※ caption : 李白 静夜思 (hananiko.com 所載)
12/16(月)
「朝ぼらけ有明の月とみるまでにー」
英語で読む百人一首 ピーター・J・マクミラン
不思議の国の和歌ワンダーランド 第31番
2022年9月16日 京都新聞デジタル所載
朝ぼらけ
有明の月と
みるまでに
吉野の里に
ふれるしら雪
(百人一首カルタでの英訳)
Beloved Yoshino-
I was sure you were bathed
in the moonlight of dawn,
but it's a soft falling of snow
that mantles you in white.
Sakanoue no Korenori
[現代語訳]
夜がほのぼのと明ける頃、有明の月が光っているのかと見るほどまでに吉野の里に降っている白雪であるよ。
* 歌は新編国歌大観の「百人一首」を原本とし、表記は適宜、かなを漢字に改めています
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「李白の『静夜思』の英訳」
I gaze upon the moonlight by my bed
and mistake it for glistening frost.
I rase my head and look upon the moon,
then lowering it again, I think of home.
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時代を超え心にしみる光の風景
朝ぼらけは明け方のことで、有明の月は夜が明けてもなお空に残っている月を言う。
「有明の月と見るまでに」とあるのは、白雪が降り積もって明るく明るく見えるさまを、有明の月の光が差しているのかと見紛(まが)うほどであるというのだ。
吉野の里は、大和国(現在の奈良県)の吉野郡を指す。幻想的なイメージと吉野という地名によって喚起される、雪や桜といった吉野にまつわる景物との組み合わせは、藤原定家らの時代の歌人らが愛したものであった。その組み合わせが読み込まれた歌は、時代を超えてなお人の心にしみる、柔らかな光の美しさがある。
見立ての表現が用いられている。見立てという表現方法については、第29番の歌で詳しく紹介したが、簡単に言えば、あるものをそれと同じイメージを持つ別のもので代用するという技法である。この歌では、白い雪が、同じく白い月の光に見立てられている。見立てという表現方法は、もともと漢詩に由来するという。例えば盛唐の漢詩人である李白の「静夜思」は、
「狀前看月光/疑是地上霜/拳頭望山月/低頭思故郷(寝台の前の月光を見ると、その白い輝きは地上の霜かと思うほどである。頭を挙げて山上に出ている月を仰ぎ見て、頭を低(た)れて故郷に思いを馳せる)」
という五言絶句であるが、1句目から2句目にかけて、白く照る月光が輝く霜に見立てられているのである(今回は新訳の代わりに、李白の詩の英訳を紹介する)。
ところで私は吉野が大好きで、これまでに何度も訪れている。吉野は、川や山が歌に詠まれているほか、平安時代以降は、この歌のような吉野と雪の取り合わせが定着したいう。『古今集』のころは吉野といえば雪だったが、やがて『新古今集』のころになると、吉野の山や吉野の川の桜が盛んに詠まれ、吉野は桜の名所となった。吉野は修験道(しゅげんどう)の出発点でもあるが、吉野の桜は修験道と深い関わりがある。というのも、修験道の開祖として知られる役行者(えんのぎょうじゃ)は吉野の山中で目前に現れた蔵王権現の姿を桜の木に刻んで祀(まつ)ったという。このことから、本尊を刻んだ桜こそ、ご神木としてふさわしいと考えられるようになり、ご神木の献木という形で吉野山に桜が植え続けられたのである。
こうしたこともあり、吉野は現在まで桜の名所として愛され続け、多くの桜の歌が詠まれてきたのであろう。西行や松尾芭蕉も吉野に心を寄せていたことで知られる。西行は『山家集』に「よし野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはず成りにき」(吉野山の枝の先に咲いた花を見たあの日から、心はこの体に付き添わなくなってしまいました)という歌を残している。実際に私も、吉野山を訪れた折には、吉野の美しさに心を奪われ、西行のこの歌の心を実感するのである。
詠み人 坂上是則
さかのうえのこれのり 生没年未詳。900年前後に活躍。坂上田村麻呂の末裔。三十六歌仙の一人。