※ caption : card to pick up(esp. hyakunin isshu karuta) Archbishop Henjo by Peter MacMillan (百人一首カルタ・取り札)
11/01(金)
「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよー」
英語で読む百人一首 ピーター・J・マクミラン
不思議の国の和歌ワンダーランド 第12番
2022年5月6日 京都新聞デジタル所載
天つ風
雲のかよひ路
吹きとぢよ
をとめの姿
しばしとどめむ
(百人一首カルタでの英訳)
Breezes of Heaven, blow closed
the pathway through the clouds
to keep a little longer
these heavenly dancers
from returning home.
Archbishop Henjo
[現代語訳]
天の風よ、雲の中の通り道を吹き閉ざしてくれ。すばらしい天女の姿をまだここに少し留めておきたいのだ。
* 歌は新編国歌大観の「百人一首」を原本とし、表記は適宜、かなを漢字に改めています。
💠 新訳
Breezes of heavens, blow closed
the pathway through the clouds
to keep a little longer
these heavenly dancers
from returning home.
⛅️⛅️🌬️🌬️🪭🪭 隠喩使い「雲の上」の光景リアルに 👑👑🎭🎭
この歌は、『古今集』の詞書(ことばがき)によれば、陰暦11月の豊明節会(とよあかりのせちえ)で五節舞(ごせちのまい)を舞う少女を見て詠まれたものである。豊明節会とは、五穀豊穣(ほうじょう)を願う宮中行事のあとに行われる公式の宴会のことである。一連の儀式が終わると、大歌所(おおうたどころ)の長官が歌人と楽人を率いて大歌を天皇に捧げる。大歌とは、民間の謡(うた)い物に対して、宮中での公式行事で使用される謡い物のことで、大歌所はそのための部署である。やがて舞姫が登場し、舞台の上で歌に合わせて舞が始まる。五節舞である。この歌では、その五節舞姫の少女の美しい姿を天女に例えている。
舞姫を天女に例えるのは大げさな表現と思われるかもしれないが、そうではない。五節舞はそもそも、天武天皇が吉野の宮で琴を演奏すると、眼前の峰に天女が降りてきて、琴の調べに合わせて袖をひるがえして舞ったのが始まりとされる。また、五節舞が舞われる宮中は、「雲の上」とも表現される。つまり天女伝説を踏まえたこの歌は、「雲の上」である宮中で歌われるにふさわしいのである。風が天女の帰り道を閉ざしてしまえば、天女たちは天上に帰ることはできず、しばし地上にとどまることとなる。舞姫の美しい姿をもう少し見ていたいという心情を表した歌である。
さて、この歌の良さは、隠喩の使い方にあると思う。「天つ風雲の通ひ路」と始めて、舞台を天上世界に設定する。それが実は宮中の比喩であることは、歌の中では明かされない。詞書を持たない『百人一首』の形で読めば、舞台が宮中であることはわからず、天上世界そのものを描いたように見えるだろう。特に「雲のかよひ路」という表現は、乙女たちの立っている場所が陸ではなく天の上なのだということに臨場感、存在感を与えている。天上世界の乙女たちをとどめたいと風に向かって願うという幻想的な世界観に、リアリティーが加えられる。こうした比喩のあり方はじつに歌らしく、「天つ風」、「雲のかよひ路」といった一つ一つの表現も美しい。
また「乙女」その人ではなく、「乙女の姿」をとどめたいと言っている点も注目に値する。乙女の舞っている情景を一つの場面として捉えて、その光景をまるごととどめたい、と願っているように感じられる。
英訳についてだが、今回「Breezes of Heaven」という訳に加え、「Breezes of the heavens」という"新訳"も用意した。「s」があるか、ないかだけの違いだが、ニュアンスはずいぶん異なる。単数形の「Heaven」はキリスト教などの天国という意味になる一方、後者の複数形の「heavens」は天空、天の国といった、ギリシャ神話などにでてくるような、より幻想的な天の世界を示す。キリスト教などの一神教に対して、日本は多神教である。このことからも「heavens」が「Heaven」よりもふさわしい。
詠み人 僧正遍昭
そうじょうへんじょう 816〜890年。平安前期の僧で歌人。六歌仙の一人。桓武天皇の孫で官位にも就いたが、仁明天皇の崩御後に出家し、後に僧正の位に就いた。