おぼえた日記

2013年8月29日(木)

枕草子、中宮晩年の回想段、

三条の宮におはしますころ、五日の菖蒲の輿など持ちてまゐり、薬玉まゐらせなどす。わかき人々、御匣殿など、薬玉して、姫宮・若宮につけたてまつらせたまふ。
いとをかしき薬玉ども、ほかよりもまゐらせたるに、あをざしといふものを持てきたるを、青き薄様を、艶なる硯の蓋に敷きて、
「これ、芭(ませ)越しにさぶらふ」
とて、まゐらせたれば、
   みな人の花やてふやといそぐ日も わがこころをば君ぞ知りける
この紙の端を引き破らせたまひて、書かせたまへる、いとめでたし。(222 段)

御乳母の大輔の命婦、日向へくだるに、賜はする扇どもの中に、片つかたは、日いとふうららかにさしたる田舎の館など多くして、いま片つかたは、京のさるべきところにて、雨いみじう降りたるに、
   あかねさす日にむかひても思ひ出でよ 都は晴れぬながめすらむと
御手にて*1 書かせたまへる、いみじうあはれなり。
さる君を見おきたてまつりてこそ、得ゆくまじけれ。(223 段)

を、7 か月後には逝去されるのだと考へながら、読んでゆくと、
   置くと見し露もありけり儚くて消えにし人を何にたとへん
なんて詩句が心を過(よ)ぎるのだが、この女(じょ)不幸だったのかな ?

定子が遺した「歌三つ書き付けられたりける中」の三つ目の歌が、
   煙とも雲ともならぬ身なりとも 草葉の露をそれと眺めよ*2。
10 年の後、一条帝の辞世の歌が、
   露の身の草の宿りに君を置きて 塵を出でぬることぞ悲しき。
この「君」は彰子を指すというのが通説だけれど、藤原行成は「権記」で、定子に寄せたものだと記している。

生きていくのは、身分の高下を問わず (定子さまも、彰子さまも、ついでにいえば、帝も)、かなしきことのみ多かりき、ですね。

(*1) 定子ほどの貴人が下しおかれる文(ふみ)は、たいていは女房の代筆で、自ら筆をとられる、それだけで「何事」かを意味するらしいです。
(*2) 「この御言のやうにては、例の作法 (火葬) にてはあらでと思しめしけるなめり、とて帥殿いそがせたまふ。(栄華物語)」ということで、定子の遺骸は荼毘に付されていない。一条帝は慣例通り火葬。

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