「Между поверхностнейшими элементами речевой манеры, формой выражения себя и между последними основами мировоззрения в художественном мире Достоевского всегда глубокая органическая связь.
(『ドストエフスキーの創作の問題』 2-2」
1. 「Между поверхностнейшими элементами... и между последними основами...」
二つ目の между が冗語のような。直前の и が最初の между に呼応する и であることを明示する между か、って、そんな между の用法がそもそも存在するのか。
2. 「формой выражения себя (自己を表現する形式)」
себя の生格をこんなふうに使えるのか。"выражать себя" に引きずられての変則的な言い回しか、って、そんな口幅ったいことをいえる語学力ではないのですが。
※ 「Сознание себя самого все время ощущает себя на фоне сознания о нем другого, "я для себя" — на фоне "я для другого". (ibid.)」
「Сознание себя самого (自己自身を意識すること)」。ちなみに Selbstbewsstsein (自己意識) の露訳は самосознание。
§
「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているという こと。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づい て正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったと きには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が 最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の 権力を組織する権利を有するということ、である。もちろん、長年にわたり樹立されている政府を軽々し い一時的な理由で改造すべきではないことは思慮分別が示す通りである。従って、あらゆる経験が示すよ うに、人類は、慣れ親しんでいる形態を廃止することによって自らの状況を正すよりも、弊害が耐えられ るものである限りは、耐えようとする傾向がある。しかし、権力の乱用と権利の侵害が、常に同じ目標に 向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らかであるときには、その ような政府を捨て去り、自らの将来の安全のために新たな保障の組織を作ることが、人民の権利であり義 務である。これらの植民地が耐え忍んできた苦難は、まさにそうした事態であり、そして今、まさにその ような必要性によって、彼らはこれまでの政府を変えることを迫られているのである。現在の英国王の治世の歴史は、度重なる不正と権利侵害の歴史であり、そのすべてがこれらの諸邦に対する絶対専制の確立 を直接の目的としている。このことを例証するために、以下の事実をあえて公正に判断する世界の人々に 向けて提示することとする。(『独立宣言』)」
「そのような政府を捨て去り、自らの将来の安全のために新たな保障の組織を作ることが」できるために、人民は武装しなければならない、という感覚はまだ生きているのだろうか。「撃てと命ずるものを撃」つ感性のことをいっている。