今日の映画のタイトル
«Третья Мещанская (Любовь втроем)»
「第三小市民通り(二角愛)」
邦題は「ベッドとソファ」
17日に観に行ったロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム展にもポスターがあった、アブラム・ローム監督によるサイレント映画の傑作。
二つの角の一方は伸び盛りのモスクワで力一杯働く建設作業員の夫(ニコライ・バターロフ)、もう一方が地方から出てきて新聞社勤めとなる夫の友人(ウラジーミル・フォーゲリ)。
妻に対してちょっと蔑んだ態度をとる夫に対して、友人は優しくて知的。出張中にいい関係になってしまい、«ベッドとソファ»が入れ替わるのだけれど、実はどっちもパートナーとしての女性に対する態度には変わりがなく、しまいに愛想をつかされる、という古くて新しい問題が、革命直後のソヴィエト社会でもあったわけで、しかしそれが映画作品として公の目に触れることができたのも、ネップというちょっと統制の緩んだこの時代ゆえであり・・・。
ネップという時代背景は題名のТретья Мещанскаяにも充分に反映している。
Третья Мещанскаяではулицаが略されているが、ここはソ連の通りの名前としてよくある「建築者通り」(←「運命の皮肉またはいい湯を!」)や「プーシキン通り」や「河岸通り」や「公園通り」などではなくて、敢えて「小市民の」なのだから。
улицаは「通り、街路」という意味と共に、「戸外」という意味でもよく使われれる。
数日前に、уходить/уйтьとвыходть/выйтьの使い分けについての復習をした際に、
★выходть/выйтьは「(中から外へ)出る」という意味だから、対応する前置詞はиз/сで、в/наとは結びつかない
と書いた。
書いていながら、練習問題で
Она вышла из лифта и вышла на улицу.
というのが出てくるのは、「エレベーターから出て戸外に出た。」ということを述べている。
このвыходть/выйть на улицуは「外に出る」という一連の意味を持つ表現なので、выходть/выйтьがнаと結びついていても不自然ではない。
もし、улицаが「戸外」ではなくて、具体的な街路である場合には、やはりвыходть/выйть на+対格はない。
「彼女は第三小市民通りへ出掛けた。」
*Она вышла на Третью Мещанскую улицу.
→Она ушла на Третью Мещанскую улицу.
>Она (уходила) полчаса назад.
私の元々の答えはОна ушлаだったので、完了体を使うという人がいるとわかって、私の感覚もあながち外れてはいなかったのだとほっとしました。
なぜуходилаなのかの説明は以前書いたように、「行ってしまった」という行為にではなくて、それがいつだったのかがポイントだから、とのことでした。
と、説明されても、たぶん私自身は、こういうときに完了体で答えてしまうのだろうなあという気がしています。
で、それで大丈夫という人がいるのは心強いです。