源氏物語 関屋
行くと來と せき止めがたき涙をや 絶えぬ清水と
人は見るらむ
え知りたまはじかしと思ふに いとかひなし
あふさかの関やいかなる関なれば繁《しげ》き
なげきの中をわくらん
うたたねの記
いとせめてわびはつるなぐさみに。さそふ水だにあらばと
朝夕のこと草に成ぬるを。そのころ後の親とかたのむべき
ことはりも淺からぬひとしも。遠つあふみとかや聞もはる
けき道を分て。都のものもうでせんとてのぼりきたるに。
何となくこまやかなる物語などするつゐでに。かくてつく
〴
〵
とおはせんよりは。ゐなかの住ゐもみつゝなぐさみたまへ
かし。かしこも物さはがしくもあらず。心すまさんひとは
すみぬべきさまなるなど。なをざりなくいざなへど。
さすがひたみちにふりはなれなん都のなごりも。いづくを
しのぶこゝろにか。心ぼそくおもひわづらはるれど。
あらぬすまゐに身をかへたると思ひなしてとだに。
うきをわするゝたよりもやとあやなく思ひたちぬ。
くだるべき日にもなりぬ。よふかくみやこを出なんとするに。
ころは神無月の廿日あまりなれば。有明の光もいと心ぼそく。
風の音もすさまじく身にしみとをる心ちするに。人はみな起さ
はげど。人しれずこゝろばかりには。さてもいかにさすらふる
みのゆくゑにかと。たゞ今になりては心ぼそきことのみおほか
れど。さりとてとゞまるべきにもあらねば出ぬるみちすがら。
先かきくらす泪のみさきにたちてこゝろぼそく悲しきことぞ
なにゝたとふべしとも覺えぬ。ほどなく逢坂山になりぬ。
をとに聞し關の淸水もたえぬ淚とのみ思ひなされて。