★否定生格(他動詞が否定される場合)
肯定文では目的語が対格になるのに、否定文では生格になることが多くある。
(対格と比べ、生格ではそのものの排除・否定を意味する。)
*直接目的語に対格をとる動詞を他動詞とよぶ。
・Я не читал этот журнал【対】.
その雑誌を読んだことがない。
Я не читаю журналов【複生】.
雑誌というものは読まない。
・С той поры я не люблю ни суббот【複生】, ни воскресений【複生】. Вообще праздников【複生】 не люблю.
そのとき以来、私は土曜日も日曜日も好きじゃない。そもそも休日というものが好きではありません。《Ирония судьбы》
с той поры その時以来 =с тех пор
поры < пора(時)
・Маленький принц никогда ещё не видал таких огромных бутонов【複生】.
星の王子様はこんな大きなつぼみはまだ一度も見たことがなかった。
《Маленький Принц》
видать ヴィダーチ 何回も見る、経験する
бутон ブトーン つぼみ【不活動体】
никогда ни ~=ни разу не 一回も~ない→貝澤先生31課
*植物は普通不活動体
*Я никогда не видел моря【単生】.
私は一度も海を見たことがなかった。
Я никогда не видел такого чуда【тудо 単生】.
私は一度もこのような奇跡を見たことがなかった。
Он никогда не видел своих работ【複生】.
彼は一度も自分の作品を見たことがなかった。
・Король не знал никаких пределов【複生】 и ограничений【複生】.
王様はいかなる境界も制限も知らなかった。
《Маленький Принц》
ограничение アグらニチェーニエ 制限
・Никто, никто не знает моих страданий!
誰も、誰もこの辛さをわかってくれないの!
(日記2010.12.4再録)《Чайка》
*「~を見たことがない」「~のことを(存在を/体験上/学習知識上)知らない」の例文は調べた限りでは生格でした。
「~を情報として知らない」は前置詞を用いる表現がある。
Я не знал об этом.
※映画Ирония судьбыを見ていて、対格をとるべき目的語(土、日、休日)が生格になっていることに気付き、丸一日悩みました。(自分の日記に昨年末書いていたし、きっとラジオでもどこかで説明されているのでしょうが。)
あまりいい例文ではありませんが、「私は母が好きではない」という時、
Я не люблю маму.
と目的語は対格にして、生格(мамы)にはしない、…と思う。もちろん肯定文でも対格でいいはず。
あらためてテキストや文法書をひっくり返したのですが、なぜか他動詞の否定文で目的語を対格→生格にするものについて、まとまった学習はこれまでなかったようです。
第一「好きじゃない」などは、「彼のことが」とか「自分のことが」など目的語が活動体のことが多く、生格と対格の形が同じで分かりにくいです。
否定生格では、「存在の否定」(ないнет, なかったне было, ないだろうне будетの文で用いる:熊野谷先生66課)のほかに、「他動詞の否定」がある。
――生身の先生が近くにいればすぐに解決するだろうに、ああしんど…。
途中で色々引っかかるので、ちっとも映画が終わりません!(>_<)
もしこの文法事項でもっと簡単な理解のしかたがあれば是非教えてください。
「見る」「知る」「解る」はいろんな例文をみても生格になっているのに、「愛する」では統一がとれていなかった理由が氷解しました。
追:プロフィール編集して、「コメントお知らせ」機能をオンにしました^^;
コメントしてくださったのを、うっかり今日まで気がつかずにお礼が遅くなってしまいました!説明がものすごくよくわかりました。私の持っている初級の文法書にはこの項目はきちんと書かれていないので、ひょっとしてかなり難しい文法事項なのかな?と思っていました。
また、柳町裕子先生が『ロシア語研究』という冊子に「否定他動詞文における生格と対格の用法について―その問題の問題点―」という論文を載せているので、そのうち入手してみようと思っています。
取り急ぎ、お礼申しあげます。