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toshaさんの おぼえた日記 - 2020年6月20日(土)

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2020年6月20日(土)のおぼえた日記

继续英国的话,那本书还有感兴趣的内容。
英国和欧洲大陆国家联系很紧密,它是一个岛国,可是它本质上不是一个岛国。
它可能类似于日本长崎的出岛。
在英国有很多女王,但是在欧洲国家有一个女王基本上似乎很奇怪。
“那,奥地利有名的玛丽亚·特蕾西亚(Maria Theresia),为什么?”
回答英国是盎格鲁・撒克逊血统,欧洲国家是日耳曼血统,日耳曼血统民族有萨里卡法。那个法律的一项是“妇女不能成为国王。”。结果,玛丽亚·特蕾西亚(Maria Theresia)在奥地利登基,伊莎贝尔二世(Isabel II)在西班牙登基时,发生了一场继承战争。
据说、许多皇后出生是因为英国不用遵从那个法律。



イギリスの話の続きなのですが、その本にはまだ興味深い内容がありました。

イギリスはヨーロッパ大陸の国々と非常に密接につながっているため、島国であっても、性格的には島国ではないイギリス。

感覚的には日本、長崎の出島に近いのかもしれませんね。

イギリスは女王様が沢山いますが、ヨーロッパ諸国では基本的には女王がいてはおかしいそうです。

「じゃあ、オーストリアの有名なマリア・テレジアは、なぜ?」となりますよね。

答えはイギリスはアングロ・サクソン系、ヨーロッパ諸国はゲルマン民族系で、ゲルマン系民族にはサリカ法というものがあるのですが、その法律のひとつに”女性は王にはなれない”という内容があるんです。それによりオーストリアでマリア・テレジアが王位のとき、スペインで イサベル2世が王位の時にしっかりとそれによる継承戦争があったんですよね。

その法に全く乗っ取らないイギリスゆえに沢山の女王が誕生したということだそうです。



玛丽亚·特蕾西亚 Maria Theresia マリア・テレジア
伊莎贝尔二世(Isabel II) イザベラ2世
盎格鲁-撒克逊 アングロ・サクソン
日耳曼 ゲルマン
萨里卡法 サリカ法

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tosha さん
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オーストリアでマリア・テレジアは当時珍しい恋愛結婚、入り婿なんですよね。
そのため、彼女の配偶者がどうしても格負けするのですが、彼らの子供の多さ、その先を考えると、前の君主以上の活躍かと思います。
一言で言えば、マリア・テレジア自身が男性君主より力があったため、サリカ法までそれに伴うごたごたを乗り越えてやっていけたと思ってます。
2020年6月21日 12時10分
JackAmano さん
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しかし、そもそも神聖ローマ帝国皇帝なる地位は、その呼ばれ方こそ御大層に偉そうに聞こえるが、帝国の全領域を支配していたわけではなく、ハプスブルク家がその本領としていたオーストリアは、まだ独立の帝国ではなく、神聖ローマ帝国に属する大公領(Erzherzogtum)であつて、マリアがオーストリアを統治したのは、法的にはオーストリア大公妃(die Erzherzogin
von Österreich)としての地位に基づいていたのであって、皇后(die Kaiserin)としてではなかった。ひどく形式にこだわった、ややこしい話だが、多分間違ってはいないと思う。無論、形式は何であれ、彼女が女帝と呼ばれる充分な実質を備えていたことに変わりはない。
2020年6月20日 19時11分
JackAmano さん
0人
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マリア・テレジアが、なぜ女帝と呼ばれるのか、その理由について、Wikipedia でわかる限りのことを調べてみた。もともとハプスブルク家では、他の多くのヨーロッパ大陸の国々と同様、女子の相続は認められていなかったが、マリアの父であった神聖ローマ帝国皇帝(der Kaiser des Heiligen Römischen Reiches) カール6世は、男子の後継ぎを失ってしまったため、
国事詔書(Pragmatische Sanktion)なるもので、女子の家督相続を認めることとし、列国にもその承認を求めた。マリアは当時としては異例の恋愛結婚で、格下のロートリンゲン家からフランツ・シュテファンを婿として迎え、父カールの死後、形の上ではフランツが神聖ローマ帝国皇帝として即位し、彼女は皇后(Kaiserin)の位についたが、全ての実権は彼女に委ねられていたから、女帝と呼ばれるのも当然であった。
2020年6月20日 19時10分
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