去年の12月から完全マスターハングル文法にそって日記を書いてきたからか、ほとんど考える必要もなく楽に書いていたのがわかった。
文法書を離れて三日くらい自由作文を書いてるけど、頭のなかで考える深さとか辞書を引く頻度がまったく違う...。ほんの数行なのに...。
去年11月まではそういう作文をやってたわけだから大丈夫だと思ったけど、楽してたことを実感する。
文法書に出て来る文法事項にそって作文を当てはめればいいのと、書きたい内容をまず考えてそこに使える文法を思い出すのとではぜんぜん違う。
自由作文のほうが大変だけど頭は使うから自由作文を書いていったほうがいいかもしれない。
ただ使える構文や語彙もどこかで体系的に身につけていかないと、自由作文が簡単な文章だけで終わってしまう危険もある。
結局、両方を適当に混ぜながらスパイラルに深めていくしかないのかも。その取組にはモチベーションのゆらぎみたいなものがあって、どっちに傾斜するかはもはややりたいときがやれるときだ。
日記でできることと出来ないこともある。完全マスターの모음7以降は日記で使っていくにはかなりムリがあると思った。
모음7は引用表現、모음8は類似表現、모음9は確認テストという構成で、佳境に入ってきた感じはあるので、このあたりは日記よりノートに手書きでやらなきゃな。
모음8の類似表現はちょうどいまのラジハン講座応用編のような比較対照になっていて、どうやらこのあたりが文法学習の中級入口といえるような気がする。
語彙や慣用句はいわば知っているかどうかだけなので初級か中級かという線引きはしずらい。しかしこういう文法事項は初級と中級とで体系化しやすいのかも。
初級で網羅される文法事項を“たたき台”にして、それとの差によって(頭の中で)議論を深めることができる。そうすると初級でのうろ覚え文法についても理解が深まり、さらに知識が根付くような気がする。
そういう学問的アプローチとはまったく別に、発声や聞き取りという肉体訓練も語学には必須だからなかなか大変だ。そこまでがスパイラルに身につくことで中・上級レベルへの扉は開くようだ。
リスニングとスピーキングとは確実に遅れているので、そっちの訓練を進めていかなければと思いつつ、モチベーションが“降りてくる”のを待ってる。方法論が固まらないとなかなかはじめても続かない。そのための仕掛けが必要だな...。