阿川佐和子 阿川正之 檀ふみ
笠置シヅ子
1914年(大正3年)8月25日に香川県大川郡相生村(現:東かがわ市)黒羽で生まれる。
生後間もなく父親が亡くなり、母親は静子を連れて実家に戻ったが母乳の出が悪かった
ため偶然近所へ出産のために帰省していた大阪市福島区の米屋の妻だった女性に貰い乳
をしていた。結局、その女性が自分の実子と共に静子を大阪へ連れて帰って養女となっ
たが、シヅ子が自身の出生について気付くのは後年になってからだった。
1927年(昭和2年)に小学校を卒業後、宝塚音楽歌劇学校を受験する。歌唱力と踊りは
申し分無かったが上背が小さいことと極度の痩せ型だったために過酷な宝塚生活に耐え
られないのではないかとの学校側の判断により不合格となった。しかし同年、「松竹楽
劇部生徒養成所」(OSK日本歌劇団のかつての養成学校である日本歌劇学校の前身)を
受験・合格し、娘役・三笠 静子の芸名で「日本八景踊り」で初舞台を踏む。
(当時、月給20円)
その後、1933年(昭和8年)に「秋のおどり・女鳴神」に出演すると、翌年には日本コ
ロムビアから「恋のステップ」(作詞:高橋掬太郎、作編曲:服部ヘンリー)でレコード
デビューを果たす。なお、1935年(昭和10年)に昭和天皇の末弟である澄宮崇仁親王が
「三笠宮家」を創立したのを機に、三笠姓を避諱して「笠置 シズ子」へ改名している。