О "Пословицы про еду и не только"<食にまつわることわざいろいろ>についてのいろいろ
①Любовь не картошка, не выкинешь в окошо. 愛はじゃがいもではないから、窓から投げ捨てることはできない。
*не+不完了体=禁止 не+完了体=不可能性
『ロシア語教程』の後ろの方に載っていたのを覚えている。
そう言われてもピンと来ず、教室中皆でぽかんとしてしまったことを。
②Чай не водка, много не выпьешь. お茶はウォッカではないので、沢山は飲めない。
う~ん、初めて聞くフレーズだ。
③Хлеб-соль ешь, а правду режь. もてなしを受けても真実ははっきり言うこと。
④Щи да каша -- пища наша. シチー(キャベツスープ)とカーシャ(お粥)は我らが糧。
⑤Первый блин всегда комом. 一枚目のブリン(パンケーキ)はダマになって上手く焼けない。
⇒応用例:Первый Блохин всегда комом. ブロヒン監督、緒戦を飾れず。
http://www.gazeta.ru/sport/rfc/2669168.shtml
こないだウクライナ代表監督を辞任したオレグ・ブロヒンさんが、2008年春、今は亡きFCモスクワの監督に就任して臨んだ最初の試合、対ルチ=エネルギヤ・ウラジオストク戦に引き分けたときのガゼータ・ルーの記事の見出し。блинにーохーを入れるとБлохинなので、あまりレベルの高くない駄洒落になっていた。
⑥Голод не тётка, пирожка не подаст. 飢えはおばさんではないから、ピロシキをくれはしない。
これも最初に聞いた時は素でぽか~ん状態になった表現。
じゃ、おばさんは大抵ピロシキをくれるという認識でいいのか??とか想像した。
⑦Без блинов не масленица, а без пирога не празник. ブリヌィがなければマースレニッツァとは言えないし、ピローグがなければお祭りとは言えない。
マースレニッツァはカーニバルに相当する、復活祭前のもの忌みの期間に入る前の派手なお祭り。
マースレニッツァでは
Не всё коту масленица(, бывает и великий пост). 猫にとっていつもマースレニッツァとは限らない(、大斎のこともある←この後半部分は略されることが多い)。=楽あれば苦あり。
ということわざもある。マースレニッツァの時は猫もご馳走を食べているのか。
⑧Не красна изба углами, а красна пирогами. その家のよさは(イコンを祀った)美しい隅ではなく、ピロシキにある。
⑨В Тулу сосвоим самоваром не ездят. トゥーラに自分のサモワールを持って行く人はいない。⇒郷に入れば郷に従う。
黒田先生が「日本で言えば何ですかねえ」とおっしゃったら、クラスメイトのリューダさんは「燕三条にマイスプーンでしょうかね」と間髪いれずに答えたのだった。
だから強烈に記憶に残っている。