質問)毎日、学校やクラブ、塾で忙しく、自由がありません。
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问题)每天我有学校,俱乐部,补习班很忙,没有自由的时间。
Wèntí)Měitiān Wǒ yǒu Xuéxiào ,Jùlèbù,Bǔxí bān,Hěn máng Méiyǒu Zìyóu de shíjiān.
人生の師匠からの解答
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自由といっても、自分が心の底から「何を」したいと願っているのか。
自由とは、遊ぶことではない。浪費することではない。時間があることではない。
休日が多いことではない。気分のまま、気ままに生きるのは「放縦」であって
「自由」ではない。
自由とは、いかに、自分自身を高揚させていくか、
自分自身の目的に向かっていくか---そのなかにこそ、黄金のような「自由」が
ちりばめられ、光っているのです。
じつは、自由があるからこそ、勉強できる。
自由があるからこそ、学校へも行ける。
自由があるからこそ、クラブ活動もできるし、塾にも行けるのです。
それを不自由ととらえるところに、「人生の大きな錯覚」がある。
学校に行くのを、権利ととるか、義務ととるか。
自由か、不自由なのか---自分自身の哲学、智慧を持っているかどうかで
すべてが変わってくる。
「受け身」になったら、どんなに自由な環境であっても、「不自由」な自分になる。
「攻め」の一念になれば、どんなに不自由な環境であっても、「自由」な自分になれる。
病気の人は、学校に行けない。戦争中の国の子どもも、学校に行けない。
行ける人は、行ける自由がわからない。行けることは最大の自由なんです。
勘違いしてはいけない。
自由とは「自律」のなかにある。
現実の社会・生活は、何かに縛られている。放縦ではない。無軌道ではない。
太陽も、朝出て、夕方には沈む。星も夜だけ輝く。
皆、それぞれの役目をもっている。
それぞれの軌道にのっとって、運行している。その意味では自由ではない。
朝起きて学校に行くことは、今の諸君だちが歩む「軌道」なのです。
絶対にすべきだと思う。
それをやらずして本当の自由はない。「力」をつけずして、強くならずして、
本当の自由はない。
知力、体力、精神力、生活力、経済力---力があれば自由になれる。
その最高の力が「精神の境涯」なのです。
自由とは、自分の生きる価値で決まる。自分の心・境涯で決まる。
そこに自由があるのに、自分はそれをわからずに、
不自由と思っている場合もあるだろう。
同じ場所にいる人が、大いなる自由を感じている場合もあるだろう。
同じ「自由」を、立派に価値創造に使う人もいれば、
気ままに浪費して不価値・反価値にしてしまう人もいる。
自由の名を叫びながら、自由を破壊する人もいる。
“自由”のなかに、価値と不価値を含んでいる。
結論は、自分自身を支配できた人こそが、本当の自由なのです。
ほんとっ、大人でも言いそうな台詞です。
私も受験を控えていますが、
受験は、まずは小さな目的を成就するための手段が
これしか道がないから
「自由がありません」これは、「大きな錯覚」であって、
受験しようと思って行動に移している時点で
すでに、自由があります。
受験に合格できるかできないかは重要ではありません。
職業フリーな状態で受験勉強ができるだけでも幸せものです。
コメント、ありがとう。
自分の価値を高めるために、自分を鍛錬する一日一日の地道な努力を
忘れてしまっては、何のための人生かを思い知らされるメッセージですね。
現状に窮屈さや嫌悪感を感じた時、その時が成長できるチャンスですね。
現在の状態を謙虚に受け止めて、どうしたら改善できるのかを
自分自身のメタ認知と真剣なる思索と挑戦の行動が大切だなぁと
最近、意識し始めました。
その点、りんさんの若さは、何よりのadvantageです。
共に、輝かしい人生を創造していきましょうね^^
ところで、りんさんは、大学キャンパスの中では、
不断、何語で話されていますか?
当然、英語ですよね^^;羨ましいです(笑)
この“自由”という言葉を子どもたちにどう伝えていくか?
我が師匠の言葉には、
抽象的で哲学的な言葉が時々出てくるので
特に、高揚(enhancement)や価値(Value)という概念を
どうやったら理解できるのか?
子どもたちに体験できるわかりやすい遊びはないものかと
いろいろ試行錯誤しています。
結局は、子どもたち一人一人が自分で思考し、理解していくしかないし、
それによって、人類の未来も決まります。
子どもたちの心を開く力の可能性を信じています。