※ caption : Retired Emperor Yozei by Peter MacMillan
11/04(月)
「筑波嶺の峰より落つるみなの川ー」
英語で読む百人一首 ピーター・J・マクミラン
不思議の国の和歌ワンダーランド 第13番
2022年5月13日 京都新聞デジタル所載
筑波嶺の
峰より落つる
みなの川
恋ぞつもりて
淵となりぬる
(百人一首カルタでの英訳)
Just as the Minano River
surges from the peak
of Mount Tsukuba,
so my love cascades
to make deep pools.
Retired Emperor Yozei
[現代語訳]
筑波山の峰から流れ落ちるみなの川が、水かさを増して深い淵となるように、あなたを思う私の恋心も、ほのかな思いから、淵のように深い深いものとなりました。
* 歌は新編国歌大観の「百人一首」を原本とし、表記は適宜、かなを漢字に改めています。
💠 新訳
Just as the Minano River
flows from the peak
of Mount Tsukuba,
so my love cascades
to make deep pools.
⛰️🏔️🏞️🏞️💧🌲⛲️ 31音以上の情景、歌枕から想起
この歌は、恋心を流れ来る水のように捉え、それが積もるように集まってよどみ、、深い縁になった、と例えている歌である。第3句「みなの川」までは序詞(じょことば)で、恋心が深まっていくさまを隠喩で表現している。
初句に詠まれる「筑波嶺」は、常陸国(ひたちのくに)(茨城県)の筑波山の頂上のことをいう。筑波山には東西に峯が二つあり、西は男体山(なんたいさん)、東は女体山(にょたいさん)と呼ばれている。そしてその間を流れるのが男女川(みなのがわ)だ。
この筑波嶺のあたりでは古代、歌垣(うたがき)という催しが行われていた。歌垣とは男女が集まって踊ったり、歌を贈りあったりしたのち共寝(ともね)するというもので、求婚の場の一つでもあった。そのため、当時の人々は筑波嶺ときくと、男と女、恋愛を連想した。このように、それ自体が何らかのイメージを持つ地名のことを歌枕という。歌枕を詠み込むことで、31音に描かれた情景以上のイメージが、背景に浮かんでくるのである。
さて、作者の陽成天皇は、病気のため乱行が絶えず、宮中で起きた殺人の容疑をかけられたこともあった。この歌の詞書(ことばがき)には、「釣殿(つりどの)の皇女(みこ)につかはしける」(光孝天皇の皇女に贈った歌)とあり、実在の内親王に贈った歌であるとされる。彼女は後に陽成天皇の后(きさき)となる人で、この歌には天皇純粋な恋心が詠まれていると理解されることが多い。
ただ歌枕に着目すると、違う読み方ができるかもしれない。「筑波嶺」を詠むことで、ことば以上に意味が広げられている。すなわち、陽成天皇はこの歌枕を用いることによって、歌垣や共寝という男女関係を示唆しているという捉え方だ。これは定説ではないけれども、姫君はこの歌を受け取った時、その場面を思い起こしはしなかっただろうか。歌枕を踏まえてこの歌を読んでみると、雅な恋物語というよりは、ひょっとするといくらか直接的な歌と取れるかもしれない。
翻訳においては、「峰より落つる」の部分に苦労した。英語の感覚では、川は峰の間を流れるもので、峰から流れてくるものではない。日本語の原文には「flow(流れる)」の方が合うが、英語としては「surge(勢いよく湧き出る)」の方が自然で、しかも人の気持ちが募る様子にも使う言葉である。熟考の末、「flows fro the peak」というのはやや違和感のある言い回しではあるが、本来の歌のニュアンスに近いのではないかと思い、新訳ではこちらを採用した。
英訳には、歌枕によって広げられたイメージを伝えることが難しい。とはいえ、そのまま読んでもとても素晴らしい歌である。現代の日本人も、歌枕によってイメージが呼び起こされるということは決して多くはないだろう。その意味では、和歌を鑑賞するときの現代日本人と外国人の感覚は、実はそう遠くないのかもしれない。つまり、解説に頼りさえすれば、外国人も日本人と同じように和歌を楽しむことができるのである。
詠み人 陽成院
ようぜいいん 868〜949年。第57代天皇。乱行を理由に関白藤原基経によって退位させられた。上皇だった期間は65年に及び歴代最長とされる。