「セーター一着に 20 万円を支出する、支出できる。異常なことかもしれない。それでも、そういう 消費マインドのあり方、それを可能としたバブルの時代が、私には慕わしく愛おしく懐かしい」という趣旨の林真理子の短文が心に残っている。不確かな記憶を頼りに起こしたので、誤りがあれば多謝。「消費マインドのあり方」なんかぢゃなく、もっと林真理子感覚にぴったり沿った言葉で表現されていたはず。
「コートを新調しましたか? わたしは同じものを 4 年着ている。4 万円とわたしの持ち物にしては高価で、それなら 1 年に 1 万円か、と思う。あと 2 年は着ようと思っている。わたしの金銭感覚としては、コートに 1 年で 1 万円払うのは抵抗がある。もはや「購入」よりも「使用料」のニュアンスが方が強いのは、コートのような値の張る衣服の特徴ではないだろうか。ちょっとした家電並みと言っていい」(『やりなおし世界文学 (津村記久子)』を読んで、あれ以来林が嫌い、という上の一節を思い出した。
因みに、林は一冊も読んでいない。津村はこの『やりなおし世界文学』が始めて。
そうなっても酷吏は税取り立ての手を緩めないだろうから、お国は安泰。
私なんか飢え死に。