Hold someone accountable(人に責任を取らせる)
hold someone accountableはhold someone responsibleと同じような意味を持ち、「誰かに責任を負わせる」ことを意味します。
accountabilityはある出来事の結果に対する責任を表す状況で使われ、多くの場合、自分の失敗や間違いを認めて責任を取る意味として使われます。
例えば、みんなで目標を達成したいような状況ではhold each other accountableが一般的に使われ、お互いが責任を持って最後までやり抜くという意味合いが込められています。
その他、accountable for ~の形式でよく使われ、「あなたは自分の行動に責任を持たなければならない」は“You have to be accountable for your own actions.”、「今回の出来事は自分が責任を取ります」は“I hold myself accountable for what happened.”という具合に使われます。
If we want to accomplish this goal, we need to hold each other accountable.
(この目標を達成するためには、互いに責任を持つことが必要です)
He always blames others and never holds himself accountable.
(彼はいつも他人のせいにして、自分の責任を取ろうとしない)
Great leaders lead by example and hold themselves accountable for everything.
(優れたリーダーは手本を示し、全ての責任を負います)
Get carried away(我を忘れる)
carried awayは、我を忘れるほど何かに夢中になったり興奮したりすることを意味します。
感情があまりにも高ぶってしまい、自分自身の言動をコントロールできなくなってしまうというニュアンスがあります。
この表現は一般的にgetと組み合わせて使われ、例えば「彼は政治の話をしはじめると夢中になる」は“He gets carried away when he starts talking about politics.”という具合に言います。
状況によっては「調子に乗る」と訳すこともでき、「調子に乗ってお金を使い過ぎてしまいました」は“I got carried away and spent too much money.”と言います。
I got carried away and said some things I shouldn’t have.
(調子に乗って、言ってはいけないことを言ってしまった)
I got carried away and bought too many things on Black Friday.
(ブラックフライデーに調子に乗っていろいろ買いすぎた)
I got carried away with my work and lost track of time.
(仕事に夢中になり、時間を忘れてしまいました)
For better or worse(良くも悪くも)
for better or worseは「良くも悪くも」を意味する口語表現です。
例えば、「良くも悪くも彼は率直な人だ」は“For better or worse, he’s a straightforward person.、「良くも悪くも転勤することになった」は“For better or worse, I’m getting transferred.”という具合に使われます。
For better or worse, I’m moving back to Japan next month.
(良くも悪くも、来月には日本に帰国することになりました)
For better or worse, I get to work from home a couple of times a week.
(良くも悪くも、週に2、3回は自宅で仕事ができます)
For better or worse, students can take classes on Zoom now.
(良くも悪くも、学生はZoomで授業を受けられるようになった)
Get away with(許される)
get away withは「許される」や「何の罰も受けないで済む」を意味します。
特に、何か悪いことをしたのに逃げ切ることができたり、何の罰も受けずに済んだりする意味合いが込められています。
例えば、カンニングをしたクラスメイトが罰を受けずに済んだ場合は、“He got away with cheating.”のように表現します。
その他、ずるいことをした相手に「ただでは済まないぞ!」と言いたい時は“You won’t get away with this!”、大きな交通事故に遭ったが「彼女は軽傷で済んだ」と言う場合は、“She got away with minor injuries.”のように言います。
You didn’t get a speeding ticket? How did you get away with that?
(スピード違反で切符を切られなかったの?どうやって許されたの?)
My younger brother always gets away with everything.
(私の弟は、いつも何をやっても許される)
When I was young, I used to get away with using my friend’s ID to get into bars.
(若い頃、友人の身分証明書を使ってバーに入っていました)
Two sides of the same coin(別々の物に見えるけど実は同じ)
直訳で「同じコインの二つの面」となるこの表現は、表面上は全く逆に見えても根本的には同じであることを意味します。
例えば、「愛と憎しみは表裏一体である」は “Love and hate are two sides of the same coin.”という具合に表します。今日の会話でマイカは、“two sides to the coin”と言いましたが、これは“two sides of the same coin”の言い換え表現になります。
一般的には、“two sides of the same coin”または“two sides of a coin”と表現します。
The way I see it, crisis and opportunity are two sides of the same coin.
(私が考えるに、危機とチャンスは表裏一体です)
Study shows that poverty and poor health are two sides of the same coin.
(貧困と不健康は表裏一体であることを調査が示しています)
You can argue that genius and madness are two sides of the same coin.
(天才と狂気は表裏一体であると言えるでしょう)
p.s. 写真は深大寺植物園のショット。
『塩の歴史』
塩についての歴史は人類史ほど古いものです。
人間の文化や宗教、そして経済、社会や政治の発展に深く根をおろしています。
昔、塩は給料として支給され、かつ戦争の原因となった例も少なくありません。 古代のエジプトでは、塩は死体防腐処置の際に使用されたのです。
また、古代ギリシャでは塩を手に入れるために奴隷と交換することさえあり、古代ローマにおいても塩は、給料として軍団の兵士に支給されました。
世界の宗教をちょっと調べてみるだけでも、信仰や習慣などが塩といかにも深い関連にあることが明らかです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」では、ユダがテーブルの上で塩入れを倒して、塩を撤き散らす(塩を撒き散らすのは悪をもたらすと思われる)場面が画かれています。
迷言深い船乗りは、長い航海中に塩を決して海へ投げることはしなかったばかりか、塩という言葉を口に出すことも避けようとしていました。
中世の時代に地中海地方では、海から陸を横断して行っていたキャラバンの、その度に運ぶ重荷の内には、必須のものとして塩も入っていました。
このように、「塩」なしには人間の歴史は語られないと言っても決して言い過ぎではないでしょう。
最後の晩餐のユダをあらためて見てみましたが、袋を握りしめている右手の前に塩の瓶が倒れていて、確かに塩がこぼれていますね。こうしたところにもメッセージがこめらているのですね。
塩って不思議な物質ですね、おむすびは塩だけでも美味しくなりますね。
日本人は岩塩よりも海の塩が体にあっているとか、いろいろ聞かされました。
夫は減塩生活なので、私だけ時々なめております。
さて、どちらが長生きするか神のみぞの世界です。