おぼえた日記

2024年11月15日(金)

※ caption : card to pick up(esp. hyakunin isshu karuta)  Fujiwara no Toshiyuki
by Peter MacMillan (百人一首カルタ・取り札)




11/15(金)
「住之江の岸による浪よるさへやー」

英語で読む百人一首 ピーター・J・マクミラン

不思議の国の和歌ワンダーランド 第18番

2022年6月17日 京都新聞デジタル所載





住之江の
岸による浪
よるさへや
夢の通ひ路
人目よくらむ




(百人一首カルタでの英訳)

Unlike the waves that approach
the shores of Sumiyoshi Bay,
who do you avoid the eyes of others,
refusing to approach me-
even on the path of dream?








[現代語訳]

住之江の岸に寄る浪ではないが、現実の世界ばかりでなく夜までも、夜の夢の世界の通い路でさえも、あなたは人目を避けようとなさるのか。



* 歌は新編国歌大観の「百人一首」を原本とし、表記は適宜、かなを漢字に改めています








🌊🗻🗻⛲️⛅️⛅️🌬️🌬️👘🎭

夢で逢えたら、なんて素敵な発想 

古代において、夢は肉体を残して魂だけが通っていくものと信じられていた。この発想から『万葉集』以来、恋人への想(おも)いが募り、夢の中で逢(あ)いに来てくれることを願う歌が多く詠まれた。古典における夢と恋を語る上で小野小町は欠かせない。彼女が詠んだ『古今集』の「思いつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚(さ)めざらましを」(想いながら寝たのであの人の姿が夢に見えたのだろうか。夢だと知っていたら目覚めなかったのに)をはじめとする歌には、古代の夢に対する信仰の名残と女性の恋心が叙情的に描かれている。魂が抜け出して恋人のもとに逢いにくるという発想は西洋にはないが、私にとってはとても共感できる。亡くなった人の魂がやってくるという信仰は世界各地にあるが、生きたままで会いにいくという話は聞かない。そんなことができたなら、私も遠く離れた愛(いと)しい人のもとを訪れてみたいものだ。

この歌に出てくる住之江は、摂津国(大阪府)の住吉(すみよし)の浦。初句、2句は「岸に寄る浪夜さへや」と同じ音を繰り返した序詞(じょことば)。英訳では「波が寄る」の訳である「approach」を下の句でもう一度用いることで「よる」の音の繰り返しを表してみた。「岸に寄る浪夜さへや」の序詞によって導かれる「夢の通ひ路」は、夢の中で(好きな相手のもとに)通う道のこと。英訳では「the pass of dreams」、新鮮な表現だ。英語の詩としても、とても美しく響く歌である。

ところで平安時代の恋愛を考えてみると、男が女のもとへ通うことが普通であった。つまり、相手が通ってこないことを詠むこの歌は女の歌ということになる。だが、作者藤原敏行は男性である。これは、この歌が本来「歌合(うたあわせ)」という催しの中で詠まれたことと関係する。歌合は、歌人を二つのグループに分け、歌の巧拙を競う遊びである。歌合の歌は日常の中での発見や思いを詠んだものではなく、歌合もためにフィクションとして作られた歌だ。そのため、男性が女性の立場で詠む場合や、女性が男性の立場で詠む場合、また宮廷で生活している人が、出家して山の中に庵を結んでいる人の立場で詠む場合や僧侶が恋の歌を詠む場合などがあった。そのいずれもがごく当たり前だったのだ。『百人一首』を撰(えら)んだ定家の時代には、歌合が非常に盛んに行われていた。定家をはじめ当時の人々にとっては、この歌の主人公の性別が作者のそれと違っていることは違和感を抱くようなことではなかった。

現代の短歌や詩は、自分自身の気持ちを表現する手段として使われることが多い。だから昔の和歌に接するときも、まるで自分の感情を託した作品であるかのように鑑賞してしまうのだが、必ずしもそうではないのだ。とはいえ、今回の歌の痛切な訴えは、普遍的に我々の胸に響いてくる。








📜🪟⚱️🪔🖌️  {英語ワンポイント}

明治期に生じた意味の拡張


今回の訳の「the path of dreams」は、夢の中で恋しい人のもとへ通うという発想があまりない西洋人にとっては、斬新な表現に感じられる。しかし「dream」という単語は、英語と日本語とで意味が重なる語だ。英語でも日本語でも、夜にぼんやりと見る「夢」も、将来について抱く「夢」も、同じ単語で表す。ただし、もともと日本語では、「夢」は寝ているときに見るものという意味しかなかったらしい。明治期に日本語が英語に大きく接触したことで、英語の「将来についての『夢』」の意味が、日本語にも取り入れられた。言語はこんな風に意味を拡張することもあるのだ。


詠み人 藤原敏行朝臣

ふじわらのとしゆきあそん 生年未詳〜907年?。神護寺鐘銘を書いたことで知られる能筆家。業平とは妻同士が姉妹。

コメント欄は語学を学ぶみなさんの情報共有の場です。
公序良俗に反するもの、企業の宣伝、個人情報は記載しないでください。
※コメントするにはログインが必要です。
※コメントを削除するにはこちらをご覧ください。
送信

HUITTさんを
フォロー中のユーザ


この日おぼえたフレーズ

おぼえたフレーズはありません。

HUITTさんの
カレンダー

HUITTさんの
マイページ

???