※ caption : card to pick up (esp. hyakunin isshu karuta) Fujiwara no Sadakata
by Peter MacMillan (百人一首カルタ・取り札)
12/02(月)
「名にし負はば逢坂山のさねかづらー」
英語で読む百人一首 ピーター・J・マクミラン
不思議の国の和歌ワンダーランド 第25番
2022年8月05日 京都新聞デジタル所載
名にし負はば
逢坂山の
さねかづら
人に知られで
くるよしもがな
(百人一首カルタでの英訳)
If the 'sleep-together vine'
that grows on Meeting Hill
is true to its name,
I will entwine you in my arms,
unknown to anyone.
[現代語訳]
逢坂山のmさねかずらが、そのように「逢って寝る」という名を持っているならば、つる草のさねかずらが手繰(たぐ)れば来るように、人に知られないであなたのもとに行く方法があればなあ。
* 歌は新編国歌大観の「百人一首」を原本とし、表記は適宜、かなを漢字に改めています
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「名」と「ことがら」結びつけ言葉遊び
この歌は、さねかずらに添えて女性に贈った歌であろう。「さねかずら」をキーワードとして、女性のもとに行きたいという気持ちを率直に歌っている。この歌を紐解(ひもと)くには、掛詞(かけことば)を確認しなければならない。まず、さねかずらはマツブサ科の常緑つる草で、植物の名であるとともに「さ寝」(共寝(ともね))との掛詞でもある。次に、逢坂山は、山城国(京都府)と近江国(滋賀県)との間の逢坂の関がある山で、ここでは「逢ふ」との掛詞になっている。さらに「くる」は、「繰(く)る」と「来る」(「行く」の意)との掛詞。このように、多くの掛詞を用いた、技巧を凝らした歌でありながら、「共寝したい」という気持ちを下句にストレートに表している。とてもチャーミングな歌だ。
英訳にあたっては「sleep-together vine」(さねかずら「vine」は葛(かずら)のこと)、「Meeting Hill」(逢坂山)というように、名詞の訳を工夫した。ローマ字で「Ousakayama」や「sanekazura」と表現したのでは、掛詞になっている「逢ふ」「さ寝」という意味が伝わらない。これらの掛詞は、同音の名詞を用いることによって生じたメタファー(隠喩)である。そこで英訳では「entwne」(巻き込まれる)を用いて、隠喩の展開を表現してみた。この言葉には「(植物が)絡みつく」と「(人が体を)絡ませる」の二つの意味があり、「さねかずら」の掛詞にぴったりだ。さらに文学的で美しく、生々しさを感じさせない言葉で、「vine」と韻が踏めることも英訳に詩的な響きを持たせている。
同じ「名にし負はば」で始まる歌でとりわけ有名なのは『伊勢物語』9段の「名にし負はばいざこと問はん都鳥(みやこどり)わが思ふ人はありやなしやと」である。旅の途中にあった主人公が、都鳥という鳥を見かけ、「都」という語を名前に含む鳥に「都に住む私の愛する人はすこやかに過ごしているだろうか」と尋ねている。「都鳥」という鳥の名前から「都」を連想したのだ。
「名にし負はば」の歌の他にも、日本にはものの名前に注目する例がある。「地名起源説話」や「地名起源譚(たん)」と呼ばれる話だ。例えば、「富士山」という地名について、山頂で「不死(ふじ)の薬」を焼いたことから「不死の山」ー「ふじさん」になった、もしくは「士(つはもの)」に「富(と)」む(武士がたくさん登った)ところから「富士山」になった、という由来が語られることがある。このような地名起源説話は、古くは『古事記』の時点で認められる。日本人の地名の由来に対する関心は、古来、人々の心に抱かれてきたのだ。
日本人は伝統的に、「名」と、それから想起される「ことがら」とを関連付ける事を好んできた。いわば掛詞的な遊びであり、日本ならではのものである。機知に富んだ営みであり、このような言葉遊びができる日本語をらやましく思う。
📜🌙小倉山日記🪔🖌️ 🪷🪷🪷🪷🦆🦆
「かさねの美」を意識
蓮(はす)の季節になった。小倉山の麓にある小倉池では、蓮が満開を迎えている。嵯峨に住み始めてから、「かさねの美」を意識するようになった。「かさね」とは、平安時代ころに生まれた、装束の色の組み合わせ(配色)のこと。私が感じる配色の美しいところは、二つのものを一緒に見るという行為そのものである。
小倉池の蓮を眺めていると、そこには別のものが見えてくる。「オーオー」と大きな声で鳴牛蛙をはじめ、さまざまな種類の蛙や魚たちがいる。とりわけ最近、心に留まるのは、かいつぶりである。かいつぶりのお母さんが、水面から出ている蓮の長い茎の根もとを周りながら子供たちを育てている様子は、とても愛らしい。蓮の花を鳰と重ねて見ていると、ひとつの絵になって、趣深さがいっそう増すような気がする。
詠み人 三条右大臣
さんじょうのうだいじん 藤原定方(さだかた)。873〜932年。内大臣・藤原高藤(たかふじ)の次男。紀貫之らのパトロンでもあった。