Today, August 6 , is the anniversary of the atomic bombing of 「Hiroshima」.
I watched the TV-documentary that the story of a woman who was exposed to radiation in the atomic bombing of Hiroshima .
She wrote some Haiku about her tragic experiences but they were completely forgotten till this time .
She never told her family about her experience of atomic bomb ,so her son didn’t know anything at all about this .
I thought there must be more stories like this .
今日は“原爆の日”原爆が投下されて79年をを迎えます、平和記念公園で式典が営まれました。
原爆投下から10年後に出版された句集「広島」が2年前に関係者宅から発見された。句集には被爆者たちのさまざまな体験や被爆の惨状をありありと表現した俳句が収められている。
そんな句集に初めて出会った俳人の夏井いつきさん。作者の足跡をたどり、遺族や関係者の話を聞くことで、被爆者たちが俳句に込めた思いを探る。夏井さんの目線を通して原爆の悲惨さを見つめ直し、被爆体験を継承するための“原爆俳句”の意味を考える。
そのなかで当時19歳の少女・新庄美奈子さんの俳句を夏井いつきさんが読み解いた、と言う話が紹介されていました。
☆洞暑く肌へ爛れし父に会ふ
☆こときれし父を抱きて明易し
☆汗の手を握り死体の腕切らんと
衝撃的なのは3句目で 全身やけどをおった父親の収容先が軍の施設内であったためそこで火葬することが許されず、
手首を切り落として遺体の一部として持ち出して火葬した、
こんな残酷な現実を美奈子さんは俳句を作ることによって乗り越えられたのではないか、と夏井いつきさんは言っていました。
その後の取材で美奈子さんの長男さんの話から、その後の様子も少しわかったのですが、家族へ原爆の話は一切していない、また俳句も作っていなかった、
しかし彼女は絵画を描いていて静かな穏やかな雰囲気の花の絵を紹介していた、55歳でがんで亡くなった、と言うことでした。
いまもあちらこちらで戦争が、そして負傷者何名、死者何名、とニュースを頻繁に目にします、なんとか平和な世界を、と願っています。
写真:レンコンの絵手紙です、レンコンの穴から平和な明るい明日を見たいものです。
あんな悲惨なことは2度と起こしてはいけません。なのに、世界中で戦争の絶えないことに憤りを感じます。
絵手紙、相変わらず秀作です。なぜ絵のコメントがこれなのか、下の文を見て合点しました。
世界平和を究極の目的としたオリンピックが開催されている今もなお戦争があちこちで起きていることに胸が苦しくなります。
原爆資料館も展示物が変わったと聞きます。30年くらい訪れていないので行ってみたいです。
毎年、今の時期は平和について真剣に考えます。
その気持ちが若い人にも受け継がれていっているのかなと望みをつないでいます。
オバマさんが来たあと、留学生が広島に行き、オバマさんがささげたという鶴の折り紙の写真を送ってくれました。
私はその写真をいまだにもっています。