昔「くうねるあそぶ」というコピーが流行った。昭和天皇崩御の前まで。確か自粛で声のないCMに差し替えられていた。
今日のわたしは「くうねる」しかない(笑)。日記は書いたが。たぶん「くうねるあそぶ」のキモは「あそぶ」だ。「あそぶ」こそが自立した個人としてのエンジョイライフなのだ。
読書はしている。「キムヨナのように」も読みたいし、6月号の写経も残っている。しかし机がないと出来ない...。つくづく環境は大事だと思う。二宮尊徳のようになれないな。そんなことじゃダメだろう!
明日は敗戦記念日だ。終戦記念日といいそうになるが、あえて敗戦記念日というべきだと思う。韓国では解放記念日となる。
この時期は戦記モノや敗戦モノが読みたくなる。子供の頃はよく戦地の夢を見た。あまりにリアルなので、誰かの生まれ変わりじゃないかとも思ったが、子供の頃から戦争映画はよく見ていたからそのせいだろう。
戦記モノではゼロ戦のエース搭乗員だった坂井三郎さんの「大空のサムライ」が秀逸だ。5機以上の敵機を撃墜したパイロットだけがエースと名乗れるが、彼は64機撃墜している。また自分に連なる二番機、三番機を落とされたこともなく、サブローサカイといえば米軍にまで尊敬されたパイロットだった。
「大空のサムライ」は自身の空中戦を事細かに解説している600ページくらいある書物だが、その具体的な記述のひとつひとつに、プロとしての一貫したセオリーがあり、命のやり取りのなかで発見したさまざまな言葉のきらめきがある。
坂井三郎さんは飛行気乗りとしてその才能を開花させた。それが戦闘機だったことが哀しい時代だ。
以下に引用するのは「大空のサムライ」のあとがきにかえてに出てくる言葉だ。常に心に刻んでおきたい。
(前略)数えきれないほどの敵と渡り合って命のやりとりをしたが、敵と渡り合う苦しさよりも、第二の天性をつくるまでに感じたいろいろの悩み、すなわち、怠けようとする心、妥協しようとする心、人をうらやむ心、等々いろいろのボンノウと闘うこと、言い換えれば、敵と闘うことより、自分に勝つことの方が、ずっと苦しいことであることを知った。
私は思う。普通の人間と言われる大部分の人たちが、果たして生まれてから自然に死んでゆくまでの長い期間に、自分が持って生まれた人間としての性能の何パーセントを使って、この世から去って行っているだろうか……と。私は、平均三十パーセントくらいだと考えている。あとの七十パーセントは捨てているのである。
(中略)この心構えを持ちつづけ、自分の力の最大限を燃やしつづけていきたいと思う。また、そうすることを、みなさんにもおすすめする。
さらに当時は天皇という絶対タブー(人質)を置いて、その下には何でも許されるといった論理で歯止めが効かなくなりました。現代日本では原発事故を開戦だとすれば、エネルギー枯渇を人質に原発が推進されようとしてます。作り上げた利権構造の温存でしかないこの構図はいつか来た道かもしれないですね。
NHKスペシャルは戦中編を見ましたよ。陸軍と海軍との権益争い。醜い主導権争いはいまも変わらないですね。