その昔、インターネットや電子メール、電子辞書も普及していなかった頃、初めて触れる分野の通訳案件の依頼を受けると、まず図書館か書店に駆け込みました。関係する入門書や解説書を探しあて、分厚い辞書を引き引き、用語の事前勉強から入って行きました。
会議当日は、会議資料に加え、辞書数冊に専門書数冊をボストンバッグに詰め込んで、えっちらおっちらと仕事に臨んでいました。最近フィットネスクラブで定期的に筋肉量を測定していますが、私は腕の筋肉が脚よりも著しく多く、きっといつも重たいカバンを提げていたからだろうと「自負」しています。
もちろん今はインターネットで背景知識や用語を調べることが圧倒的に多くなりました。会議中も、わからない用語はノートパソコンでサクサクと調べることもできます。スマートフォンやタブレット型端末も大活躍。"信息化(情報化)"のおかげで、いつでもどこでも居ながらにして調べ物ができる時代が来たなんて、まさに夢のようではありませんか。
「居ながらにして」と言えば、ひと昔前にこんな思い出があります。
"信息化"の一環として電子申請制度をいち早く取り入れた某所でのこと。
「このシステムですと、わざわざ窓口に出向かなくても、居ながらにして申請手続きができるのです!」と力説する担当者。当時の私はこの日繰り返し使われた「居ながらにして」がいまひとつ上手く訳せませんでした。
大筋で意味は訳せるのです。しかし自分の中ではしっくり来ない、納得行かない。いくら他人に褒められようがけなされようが、通訳者は自分で自分のパフォーマンスの出来・不出来を実感するものです。その日は大過なく業務を終えたものの、私は「居ながらにして」の訳が気になって、魚の骨がノドに刺さったようなもどかしい気持ちでいました。とはいえ、気持ちの切り替えも大切で、くよくよせずに忘れることも大事かな...と結構おおらかな自分でもありました。
それから1~2年経ったある日。何の気なく中国語の新聞を読んでいて、はっと目に留った言葉が――"足不出戸"。
そうか、あの時こう言えば良かったのか。
忘れた頃に見つける答え。今もそんなことの繰り返しです。