※ caption : card to pick up(esp. hyakunin isshu karuta) Ono no Takamura by Peter MacMillan (百人一首カルタ・取り札)
10/30(水)
「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬとー」
英語で読む百人一首 ピーター・J・マクミラン
不思議の国の和歌ワンダーランド 第11番
わたの原
八十島かけて
漕ぎ出でぬと
人には告げよ
海人の釣船
(百人一首カルタでの英訳)
Fishing boats upon the sea,
tell whoever asks
that have sailed away,
out past countless islets
to the vast ocean beyond.
Ono no Takamura
[現代語訳]
大海を多くの島々を目指して漕ぎ出でていくのだと、都にいる人たちだけには伝えておくれ、漁師の釣船よ。
* 歌は新編国歌大観の「百人一首」を原本とし、表記は適宜、かなを漢字に改めています。
💠💠 新訳
Fishing boats upon the sea,
tell the one I love
that I've sailed away to exile,
out past countless islets
to the vast ocean beyond.
🎣🚣♀️🌊🚢 故郷離れる寂廖感しみじみ
今回の和歌は、小野篁(おののたかむら)が流罪になったときのもの。「古今集」の詞書(ことばがき)は、「隠岐国に流罪になったときに、船に乗って流刑地へ出発するといって、都にいるの人のもとに贈った和歌」とする。篁は遣唐副使に任命されていたが、船の用意のトラブルから乗船を拒否し、政権批判を行なったため、隠岐国へ流されることになってしまった。舟に乗り、今まさに流されようとするときの和歌である。これから篁の向かう場所は都から遥(はる)か遠くだ。現在のように気軽に連絡の取れる時代ではなく、流罪になるということは大切な人々との別離に直結する。『百人一首』では詞書がなくなり詠歌の具体的な状況はわからないため、より普遍的な別離の和歌に見える。
この和歌には寂しさや悲しみが直接表されていない。歌に描かれているのは広大な海とぽつんとある舟、都に残してきた人への思いだけなのだ。篁は海人釣船に向かって、自身の出発を告げてほしいと頼む。釣船はもちろん返事をしないし、都の人に伝えてもくれないだろう。それがわかっていても、舟にまで呼びかけずにはいられないのだ。直接に孤独を詠むよりもかえってもの悲しく、余情の豊かな歌ではないだろうか。
さて、英訳の際には、『古今集』の詞書を踏まえて訳す方法と、詞書を持たない『百人一首』の和歌のみによって訳す方法と二通りがある。カルタの訳は後者だが、『古今集』の詞書に基づいて「Exile(流罪)」を補った訳も新訳として別に載せる。また「人」は京の親しい人を指すと解釈しているが、「tell everyone(皆に言って)」と直訳すると、散文的で自分自身の辛さを前面に押し出している印象を与えてしまう。これでは多くを語らない歌の雰囲気が損なわれるため、「tell whoever asks(尋ねた人に伝えて)」と柔らかく訳し、悲しみが婉曲的(えんきょくてき)に表すもとのニュアンスを大切にした。ただ「人」は京に残した篁の恋人とも解釈できるので、別訳ではそのように訳した。
流罪の意をとるか否か。この違いは、アイルランド出身の私にとってとても大きい。アイルランドでは「exile」は日本以上に文学の大きなテーマである。流罪と亡命は、英語ではどちらもexileで表す。20世紀に至るまで、アイルランドは数百年にわたってイギリスの植民地で、亡命が多くあった。また、19世紀には大規模な飢饉(ききん)が発生し、200万人ほどが国外に逃れたとされている。ジェイムス・ジョイスやサミュエル・ベケットなどアイルランドを代表する文学者も国外に移った。ジョイスの小説『若き芸術家の肖像』は最後に主人公が海外に行くところで終わる。これはとても有名な場面で、アイルランド人の魂に刻まれていると言っても過言ではない。
私自身も母国を離れたアイルランド人のひとりである。帰郷するたびに、そして再び出発するたびに、私はしみじみと母国を離れたことを実感する。私は流罪になったわけではないが、この歌の寂寥感(せきりょうかん)には大いに共感できるのだ。
詠み人 参議篁
さんぎたかむら 小野篁。802〜852年。漢詩人として活躍した。「参議」は太政官の官職の一つで、大、中納言に次ぐ要職。