2010年7月10日 (土)
すっかり遅くなってしまいました主婦からの転身シリーズ、つづきです。前回はディクテーションをしていたら不思議なことが起こったというお話でとまっていましたね。
正解のないディクテーションをしていても意味があるの? -- はい、あります!
皆さんは、正解がないディクテーションをしていても意味があるのだろうか?という疑問をお持ちですよね。
意味があるんですよ。
続けていると「耳が開くのです」
不思議な体験とは、今まで聴き取れなかった音が聴こえてくるようになるのです。お経にしか聞こえてこなかった英語という塊の音が、ひとつひとつ分割して聞こえてくる。こんな現象が起きるのは、もちろんディクテーションを始めてからかなりたってからですが......。
「かなりってどのくらいよ」、という声も聞こえてきそうですね。そうですねえ~、1年くらいたってからでしょうか?
短い文章を毎日つづける
「1年もディクテーションなんて続けられないよ」 -- そうでしょうか?それはある程度の塊をやろうと思っているからではないですか?ディクテーションは何もたくさんの量をこなす必要はありません。ほんの2行、3行でもかまわないのです。ただし、毎日続けることが大切です。ディクテーションをあなたの英語学習の一部にするのです。
ディクテーションは文法の強化にもなります。例えば、
I play tennis yesterday.
音としては上記のようにしか聞こえてこないのです。ところが、後ろに yesterday が入っているということは、動詞の play は played であるべきだと書き取りながら思うのです。そう思って聴き直してみると、なるほど、d の音がかすかに聴こえてくる。
小さな喜びをみつけ、完璧を求めない
こんなことの繰り返しなのです。そして、聴き取れたときは、よし!とガッツポーズをします。このガッツポーズも大事ですからね。この部分スキップしないでくださいね。自分の学習の中で小さな喜びをたくさん作っていくのです。小さな満足をいつも自分の中に見つけていく、これ、学習を楽しく長続きさせる秘訣です。
そして、このブログに「今まで聴こえなかった音が聴き取れましたああ!!」って報告してくださいよ。
私は正解がどこにも載っていないディクテーションを毎日続けていたわけですが、不思議なことに、1年もすると、自分の興味のある話題は内容が聞き取れて、自分が興味のない話題はちっとも聞き取れないんだということもわかってきました。穴ぼこだらけだったディクテーションノートも、何となく埋まってきていました。
完璧を求めずに、7割程度わかったら次に進んでしまう、というのもポイントです。4割しかわからないときは、思い切って捨ててしまい、次の題材に移ってしまいましょう。
私が今やっているディクテーションは、『ラジオ英会話』の遠山顕先生とネイティヴスピーカーたちとのおしゃべり部分、『実践ビジネス英語』のクリス松下さんの解説部分や、スーザン岩本さんと杉田敏先生のおしゃべり部分などです。ディクテーション仲間に助けられながら、もう10年以上続いています。
繰り返し聴くと耳が開く
実は、昨日、PHP研究所の方が取材に来てくださり、いろいろディクテーションの話をしていましたら、フォトグラファーの方が、「分野は違うのですが、耳が開くという現象、僕も体験したことがあります。」というんですね。彼はミュージッシャンでもあり、音楽を良く聴くんだそうです。キーボードをやる彼は、音楽の中のキーボードの音に耳を傾けます。何度も何度も同じ曲と繰り返し聴いていると、今まで聞こえてこなかった背景にあるキーボードの音が聞こえてくるようになった瞬間があると。分野は違っても同じ音声を何度も繰り返し聴く、という行為は同じです。「耳が開く」瞬間、あなたも体験してみませんか?
では、不思議な現象が起きるまでの総まとめです。
・ 同じセンテンスを何度も何度も聴く。
・ 正解がなくても気にしない。わからないときは思い切ってあきらめる。
・ 一旦音声を聴くのをやめ、数時間後、あるいは、翌日に聴くと、あら不思議、きのうは聞こえなかった音がいとも簡単に聴き取れることがある。(そんなときはガッツポーズ!)
・ 毎日、違った題材を続けていると、春にはわからなかった英語が次の春が来る頃には何となく内容が聞き取れるようになっている自分に気づく。
結局、英語学習は長く続けた人が微笑むのですね。
(転身シリーズはまだつづきますよ)

2010年6月20日 (日)
さて、私の学習法のお話に戻りましょう。
今回はディクテーションのお話です。
公民館で英語の勉強を続け、仲間とNHK「ラジオ英会話」のテキストを使い学習を続けていた私。使っていたのは、この一冊だけです。テキストのありとあらゆるところに書き込みをし、1ヵ月が終わる頃には真っ黒でボロボロになるテキスト。
当時、「ラジオ英会話」の講師は大杉正明先生でした。番組が始まるとスキットに入る前に、1分間くらいのネイティヴのおしゃべりが入るのですが、これがチンプンカンプンでして、何を言っているのだかちっともわからないのです。
そこで、次のことを確かめてみたくなりました。私はいったいどのくらい英語がわかっているのだろうか?どのくらいの単語を知っているのだろうか?それを知るために、聞こえてきた音を書き出す作業を始めてみたのです。それがディクテーションということとは知らずに、ただ単純にシラシ広告の裏側に知っている単語をメモする程度のことから始めてみました。
この作業を始めてすぐに気が付いたこと、それは、今まで自分がいかにいい加減に英語を聞き流していたかということです。何となくふんふんとわかるつもりになっていた英語もいざ書き出してみると書けない書けない。
知らない単語はカタカナで記入しておき、あとで辞書をひっくり返すということを繰り返します。聞き取れないときは、単語ひとつでも音声を止め書き出す。また次のひとつの単語を書き出す、なんてことを繰り返していました。
わずか1分程度の会話を書き出すのに1時間かかっていました。それでも出来上がったノートはボロボロの穴ぼこだらけ。何を話しているのだかちっともわからない。それでもおかまいなしに、これは単語の書き取り練習よ、くらいの気持ちで続けていました。
続けていると、いやあ、不思議なことが起こるのですね。
(つづく)

2010年5月17日 (月)
おまちかね、主婦からの転身シリーズ復活です。最近、よく人から声をかけられます。ブログを読みに行くんですけれど、新記事がアップされていないときはガッカリです。特に「主婦からの転身」シリーズは楽しみにしていますと。楽しみにしていた皆さん、ごめんなさい。最後の転身シリーズを書いてからもう一ヶ月以上もたってしまいました。
前回は、やっとのことでメモを見ないでも英語が何とか話せるようになってきたというところで終わっていましたね。
相変わらず、NHKのラジオ講座と週に一度の公民館での英語サークルの集まりで学習している私。自分の先生にハロ~は言えるようになったけれど、他の外国人を見ると固まってしまう。ちっとも進歩は感じられないけれど、英会話のサークルに行くのは苦ではなくなりました。
何となく自分の居場所が確保できた感じです。最初は私ひとりだけガクーンとレベルが下でみんなの話していることがちっともわからず居心地の悪かった私。それでもめげずに通った自分を褒めることにしましょう。
専業主婦である私にとっては、○○ちゃんのお母さんや○○さんの奥さんと呼ばれることのない世界はとても新鮮でした。普段なら触れ合うことのないような年代の人たち、違った職業の人たちと英語を通して出会い、話し合えることは非常に有意義であり貴重な体験となっていたのです。私の大事な世界が生まれました。
でも英語は相変わらずちっとも進歩しません。自分の言いたいことも伝えられません。ただ、英語の真似事をして英語の響きを楽しんでいました。
実は、今現在、やり直し英語を始めて18年たちますが、いまもって自分の言いたいことをすべて伝えることはできません。間違いもたくさんします。ですから、あの当時、英語を数年やったところで、「ちっとも話せるようにならないじゃない」と思うのはごくごく当然のことだったと、今になって気づきます。
だからもし、今あなたが英語を始めて4年も5年もたつのに、ちっとも話せるようになっていない、どこかやり方が悪いのだろうか?と悩んでいたとしたら、私はこう声をかけてあげたいです。
You are right on the track. Just keep going.
(あなたのやっていることは正しいのです。そのまま続けましょう。)
英語の進歩は坂道カーブを描きません。 階段状です。時には長い、長ぁ~~~い踊り場を歩かなくてはなりません。先が見えずに嫌になってしまうこともあります。でも次のステップはすぐそこに来ているのです。だから諦めたらいけないのです。

2010年4月 6日 (火)
しばらくお休みしてしまいました。ごめんなさいね。
過去のお話をお読みになりたい方は こちら へどうぞ
さて、前回のお話は、公民館での英語のクラス、なかなか英語を口から出さない私に対して講師がいじめともとれるほどつっついて来る。それに対して、ついに私も堪忍袋の緒が切れた! というところまででした。
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何がきっかけてそう思ったのかは忘れましたが......、もうイヤ!こんなに、からかわれて、笑われて、面白がられて、バカにされて、もうたまんない!
ある日、そうだ!面とは向かっては文句は言いにくいけれど、電話なら言えるかもしれない。そう考えた私は、こそくな手段に出ました。まず紙に私の言いたいことを書き出しました。そして、先生が絶対に留守であろう時間帯を狙い、留守電にメッセージを残す、という作戦に出たのです。
これで先生が怒ったらいいや、そのときは辞めてやれ。そんな気分でした。
「スローかもしれませんが、毎日努力はしています。"話さない"んじゃなくて、"話せない"んです。良い講師ならじっくり待つのも仕事なんじゃないですか?」
英語でどう言ったかは忘れましたが、とにかくその当時で知っている英語を全部使って訴えました。言い終わったら、電話をガチャン!と切って、ふーっ!と溜め息をつく私。
夕方、その先生から電話がかかってきました。先生は神妙に
「悪かった。君が努力しているのは知っている。そんな君を助けたくて、いつもいつも声をかけた。悪気はなかったんだ。申し訳ない。でも何とか君を英語が話せるようにしてあげたいんだ。」
そんなようなことを言っていました。妙なもので、この電話事件がきっかけになり、この先生は私にかなりの信頼を置いてくれるようになりました。
おかしなものですね。日本人同士だったらこんなことを言ったあとは、喧嘩になるか気まずくなるでしょうに、アメリカ人に対しては自分の意見をはっきりと述べたほうが気に入られるんだとわかったのがこの時でした。
日本での生活で何かわからないことがあると、教えて欲しいと電話してきます。私は調べてあげ、できる限りを伝えるようになりました。
そんなことを繰り返しているうちに、ある時、私はあることに気づきます。
毎回、毎回、この先生の質問に答えるために電話をするとき、私は自分の言いたいことを紙に書いていました。そして、それを読み上げて伝えるのです。ある時もいつものようにメモをして先生に必要なことを伝え電話を切りました。
あれっ!私、今、このメモ、一度もみていなかった。
そう気づいた日があったのでした。
(つづく)

2010年3月 3日 (水)
アメリカ人の先生の前で短編集をスラスラと話して気持ちの良い思いをした私でしたが、それも一瞬でした。覚えたストーリーはスラスラ話せても、突然質問を振られると、聞き取るのが精一杯。仮に質問の意味がわかったところで、今度は答えかたを知らない、ということが続きました。
先生のいじめとでもとれるような、からかいも相変わらず続いていました。私に意地悪な問題をふって、答えられずに青くなったり白くなったりする私を見て楽しんでいるようにも感じました。おどおどして何も文句が言えないから調子に乗っているのでしょうか?
いつも 「何か話せ、話せ」 と私の繊細な気持ちをグイグイと押し、「なんで話さない!?」 と執拗に迫り、「ダメだなあ。何でもいいから話せよ。」 「スローだなあ」 「カッコつけるなよ」 というような意味であろうことを話してきます。
リーダーのおひげのおじさんにも相談してみましたが、「あんたのことをちょっとからかっているだけだよ。あっはっは!」 と真剣には取り上げてくれません。
今日こそは先生に文句を言ってやる、と決心して出掛けて行くものの、結局何も言えず帰ってくることがしばらく続きました。
「これだけ話をふっているのに、さなえは何で話さないだ?」 と先生はイライラ気味。
ある日私の堪忍袋の尾が切れました。
(つづく)

2010年2月23日 (火)
さあ、それから私は何をしたかというと、本屋へ走りました。本についているテープを購入するためです。だって、単語の意味を調べたところで、発音の仕方がわからないんですよ。当時は音声付きの電子辞書なんてありませんでしたし、発音記号をみたところでどうやって発音するのかは謎でした。
その頃の英語のテープは非常に高額で、確か5,000円くらいしたかと記憶しています。私にとってはとても痛いお金だったのですが、思い切って購入し、家に帰ってさっそく聴き始めました。わからない単語の意味調べをし、内容が理解できたところで音声を聞き、真似して口から出す。口から出しながら、内容のチェック。意味がわかったら、また音声の真似をしてみる。
この繰り返しを毎日しました。テキストの中には、書かれている内容に関する問題もありましたので、そこを読んで問題に答えるということもしました。これだけの内容が、あそこのサークルの人たちはすぐにその場で理解できて意見まで述べられてしまう、本当にすごい人たちだと感心し、恐れおののきながらの勉強でした。
ちょうどそのときは、祭日か何かと重なって、次に公民館の英語レッスンに行くまでは2週間時間がありました。毎日、びっしりとこの作業を繰り返しました。もう、こうなったら意地だったのです。
さて、公民館の英語サークルの日がやってきました。
当日、教室に入ってきた先生は、例のニヤケ顔で
「さなえ、今日、どこのページをやるか教えて欲しい?」
と聞いてきます。また先生のさなえいびりが始まったと、周りでは笑いが起こります。いつもならオドオドドキドキする私ですが、その日は違っていました。
「どこを出してくださっても結構です。全部読んできましたから。」
と、涼しげな顔で答える私。ちょっとびっくりする先生とサークルのメンバー。先生は、ほー、それは興味深いね、というような表情をすると、「じゃ、今日はここのページね、さなえ、読んでみて」 ときました。
私はここぞとばかりにページに書いてあることを話し始めます。テキストを見ずに話し出したのです。実は、2週間、びっしりと何度も何度も、これでもかというくらいテープを聴いて、真似して口から出す、という作業を繰り返したので、最初のひと単語が出たら、あとは音声が脳の中でリピートを始めたのです。不思議な感覚でした。本を読んでいるのではなく、脳の中で聴こえてくる音声をそのまま口に出している、とでもいうのでしょうか?話すスピードも声の上がり下がりもポーズの置き方も、そっくりテープのままになっていたはずです。
短編をテキストを見ずに言い出した私をみた先生の顔ったら、まるで鳩が豆鉄砲をくらったかのような顔とは、まさしくあの顔のことをいうのでしょう。
ストーリーを終えると、クラスの中では拍手が沸き起こりました。
気持ちがよかったですねえ。
ここでの体験が今の英語の学習法、指導方へとつながっています。
- 徹底的に音声を聴く。
- 聴いたら真似して口から出す。
- 英語の勉強は集中して。
- 英会話スクールでの1時間よりも、そこに行くまでの1週間のほう大切.。
といったことです。そして、その時、私は気づきました。
私でもやればできるじゃない!
(つづく)

2010年2月22日 (月)
皆さん、励ましの言葉をありがとうございます。現在の話と過去の話とをおりまぜながら綴っている 「主婦からの転身」 シリーズ、読みにきてくださってありがとうございます。
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さて、過去の話に戻りますよ。公民館での英語奮闘です。
その当時、公民館の英会話サークルでは、英語でのおしゃべりが中心でしたが、小さな薄いテキストを使うこともありました。アニクドーツという短編小説集のようなものです。
Advanced Anecdotes in American English
この本、短いお話が入っていて、しかも最後に必ずオチがあるというなかなかおもしろい本なのですが、当時の私にはチンプンカンプン。ところが私以外のメンバーの皆さんは、その場で読んでその場で内容を理解し、コメントを述べてしまうというつわものばかり。ある日誰かが
「この本を最初から順番にやっていってもつまらないから、当日、先生がパッとページを開き、出たところのストーリーをやりません?」
と提案しました。つまり、その日にどのストーリーをやるかは出たとこ勝負、どのくらい内容が理解できるかも楽しみのひとつ。出された話題について英語で楽しみましょう、という主旨なのです。みんなは、そうだ、そうだと賛成しました。
でも、私はそれでは困ったのです。私には何が書いてあるのかさっぱりわかりません。私は恐る恐る手をあげ、そのとき知っている限りの単語をバラバラに並べ、必死で言いました。
「それでは私は困ります。私にだけ来週やる部分を教えてくれませんか?予習してきますから。」
アメリカ人の先生、ニヤリと笑うと 「No!」 と言うではありませんか。続けて、「当日の朝8時に電話をしてくれれば教えてあげてもいいよ。」 と言います。
「本当ですか?本当に電話しますよ。」
と答える私。そうしたら、誰かが言います。
「さなえさん、でもさあ、当日の朝やるストーリーがわかったところで、予習する時間ある?」
ガーーン!そうでした。
例えば、朝8時に電話したとして、サークルが始まるのは9時半。公民館に行くまでの時間も考慮しないといけないから、残りは1時間。1時間では単語の意味調べをして内容を理解するなんて到底無理!
「先生、前日の夜お電話します。前日教えてくれませんか?」
返ってきた答えは
「ダーメ!」
完璧に私が困るのを喜んでいるかのようなその態度にムッとしました。先生は帰り際に
「さなえ、来週やるところ知りたい?」
とまたニヤニヤしながら話しかけてきます。私は内心怒っていましたので、
「いえ、結構です。」
と返答しました。
(つづく)

2010年2月21日 (日)
先週はブログを書くのをお休みしてしまって申し訳ありませんでした。
実はスクールをもうひとつオープンすることになり、右往左往しております。
テナント契約をし、内装をほどこし、家具を購入。新講師募集の広告を出し、面接をし、採用し、トレーニングを取り入れ、新聞折込広告の打ち合わせをし、ホームページ改修の相談をし、新しい地図を作り、イングリッシュカフェの新スクールへの統合、引越しの準備など、もう自分が何をしているのかわかりません。
夜パソコンに向かいながら、机に頭をつけようものなら、もうその後の記憶はなく、気が付くと朝になっています。
でもね、いいこともあるんですよ。スタッフのひとりから下記のようなメッセージが届きました。
「ここ何ヶ月か、私は佐奈恵先生の身体が心配です。時間はもちろん、精神的にも、全て500%ぐらいの力を出していらっしゃって......。先生に変わる人は誰もいないですから!食べれる時はいっぱい食べて、寝られる時はいっぱい寝てください。」
先日は、アメリカの友人から電話があり、どうしている?休みなく働いているんじゃない?新スクールの具合はどう?今年はアメリカに来る?なんて話をしているうちに、ドワーッと泣き出してしまいました。私がです。
ギリギリ限界のところでひとりで孤独と闘っていました。彼女はそれをわかってくれていたのです。
ある講師仲間は私が仕事が終わる午後10時にコンコンとドアを叩き、
「夕飯食べた?」
「ううん、忘れた。」
「やっぱりね。ハイ!」
なんて言いながら差し入れをし、「じゃ、明日も仕事だから」 とさっさと帰っていきました。差し入れは、「近くのレストランで食事していたんだ。どうせ、さなえはご飯食べていないんだろうな、と思ってさ。」 と、まだホカホカでした。まるで、私の終業時間に合わせたかのようでした。
こんな人たちに囲まれているから私は頑張ることができるのです。
でもね、考えてもみてください。英語の勉強を始めた18年前、英語はど素人。専業主婦で子育てをしている普通のお母さんだったのです。英語を職業にするなんて誰が考えたのでしょう?スクールをオープンし、しかも2校にするなんて自分でも想像していないことだったのです。
何が私をそうさせているのかわかりません。でも確実に私の実力の限界を超える仕事をしています。
(つづく)
コメントをくださっている皆さん、ありがとうございます。お返事は必ず差し上げますので、少しお時間をください。

2010年2月 8日 (月)
これは、私がどうして英語の勉強を始めたのか?どうやって勉強してきたのかのストーリーです。今までのストーリーを読みたい方は、こちら へどうぞ。
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公民館にはネイティヴイングリッシュスピーカーが講師としてやってきていました。私が入ったときにいらした先生は若い女性の講師。とても品の良い先生で、わたしが答え方に詰まったり、英語がわからなく恐怖に引きつったような顔をしていると、さりげなくパスしてくれる先生でした。こうして私はクラスの中で恥をかくことなくいることができました。
ある日、この品の良い先生が母国へ帰ることになりました。次にやってきた先生は、やはりアメリカ人。ちょっと愉快な青年でした。この先生、私がクラスの中で一番デキが悪いと知るやいなや、私に集中攻撃をしてくるようになりました。
答え方がわからなくて「パス」と言うと、No, you can't pass. と返ってきてしまいます。何でもいいから話せというのです。間違ってもかまわないし、単語の前後がひっくり返っていてもかまわない。正しい文章に並べ替えるのは僕の仕事だから、とにかく英語を口から出せというのです。
恥をかきたくない私は嫌でたまりませんでした。ファーストフード店を想定して会話の練習をしたとき、他の皆さんには定番の会話設定でお話しているのに、私のところにくるとわざと、「えー、たまねぎは抜いてね、マヨネーズも抜いてくれる?」 なんて注文を出します。私にはそんなやり取りをできるほど高度な会話力を当時持ち合わせていなかったのです。
しかし、ここで恥をかくことを覚えました。クラスメートの皆さんは汗だくになって必死に答えている私を 「あぁ~あ、また先生の川本いじめが始まったよ。」 と温かい目で眺めていてくださいました。
英語は恥をかくことを恐れていたら上達しないんだなとわかったのもこの頃です。完璧な文章が話せないからといって黙ってしまうのではなく、単語ひとつでもいいから口から出してしまう。そのほうが通じるし、コミュニケーションが成り立つんだとわかったのもこの頃です。
「さなえさんねえ、鼻先にプライドがぶら下がっているから話せないのよ。そんなプライドなんか捨てちゃいなさい!」
と例のロールプレイ仲間に言われたのもこの頃でした。そうです。自分の下手な英語に開き直った頃から英語って徐々に話せるようになってくるものなんですねえ。
やがては、先生が特別注文のオーダーをしてくると、「ほぉ~ら、キタキタ」 とこちらも応戦できるようになりました。定価よりも少し高い値段で商品価格を相手方に伝えます。先生は、「どうして?定価には○○円って書いてあるでしょ?計算間違っているよ。」 と言ってきます。「あなたの注文は特別でしたので、価格も特別です。」 とやり返し、クラス中が爆笑したことがありました。しどろもどろの英語ではありますが、英語って通じると楽しいんだとわかった時期でした。
それまでは、完璧な文章で話そうとしていた自分がいたのです。英語を間違って口から出すことを極端に恐れて、貝のようになっていたのでした。「えー、あの人の英語、変!」 と思われるのが嫌で黙ってしまっていたのですね。
(つづく)

2010年1月31日 (日)
私がサークルの中で一番話せないから、とにかく一緒に勉強しましょうといってくれた彼女。彼女と私の2人の勉強会が始まりました。それは公民館での英語サークルが終わったあと、食事を取りながらラジオ英会話のダイアログの部分をロールプレイするというものでした。A役とB役になってテキストを見ずにロールプレイ。終わると役割を代えてもう一度ロールプレイ。やることはこれだけでした。
でも、これが私にはとてつもない作業でした。その当時、相手になってくれていた彼女は、朝電話をかけてきて、「ごめ~ん、今週サボっちゃった。今から覚えて行くね。」 と言うレベルの人でした。つまり、朝から公民館の英語が始まるまでの数時間もあれば、ダイアログを言えてしまう実力を持っていたということです。
彼女の数時間分を私は目を血眼にし、口の筋肉が痛くなるまで 1週間かけて練習していくのです。相手があることでしたので、迷惑をかけてはいけないと、それはそれは必死でした。知らない単語がたくさん出てきます。ひとつひとつ意味を調べていたらいくら時間があっても足りません。そこで私が取った方法、、、それは、とにかく真似してみようと言うものでした。
まずは日本語に部分をざっと読んでしまいます。今日はこんなシチュエーションの英語を話すわけね、ということだけ頭に入れ、単語の意味調べはやめました。この日本語のときは、こういう言い方をすればいいわけねと、疑いもなくセンテンスを繰り返し練習したのです。
私は考えました。今から英語の勉強を始めたところで、英文科卒の人にかなうわけがない。海外で生活したことのある人にかなうわけもない。では、私には何ができるのだろう???英語圏では、たとえ3歳の子供でも、どうみてもそんなに学業が優秀ではなさそうな人でさえ英語を話している?どうして私に出来ないのだろう?
ま、とにかく真似してみるか!意味なんかわからなくてもいい。文法も考えなくていい。徹底的にもの真似すればいいんだ!そう腹をくくりました。
あとは1週間、もう、ひとりもの真似合戦です。テキストを片手に、ラジオ英会話の番組を録音した音声機器のイヤホーンを耳に入れ、ひたすらブツブツ練習するだけです。お茶碗を洗いながらブツブツ。洗濯物を干しながらブツブツ。掃除機をかけながらブツブツ。買い物かごをぶら下げてもブツブツ。自転車をこぎながらブツブツ。こうして丸1日かかって、1日分のダイアログを仕上げ、次の日はまた次の日の分をこなす。
月曜日から木曜日までの分を練習するのですが、水曜日あたりになると月曜日の分はすっかり忘れてしまいました。それでもかまわずひたすらにブツブツ練習を続けました。
しかし、この練習が英語学習の基本中の基本であり、これだけ口を使った学習を今まで奨励してきた学習法があっただろうかと考えるきっかけになりました。文章構文も文法も忘れ、ただ忠実にモデル音声の真似だけをする。こんな練習方法があったでしょうか?
あとになってわかったことですが、この訓練が英語学習の中では最も大事なことであり、英語独特のリズム、イントネーション、間の取り方を覚え、英語らしく話せるようにするための基礎だったのです。
一緒に練習してくれている彼女も私もその当時は専業主婦。毎週ランチに出掛けているとそれだけで高い習い事になってしまうので、おにぎりを作って行き、ほおばりながらの練習でした。
一生懸命練習しているご褒美に、たまには外でランチをしましょうねと、2ヶ月にいっぺんくらいは、おにぎりを作るのをやめレストランに行きました。レストランだろうとどこだろうと私たちのロールプレイが続きました。周りのテーブルにいる人たちが、こいつら何しゃべっているんだ?と変な顔をして私たちのことをうさんくさげに見てきましたが、私たちは気にしませんでした。
こんなことを 1年間続けました。1年も続けると不思議なことに、ダイアログを口から出すのもそんなに苦ではなくなり、おまけに文法も特に勉強したわけではないのに、基本的なことは何となく頭に入っていました。三単元の後ろの動詞には s がつくことや、名詞が複数になると a が消えて後ろに s がつく、など中学校で習ったはずなのにすっかり忘れていたことを思い出すこともできました。
そしてこれが私の基本中の基本の学習になっているだけでなく、私の今の英語指導へとつながっています。「とにかくモデル音声を徹底的に真似る」 これが私の指導法のひとつです。
(つづく)

2010年1月26日 (火)
これは、私がどうして英語の勉強を始めたのか?どうやって勉強してきたのかのストーリーです。今までのストーリーを読みたい方は、こちら へどうぞ。
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公民館の英語サークルに週1回出掛け、2時間のうち、最初の数分を話させてもらったあとは、脳の休憩ということを続けました。それがその当時は精一杯でした。何とか、自分の言いたいことの数行は発表できても、ポンポンと会話のやり取りが弾むということはありません。
口から英語を出したら、それっきりです。サーブを打ったら、そのことに全力を注ぎ過ぎて次の体勢が取れず、レシーブが返ってきても知らん顔という状態です。
それでも少なくとも、サーブを打ち込むことは、かろうじてできるようになったのです。小さなステップですが、確実なステップです。ここで注意したことは、自分がスピーチをするときには、ノートを読み上げないということです。
英語を教えるようになった今、私のクラスの中には、What's new? といって何でいいから自分の周りで起こった出来事を話してもらう時間があります。皆さん、よく勉強してきてくださっているので、話すことを一生懸命ノートにまとめてきます。
What's new? と話をふると、ノートを読み上げます。私は微笑みながら彼ら/彼女らが作ってきた話を聞き入ります。話がストップしたところで、今度はにこやかに彼らのノートを取り上げて、「はい、もう一度最初から話してみて」 とやります。意地悪な先生ですねえ~。
みなさん、えーーーっ!となりますが、不思議なことにこんなことを何回か繰り返しているうちに、ノートは必要なくなります。
さて、私の昔話に戻りましょう。公民館のクラスで数行の英語は話せるようになったものの、会話はちっとも成り立ちません。やっぱりこのクラスは私には難し過ぎて無理!との考えが頭をよぎります。
そして、またやめる決心をします。「もう、ついていけない!やめたい」 とクラスメートに打ち明けると、その彼女が言いました。「どうしても、やめたいというのなら、やめればいいわ。でも、今やめたら、あなたが今までやってきたことがすべて水の泡になってしまうわよ。それは、英語だけじゃなくて、あなたの人生すべてにおいても言えるんじゃない?」
そうでした。中途半端な生き方を改めたくて始めた英語でした。何かひとつでもいいから、自分の人生の中で、これだけは頑張ったと胸を脹れるものが欲しくて始めたのでした。
そして、彼女が続けます。
「わかった!とにかく、あなたが一番できないから、じゃ、一緒に勉強しましょう!」
何をしたのかというと、NHKのラジオ英会話を聴いてダイアログの部分をロールプレイするというでした。これが、私とNHK語学講座との出会いです。18年前のことでした。以来、ずっとNHKは聴き続けています。
(つづく)

2010年1月18日 (月)
これは、私がどうして英語の勉強を始めたのか?どうやって勉強してきたのかのストーリーです。今までのストーリーを読みたい方は、こちら へどうぞ。
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さて、このレベルが高い公民館のサークルで、私はどうやって学習していったらいいのでしょう?みんなが何を話しているのだかちっともわかりませんでした。
そこで私は考えました。
サークルの冒頭には、誰かが何かの話題を切り出します。それについて話がふくれれば、どんどん会話は盛り上がっていきます。当然、私に話をふくらませたり、誰かの会話の間に入っていくなんて無理なことです。
私は、自分で話題を持っていくことにしました。私にわかる身近な話で、ほんの2, 3行の簡単なものです。ところが、この 2, 3行の文章を作るだけでも大変でした。日本語から英語への変換ができないのです。
そこで、私は英作文をやめました。だって、自分で英文が作れないのですもの。その代わりに何をしたかというと、「英借文」 をしたのです。つまり、すでにどこかに書いてある英会話センテンスを抜き出して、センテンス1 とセンテンス2, センテンス3 をくっつけてひとつの文章にするわけです。
自分で日本語から英語への翻訳をやめ、既製のセンテンスをくっつけて、無理やり自分の話を作り上げるということをしたのです。
これには NHKのラジオ英会話のテキストが非常に役立ちました。ラジオ英会話のテキストを買ってくると、まず、さーっと日本語の部分を全部読んでしまいます。その中で、「これは使える」 「あっ、この話がしたい」 「これはどこかの文章とくっつけることができるかも」 という部分にアンダーラインを引きます。
日頃、ラジオを聴きながら、毎日この作業をするのです。「このセンテンスはいつか使えるかも」 と思うと、徹底的に音を真似して、話題のどこかに入れてみようと想像しながら自分ひとりで練習しました。
ほんの30秒程度の話を作るのに、まるまる一週間かかりましたね。公民館の英語サークルへ行くと、これを冒頭に話させてもらうのです。ノートに書き出していくのですが、会話のとき、ノートを見ながら話すのでは意味がないと、覚えていきました。自分に関連する話ですし、毎日の練習の中で口から出す作業はしていましたので、そんなに覚えるのも苦にはなりません。
そして、30秒の自分の話が終わると、あとはみんなが何を話していようが関係ありません。他のメンバーは私が持っていった話から話題をふくらませることもできますし、違う話題にも移っていくこともできます。私はこの30秒スピーチをすることだけを自分の課題にし、ノルマが終わると、あとは脳を休憩させていました。
私が話している途中で、先生が何かを質問してくると、もうストーリーはストップしてしまいます。メンバーの誰かが先生に向かって言いました。「さなえの話が終わるまでは黙って聞いてやってよ。彼女、必死で覚えてきているんだから。途中で口を挟まれたら順番がわからなくなるでしょ。」 クラスの中は笑いが起こります。そうです。まだキャッチボールをするほどの実力はなかったのでした。
しかし、この30秒の話を作るのに、一週間かけ何冊ものテキストを読み返し、あっちのセンテンス、こっちのセンテンスと自分に合うであろう言い回しを探し出し、切り貼りしていく作業は決して無駄にはなりませんでした。その後の私の英語学習の核にもなっていきます。
特に、日本語→英語への翻訳作業をやめたことに意味があったと思っています。日本語と英語では表現の仕方が違うんですよね。英語独特の言い回しってありますものね。
(つづく)

2010年1月10日 (日)
これは、私がどうして英語の勉強を始めたのか?どうやって勉強してきたのかのストーリーです。今までのストーリーを読みたい方は、こちら へどうぞ。
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やっと見つけた公民館サークル。しかし、レベルは私にとってはかなり高いところでした。みんなが何を話しているのだか、ちっともわからない、だた行って、ただ 2時間黙って座っていることが多かったのです。
いいろころを見つけたと思ったけれど、ここもダメ、難し過ぎてついていけない。そう思い、ある日、やめる決心をします。電話でお断りしてもよかったのですが、それでは失礼になるだろうと、顔を出し、ご挨拶してやめようと、のこのこと出掛けて行きました。
「あのー、申し訳ありません。このクラスは難し過ぎてついて行けそうにありません。今日でやめさせていただこうと思うのですが......。」
と、恐る恐る切り出しました。そうしたら、おひげを生やしたちょっと強面のおじさんが、いえ、この人、リーダーなのですが、
「だめだよー、あんた!新しい人が入ってきたから、もう名簿も作って印刷しちゃったんだよ。ダメ!やめらんないよ!!大丈夫、ただ来て座っていればそのうちわかるようになるから。」
と一括され、気の弱かった私は、またズルズルとこのサークルに足を運ぶことになります。
「ただ来て座っていれば、そのうちわかるようになるから」 というおじさんの言葉は嘘でした。黙って座っているだけでは話せるようになりません。英語を聞き流していれば話せるようになる、というのも嘘です。
せめてサークルのみんなの足を引っ張って嫌われないようにと、会場には少し早く行ってテーブルセッティングをするようにしました。
「あらぁ~、いつも早く来てくれてテーブルを整えてくれてありがとうね。」
と、英語ペラペラおばさんが目を細めてくれるようになりました。ほっ!英語はしゃべれないけれど、私、ここで少しは居場所ができたかも......。そう思う瞬間はあっても、レッスンが始まれば、また針のむしろ。右をみても左をみてもわからないことばかり。指された瞬間、頭が真っ白になって何もしゃべれない、ということが続きました。
(つづく)

2010年1月 3日 (日)
これは、私がどうして英語の勉強を始めたのか?どうやって勉強してきたのかのストーリーです。今までのストーリーを読みたい方は、こちら へどうぞ。
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さて、英語をやり直そうと決めた私。どこからどう始めたらいいのだろう?とりあえず英会話スクールが手っ取り早いかな?と思いました。しかし、調べていくうちに、お金が捻出できないことに気づきます。
当時は専業主婦。自由に使えるお金はなく、月に1万円近いお金を自分のためにかけるなんて到底できませんでした。チケット制のところなら、1回あたりのレッスン料は安く見えるものの、まとめて数十万円なんてお金を払うことは不可能。
そこで行き着いたのが公民館の英語サークルでした。でも、自分に合ったサークルを探し出すまでには時間がかかりました。
・ 人数は10名以下
・ 講師はネイティヴ・イングリッシュ・スピーカー
・ 真剣に学習しているところ
そんな条件をつけ、やっと見つけたところが一件。でも、そこには私が最初に直面する難関が待ち受けていたのでした。何と言っても私は英会話ど素人。他の人はすでにそこそこの会話力を身に付けています。
今でも鮮明に覚えているのが、先生に Where do you live? と聞かれたのが聞き取れなかったのです。
「へっ?この人、私に何か聞いている?何て言ったの?」
といった状態です。
隣に座っていた人が、「どこに住んでいるの?って聞いているのよ。」 とささやいてくれました。ところが、今度は答え方を知りません。
こんなところからのスタートだったのです。
(つづく)

2009年12月27日 (日)
これは、私がどうして英語の勉強を始めたのか?どうやって勉強してきたのかのストーリーです。今までのストーリーを読みたい方は、こちら へどうぞ。
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何かをしたい。自分のために......。漠然とそう考えるようになっていました。
一番下の子が幼稚園に入ったとき、ふと自分の時間が戻ってきました。それまでは、いつも誰かが私の膝の周りにまとわり付いていたのに、今は自由に動き回れる。何か忘れ物をしているような、それでいて妙な解放感。
お友達とランチをしにいったり、テニスをしたり、それはそれは楽しい時間がやってきました。でも、ある日、ふと思ったのです。
私、このままお友達とおしゃべりをして、お茶を飲んで、ふと気がついたら 60歳をむかえているのかしら?
それは嫌!絶対に嫌!!
何かをしなくっちゃ。この時間を活用して何かを成し遂げてみたい。そう思うようになっていました。
考えてみたら、私、今まで何ひとつ一生懸命やってきたことがない。j受験勉強も必死になってやったことはないし、いつも中途半端だった。そして、いつも言い訳を考えていた。
・ だって、お金がないんだもの
・ だって、頭が悪いんだもの
・ だって、時間がないんだもの
・ だって、どうせブスだもの
何かに必死になることよりも、言い訳を見つけて、あぁ~あ!と溜め息をつくことのほうが楽だったのです。
そんな人生、やめてみようかな?死ぬまでにひとつだけでいいから、「私はこれを頑張った!」 と自分で自分に誇れるものが欲しいな、と思ったのです。
さあ、何をしようかしら?
何でも良かったのです。英語が話せるようになったらいいな、という漠然とした憧れはずっと持っていました。これを読んでくださっている多くの皆さんもそうではなかったですか?英語を始めるきっかけって、そんな憧れからではありませんでしたか? 今から勉強を始めたとしたら、私......、算数やらなくていい、理科やらなくていい、社会やらないくていい......。一教科だけなら、何とかなるかな?
そう思って始めた英語でした。
(つづく)

2009年12月20日 (日)
育児の世界に入り、子供たちとの生活に入ったら、時計の進み方が変わりました。今までとはまったく違った世界、時はゆったりと刻まれているように感じたこともあります。
陽だまりの中でベビーカーを押す幸せ。母親をすべてと全身全霊、安心しきって身を任せる小さな物体と毎日接していられることは、とても新鮮で嬉しいことでした。
でも、その幸福感はそんなに長く続きませんでした。子育てを経験している人にならわかるでしょうが、徐々に世間から忘れ去られてしまったような孤独感と闘っている自分を発見するようになったのです。
触れているのは小さな子供たちと同じような境遇にいる子育て仲間。新聞の中の記事は私には関係のないことように感じ、TVで流れているニュースはまるで他の惑星での出来事のよう。
喫茶店でコーヒーを飲むことも、本屋で立ち読みをすることも、洋服をゆっくり選ぶことも、ましてや夜飲みに出掛けることもままならない生活。いえ、夫や実家の母の手を借りればそれもできないことではありませんでしたが、泣き叫ぶ子供を置いてまで出掛ける気にもなれず、ひとりで外出したところで、家に置いてきた子供たちのことが気になって心から楽しむことはできなかったのです。そんな生活でしたが子供たちの成長を見ていられることはこよなく嬉しいことでした。
でも孤独感が消えることはなかったのです。同世代の女性が社会でバリバリ仕事をしている姿を見ると、「いいなぁ~」 と羨みました。両親の手をうまく借りて仕事と育児を両立させている人を見ると、これまた嫉妬を感じました。
(つづく)

2009年12月13日 (日)
私が初めての子を身ごもったとき、悩みましたねえ。仕事を続けるべきか、はたまたキャリアを諦めて家庭に入るべきか......。当時、キャリアといえるほどの大それた仕事はしていませんでしたが、働くママに憧れていました。仕事を持ちながら、子育てをしている女性ってなんだかとってもすごいことをやっているようで力強く見えたのです。
結局、お腹が 9ヶ月のとき、会社を辞め、専業主婦の道へ入る人生を選びました。実家を頼るわけにもいかず、ピンチのときに応援部隊が駆けつけてくれるということもなく、通勤と育児と家事と、すべてをこなす自信がなかったのです。定時にあがって帰れるような会社体制ではなかったし、保育園料金+保育園の送り迎えが間に合わなかったときのためのベビーシッターさん料金を考えたら、お給料のひとり分が飛んでしまいそうでした。もし、子供が病気になったらどうしましょう?そんなことを考えたのです。
そうして決心した専業主婦の道、それについて後悔の念はありません。でも、それは今自分が今こうして英語を職業とした道につけたからかもしれません。英語をものにできず、(いえ、まだものなったわけではありませんが)、中途半端で終わっていたら、英語にも専業主婦という道を選択したことにも後悔していたのかもしれません。
育児という仕事、それはまた別の意味で孤独と不安との闘いでもありました。
(つづく)


2009年12月 6日 (日)
このコーナーでは私がどうやって英語を職業としてきたのかのお話を交えながら書いてみます。皆さん、私がどうして英語を始めたのか、どうやって勉強してきたのかお知りになりたい方が多いようですので......。
英語学習のコツや情報をお届けする合間にちょこちょこと書き足していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
私は子供3人を育てている専業主婦でした。今は成人してしまった子供たち。結婚して子供を授かり、キャリアをあきらめ子育ての道に入ったことに後悔はありません。子供を育てながら、子供から学んできたことがたくさんあるからです。
もちろん、それがすべて成功だったわけではありません。良い母親だったかというと疑問が残りますし、立派な子育てをしてきたかというと失敗もたくさんあります。
でも、今は子供たちが無事に成長し、生きてくれていている、そのことだけに感謝しましょう。彼らは着実に私を育ててくれました。そう、子育てと言いながら、実は私が子供たちに育てられていたのでした。
今まで頑張ってこれたのは 3人の子供がいてくれたからということに間違いはありません。英語を続けるパワーも頑張りもすべて子供たちから得てきたことなのです。
だから私は今、若者たちを教えながら、「あなたたち、将来子供は最低 7人は生んでね」 と声をかけています。「日本の少子化の危機を救うのはあなたたちなんだからね。」 「私の老後も支えてもらわないといけないし......。」 と洗脳しています。
女子学生は、「えーー、なんで私たちだけえ?」 と声をあげるので、「あっ、そうか!そこの君、男子学生も、子供は 7人よ!」 と追加することにしました。最近では、「ここのスクール生は子供を 7人生まなきゃいけないんだって」 との噂が浸透してきて嬉しい限りです。
話がそれました。英語を始めたきっかけでしたね。
(つづく)





