種類、字幕13種類 さて、基本的にはドイツ市場向けのこのブルーレイディスクですが、音声は「英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語」の5種類が収録されています。 そして字幕にいたっては驚くなかれ13種類。上記の5つの言語に加えて聴覚障害向けの英語字幕と、「オランダ語、デンマーク語、フィンランド語、スウェーデン語、ノルウェー語、クロアチア語、アラビア語」が収録されています。今私は英語音声(オリジナルの音声)、ドイツ語字幕で再生していますが、フィンランド語への切り替えも簡単。「I am Borg.」というセリフで「Minä olen Borg.」と表示されました(これで何の映画だか、わかった人も少数いるはず...ただ「Olen Borg.」でも十分なんでは?)。 日本で流通しているソフトの場合、ほとんどがせいぜい日本語と英語の2種類の音声と字幕に限られ、国産のソフトの場合だとそもそも日本語音声以外に対応していないのとは、ずいぶんな違いです。 この映画が特殊なのではありません。 もともとDVD自体も複数の音声と字幕に対応しており、フィンランドで買ってきたソフトは「英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語」の音声と、「フィンランド語、スウェーデン語、ノルウェー語、英語、アイスランド語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、オランダ語」の字幕に対応していると表記されています。 ヨーロッパの市場で映像ソフトを売るのであれば、当然すべての市場を一つの製品でカバーしようとするのは当然のことです。理想をいえば域内のすべての言語に対応するのが望ましいのでしょうが、コストとの兼ね合いで10言語前後を選んでいる、という形なのだと思います。 多言語対応は商売上の理由によるものなのでしょうが、結果として、ヨーロッパ市場に向けた映像ソフトは、言語学習の素材としても手軽で有益なものになっています。 日本で販売されているソフトが日本人だけを対象としているのは、それでも十分に販売できるほど市場が大きいことの表れでもあるでしょう。 けれど、せっかく複数の言語を切り替えられる環境があるのに、活かされていないのはもったいないようにも感じられます。日本国内向けソフトにヨーロッパの10言語は不要でも、たとえば中国語と韓国語くらいには対応させても、問題ないばかりかメリットも大きいのではないでしょうか。 多言語を前提とした社会 今でも日本は日本語だけが使われることが前提の社会といってよいでしょう。 たしかに駅の表示は英語だけでなく中国語や韓国語が目立つようになってきていますし、英語のメニューが用意されているレストラン、英語での接客ができる旅館なども増えています。 けれど、私たちは普段の生活で日本語が通じなくて苦労する、という可能性を考慮する必要は全くありません。 異なる言語を母語とする人々が混在し、複数の言葉を操るのが当たり前になっているヨーロッパなどとは大きな違いがあります。 どちらの社会が良いとか優れているとかいった議論には興味はありませんが、外国語を使えるようになりたい、と思った時、ヨーロッパの現状がうらやましいと感じることはあります。 多言語といっても、経済的な利害を優先すれば英語やドイツ語などの言語が優位なのは間違いなく、それ以外の言語が衰退に向かう危険性もはらんでいます。言葉の衰退は、独自の文化の衰退につながってしまいかねません。 こうした負の影響への対策としても、10以上の字幕を記録した映像ソフトは有益なのかも。 |
2012年10月28日 (日)
教室とは違う
居酒屋にて 普段あまり居酒屋には行きません。 居酒屋に行かない、というよりは、多人数で飲みに行くことがあまりない、というのが正しくて、会社の宴会なども苦手なほうです。 ひとつは、それほど話題豊富なほうでもないので、だいたいは途中で会話に困ること、もうひとつはタバコの煙が苦手だということ。後者に関しては、自分のグループ内に問題がなくても、周囲の環境まではコントロールできませんから。 昨夜は久しぶりに居酒屋で食事をしたのですが、さすが土曜の夜というべきか、かなり広い店はほぼ満席で、周囲の話し声や笑い声がかなりの大きさで聞こえてきます。 半個室といえど、天井近くは開いているので、話し声だけでなくタバコの煙も容赦なく流れ入ってくるので、決して快適な環境とはいえませんでしたが、早めに完全個室や禁煙のお店を確保できなかったのでしかたありません。 それでも、広いフロアにテーブルが並んでいるのとは違い、それほど大声を上げなくても会話はできるので、半個室の効果はあります。 さすがは母語だな、と思うのは、こんな環境でもちゃんとお互いの話す内容が理解できて、会話が成り立つところです。たとえ半分程度しか聞き取れなくても、おおむね内容は通じます。 船上レストランにて さて、これが外国語となると、かなり勝手が違ってきます。 今年の夏休みにはクルーズ船に乗りましたが、この船のレストラン、少々BGMの音量が大きすぎました。隣にいる妻と話すのも、ちょっと声の大きさに気を遣わねばならないほど。 こうした環境だと、私の中途半端な英語力では途端に会話を成り立たせるのが困難になってしまいます。 そもそも、英会話教室などで最初に実感するのは、日本語を話す時と英語を話す時では、呼吸法や発声法から見直さなければならないほどベースとなる声の大きさを変えなればならないことです。 ようするに喉と口だけで発声してもとくに問題なく会話ができる日本語と違って、アクセントをきちんとコントロールせねばならない英語ではきちんとおなかから声を出す必要があります。英会話教室で1時間喋ると、ぐったりと疲れてしまうことも少なくありません。 もしかすると、船上レストランでのBGMは、腹から声を出して(私の感覚では)大声で話す前提で音量設定されていたのかもしれません。 まあ、英語圏でのレストランがどこも無遠慮な大きさのBGMをかけているわけではないので、たまたまこの船だけの事情なんでしょうけどね。でも、どう勘ぐってしまうほどの、外国人泣かせの環境だったわけです。 教室とは違った環境で 英会話教室(英語に限らず他の言語でも)では、当然比較的静かな場所で、しかも注意深くこちらの話を聞いてくれる相手との会話を練習することになります。 けれど、パーティだけでなく普段の会話というのは、周囲の環境音の影響を受けるのが当然ですし、目の前の相手ががんばってこちらの話を聞き取ろうとしてくれるわけではありません。外国人だからと、話すスピードや区切りに気を遣ってくれる相手も、私の経験上は少数です(たぶん、相手は気を遣っていても、私の英語力がさらに低い)。 教室ではそれなりに力がついたつもりなのに、実際に使って観ようとすると全然聞き取れない、通じない、というのは、この会話の環境が大きく影響しているように思えます。 こればかりは、実践の中から慣れていくしかないのかもしれませんが、教室ではなく、カフェなどの街中での会話レッスンならば、多少は効果があるかもしれません。 |
カテゴリー:旅行で外国語
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