電子書籍への違和感のひとつは、読んでいる最中に電力を消耗していることだったりする。個人的にこの急き立てられるようなエネルギー消耗読書に馴染めない。
それは電子書籍だけでなくあらゆる消耗品に対する個人的な性癖ともいえる。掃除用品(取替え式のモップとか)も使うのにものすごく抵抗がある。繰り返し使える雑巾のほうがいい。
たぶん前に書いたキャラクターシールを買っても貼れない性質、つまりどケチ体質なんだと思う。
もちろん電子書籍なんて充電すればいいわけだし、掃除用品なんて使ってナンボなわけだが、消耗していくものを見るのが根っから嫌いなんだと思う。
そんなこといえば、紙の本だって持ち歩くと折れ曲がったりボロボロになったりするわけだけど。それは消耗というより味わいとなってある段階で価値に変わる。
それは革製品の味わいに似ている。そのようなモノとしての本の味わいを失ったあげく
、読むためにスイッチをオンにした瞬間から消耗を始める電子媒体のその在り様そのものに違和感がある。
だが時代の流れという意味では電子媒体で取って代わる日が来るのかもしれない。ただ、紙の本さえ読まない人が増えているのに、電子書籍になったからといって読み始めるわけがない。
ベストセラーとなる内容を持った本が電子書籍でしか読めないなら売れるかもしれないが、それはごく一部の書籍であって多くの書籍は埋もれるだけだ。
あるいは物流が不要になり経費が軽くなった分安くなれば売れる本も多少はあるかもしれない。また在庫を持たなくて済むため何十年も消えずに残すという意味ではメリットもある。
しかし実際には文字だけでないギミックのあるアプリケーション的な媒体に移行せざるを得ず、制作費はいま以上にかさむはずだ。また在庫にならなくてもデータとしてただあるだけでは商売にはならない。
こんな風に考えると、紙の本は電子書籍に置き換わるから消えるのではなく、読書する人がいなくなるからなくなっていくような気がする。
それは紙を綴じた媒体の死ではなく、マスメディアとしての出版の死として実現するように思う。紙を綴じた媒体はビジネスとは別のところで生き延びることだろう。
そのかわり本や本を模したデータなどではなく、書籍でもラジオでもテレビでもない、まったく異なるメディアが新しいひとつの文化の台頭をもたらすのではないか。
ただそこまで生きていないと思うので、私自身は紙を綴じた書籍とともに一生を過ごしたいと思う次第だ。