※ caption : card to pick up(esp. hyakunin isshu karuta) Priest Sosei
by Peter MacMillan (百人一首カルタ・取り札)
11/25(月)
「吹くからに秋の草木のしをるればー」
英語で読む百人一首 ピーター・J・マクミラン
不思議の国の和歌ワンダーランド 第22番
2022年7月15日 京都新聞デジタル所載
吹くからに
秋の草木の
しをるれば
むべ山風を
嵐といふらん
(百人一首カルタでの英訳)
In autumn the wind has only to blow
for leaves and grasses to perish.
That must be why the characters
'mountain' and 'wind'
together mean 'gale'.
Fun'ya no Yasuhide
[現代語訳]
嵐が吹くとすぐに秋の草木が折れるので、なるほど「山から吹いてくる風」のことを荒い風「嵐」というのであろうよ。
* 歌は新編国歌大観の「百人一首」を原本とし、表記は適宜、かなを漢字に改めています
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日本の絵と詩の境界線 緩やか
今回の歌は、言葉遊びの歌である。「嵐」という漢字が「山」と「風」から成り立っていることから、「嵐」という一つの漢字の中にある「山」と「風」を切り離して読み込む文字遊びが盛り込まれている。これは中国の「離合(りごう)詩」という詩の技法に学んだものらしい。さらに「秋」+「草」=「萩」、「秋」+「木」=「楸(ひさぎ)」が隠されているかもしれないという説もある(岩波新日本古典文学体系『古今和歌集』)。こうなると超絶技巧にただただ感服するしかない。
実は、この歌の作者を康秀の子、朝康とする説がある。ただ、定家が書写に参加した『古今集』の写本では、作者は康秀となっており、康秀の歌として定家が認識していたことは疑いない。『百人一首』には、この歌とは別に朝康の歌も入っている(第37番「白露に」)。『百人一首』が成立してから数世紀の後(のち)、近世中期に川柳という様式が生まれると、この親子について「二人とも文屋は秋の風を詠み」(文屋は二人とも秋の風を詠んでいる)という句が詠まれた。(『柳多留』五十六篇)。歌がるたの代表的な存在として『百人一首』が世に広まったこともあり、この歌は父・康秀の歌として世間に浸透したようだ。
さて、このような、いわばピクトグラム(絵文字)のような言葉遊びの和歌は、漢字がないとできない。日本では古来、屏風歌(びょうぶうた)や、絵に漢詩などの文字をプラスした画賛(がさん)のように、絵に文学作品を合わせることが広く行われた。第6番で取り上げた『扇の草子』もその一つだ。日本人の頭の中にある絵と詩歌の間の境界線は、緩やかであるように感じる。というのも、西洋では、絵と詩がはっきりと区別されているからだ。実際の風景を詠んだ歌というのは多くある。しかし、絵画に基づいて詩歌を作った例は、古くホメロスなどが行ってはいるものの、日本の詩歌ほどは挙げられない。
今回の英訳は、この歌の言葉遊びを何とか英訳に落とし込もうという挑戦だった。ふたつの単語を組み合わせて別の意味の単語とするような英訳は難しそうだ。ところで、この歌が詠まれた当時、日本語で「嵐」というと、山風や強風を指していたらしい。時代がかなり下った現代では、「嵐」というと強風に加えて雨も降っている様子を指すが、漢字に雨のパーツは見えない。現代を生きる外国人の私には、「嵐」の漢字から雨のパーツが抜け落ちていることを少し不思議に感じた。この違和感を英訳で表すことはできないだろうか。しばらく悩んでいると、英語には「gale」(ものすごい強風)という単語があることを思い出した。これは通常、海の風を表すときにしばしば使われる言葉なので、山風を表すためにあえて使用してみた。「嵐」なのに風にしか言及しない歌に対して私が感じたちょっとした現代日本語とのずれを、英語話者にとって山風を「gale」と表現する違和感へと変換しいてみたのだが、いかがだろうか。
🎋🎏🌸🎎🎍🎑⚡️ {二十四節気}
古代から続く七夕行事
{小暑}
今年の夏はずいぶん早く来たようだ。すっかり暑さも本格的な今日この頃である。だが、まだ「小暑」、さらなる暑さはこれからである。
皆さんは七夕伝説をもちろんご存じだろう。毎年七月七日になると、織姫と彦星が天の川を渡って年に一度の逢瀬(おうせ)を果たすという、あの伝説だ。もとは中国の伝説が日本に輸入されたもので、それが日本にもともとあった棚機女(たなばたつめ)伝説と融合したと考えられている。この伝説はかなり古くからあって、『百人一首』の第6番「かささぎの」も七夕伝説をもとにしている。
古くから伝わって来た伝説が現代も季節の恒例行事として残っていることに感心する。晴れた日は美しい夜空を見上げ、織姫と彦星に、長く伝統を受け継いできた日本文化に想いを馳(は)せたい。
詠み人 文屋康秀
ふんやのやすひで 生没年未詳。800年代後半の官人、歌人。六歌仙の一人。小野小町と親密だったとされる。