「『ドストエフスキーの創作の問題』 2-3
Проце́сс самоуяснения и постепенного прозрения того, что он в
сущности знал, что говорил его второй голос, составляет
содержание последующих часте́й романа. Процесс остался
неоко́нченным. Его прервала психи́чческая болезнь Ивана.
第二の聲が語つてゐたこと、本當は知つてゐたけれど知らない振りをしてゐたことを、理解し諒解するプロセスがこの小説の後續部分を構成する。このプロセスは終結に至らなかつた。イワンの精神の病いがそれを中斷させた。
」
さういふふうには私は理解してゐなかつた。イワンの自己認識は (確たる自己なんてものがあつたとして)、父親の殺害前も殺害後も大量の留保と逃げ口上つきのものであつた、といふのが私の讀後感である。
アポローンの神託によつて眞實を知つたオイディプースの運命はイワン・カラマーゾフの運命ではありえない、『カラマーゾフ』の第二部が書かれたとしても、それはない。
イワンのみならず、登場人物の誰もかれもの立ち位置も自己意識も неоко́нченным (圓を閉ぢてゐない) こと、といふか、圓の閉ぢてゐなさ加減、ゐなさ具合がしつくりこないことが、私にとつて『カラマーゾフ』が『罪と罰』や『白癡』ほど面白くない主たる原因なんだし。