私は 2 次方程式もろくにできないけど、65 歳になる今日 (発言当時) まで全然不自由しなかった。(曽野綾子)
試訳 :
Je ne peux pas résoudre même l'équation du second degré, mais jusqu'aujourd'hui je n'ai eu aucun inconvenient pendant 65 ans de ma vie.
私 (ilya) は「猫ふんぢゃった」さえも全く弾けなくて、だからといってそれで不自由を感じた覚えもない。けれど、いつの日か「Goldberg-Variationen」を Glenn Gould 並みにとは望まないが、弾けるようになりたいものだと思っている。
「ありそうですね!」の「!」に、ゆきだるま さんの、感慨を感じてしまいました (笑)。
お嬢さんの絵、素敵ですね。
でも、歴史はもっと真剣に勉強しておくんだった(>_<)と思うことがよくあります(^_^;
comment をありがとうございます。
Glenn Gould の「Goldberg-Variationen」は、私の best of the best の一つです。
私は、実をいうと小学校での縦笛を除くと、これまでピアノどころか、楽器には手も触れたことがないのです。
どうしましょうか。
こんな風に書いておけば、そのうち始めるだろうとの、自分への呪文みたいなものです。
この話には続きがあって、いわく、
三浦朱門は曽野綾子のこの言葉をひいて、学校でどこまで数学を教えるかは「数学大キライ」な人を半数以上含めて議論すべきだと主張した。
のだそうです。
私はそのとき秘かに、では歴史は「歴史大キライ」な人を半数以上含めて、古文は「古文大キライ」な人を半数以上含めて、議論すべきではないかと考えた覚えがあります。
”「Goldberg-Variationen」を Glenn Gould 並みに”ってilyaさんらしいすごい表現ですね。グールドがお好きなのでしょうか。
私は、これまでピアノは弾いたことがないけれど、いつか弾いてみたいなあと常々思っています。
#実は今、グールドの「Goldberg-Variationen」を聴きながらコメント書いています。グールド聴くのはものすごく久しぶりです。素敵ですね。以前はあの独特な弾き方(姿勢)ばかりが目についていました。きっかけいただきありがとうございました。
人には得手不得手がありますが、自分ができることだけではなく
やるべきことが出来れように挑戦は必要でしょう。
昨日から雨が降り続いています。これで水不足も一気に解消できれば好いですね。
実りの秋到来です。今日は本屋さんでフランス語のテキストを買おうか悩みましたが
当面は中国語、スペイン語だけにしてトラッドジャパン10月号を買ってしまいました。
何時もの衝動買いですね。