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ilyaさんの おぼえた日記 - 2023年3月14日(火)

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おぼえた日記

2023年3月14日(火)のおぼえた日記

<quote url="https://note.com/shinomuray/n/n22bd2c7c45ef">
アレックス・オリエ演出のプッチーニ『トゥーランドット』(篠村友輝哉)

 第3幕で、ピン、パン、ポンがあの手この手でカラフから名前を聞き出そうとするが、彼は答えない。そうこうしていると、父ティムールとリューが捕らえられてしまう。リューは彼の名を知っていると告白するが、彼への愛のために自分は名前を言わない、トゥーランドットとカラフが結ばれることを願うと歌い、自害してしまう。
(プッチーニはここで絶筆。残りは遺されたスケッチを基にアルファーノが補作 — ilya)
 本来は、このリューの愛による自害とカラフの接吻によって、トゥーランドットが愛に目覚め、カラフの想いを受け入れ、北京の民の大合唱によって愛と平和に満ちた世界の訪れが歌われる、という結末である。
 だが、オリエの演出ではそうはならなかった。権力に目を奪われているカラフは、リューの死を悼む様子がほとんどない。一方のトゥーランドットは、対照的にいつまでも死んだリューの側を離れない。そして結末は、カラフの手を取り民衆の前に出るトゥーランドットのもう片方の手には小刀が握られ、音楽の終わりと同時に、彼女は自らの首を切り、舞台が暗転するーーというものになっている。
 この結末が残す印象は非常に鮮烈で、最後のニ長調の合唱を壮麗に響かせる大野の指揮が、破滅的な結末の衝撃を効果的に高めることになっていた。このカタルシスは、芝居だけでも、音楽だけでも感じることのできない、まさにオペラでしか味わえない類のものであろう。
 この悲劇的な結末の意味は何であろうか? それは、犠牲の上に愛や平和が成り立つとする思想への、痛烈な批判ではあるまいか。一部の政治家はその典型的な例だが、戦死者について「尊い犠牲」、「英霊」などという言葉で語る人がいる。ごく最近も、今まさに騒動となっていることで亡くなった著名人の死を「最後の功績」などと形容した政治家がいた。それらはいずれも、死者に対する繊細さを欠く、粗雑で、独善的な言葉である。また、これは余計な補足かもしれないが、彼ら彼女らが、「その立場で」こうした発言をすることが問題なのではない。これらの言葉そのものが浮薄なのである。
 また、トゥーランドットとリューは、対照的ではあるが、男によって深く傷つけられた女性であるという点で通じている。だからトゥーランドットは、自殺したリューの側を離れなかったのだろう。この終盤から結末にかけての演出は、現代においてもなお根強い男性中心的な思想への批判にもなっているのである。今回の演出が、格差を鋭く照射している点から考えても、ここに男性中心主義への批判を見ることは自然な流れだろう。
</quote>

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