おぼえた日記

2024年12月6日(金)

※ caption : card to pick up (esp. hyakunin isshu karuta)  Fujiwara no Kanesuke
by Peter MacMillan (百人一首カルタ・取り札)


12/06(金)

「みかの原わきて流るるいづみ川ー」

英語で読む百人一首 ピーター・J・マクミラン

不思議の国の和歌ワンダーランド 第27番

2022年8月19日 京都新聞デジタル所載 



 




みかの原
わきて流るる
いづみかわ
いつ見きてとか
恋しかるらん















(百人一首カルタでの英訳)

When did you first spring into view?
Like the Field of Jars
divided by the River of Springs,
I am split in two - so deeply flows
the river of my love for you

Fujiwara no Kanesuke









[現代語訳]

みかの原を分けて湧いて流れている泉川の「いつみ」という音のように、「いつ見」たと言って、あなたが恋しく思われるのだろうか。





* 歌は新編国歌大観の「百人一首」を原本とし、表記は適宜、かなを漢字に改めています






🌿🌿🌿🏞️🏞️🏞️🌊🌊🌊🪭

同じ単語で縁語らしさ訳出

「みかの原」は現在の京都府相楽郡。「泉川」は現在の木津川のこと。この句全体が下の句の序詞(じょことば)となっていて、上の句で「泉」川という地名を使用し、下の句で「いつ見」という同じ音の言葉を反復した。『百人一首』の古注釈では、この和歌の解釈は(1)まだ一度も逢(あ)っていない相手に思いを募らせる恋、(2)すでに逢ったが、その後久しく逢えていない恋の二通りに解釈される。藤原定家が編纂(へんさん)に関わった『心古今集』や『定価八代抄』では初期段階の恋の歌として採用されているため、今回はそれに従って(1)の解釈、つまり作者は思い人にまだ一度も逢えていないと解釈したい。

「わきて」は「分きて」と「湧きて」の掛詞(かけことば)で、湧き出た「泉川」が「みかの原」を分けるように流れているさまをいう。「みかの原」と「泉川」はそれぞれ地名だが、「湧き」と「みか(甕)」と「泉」の縁語にもなっている。地名から連想される言葉をうまく用いて上の句が構成されている。その表現の巧みさと、ミの音が繰り返されるなだらかな調べを気に入っている。

英訳では「spring」という語が鍵となった。一行目の「spring」は単独で「湧き出る」「飛び出す」などの意味を持つ言葉。ここでは「spring into view」で「視界に飛び込んできた」という意味で使っているが、歌で掛詞となっていた「わきて」を連想する語彙(ごい)であるため、あえて「spring」を使った表現をとってみた。三行目の「the River of Springs」の「springs」は「泉」の意で、「泉川」の訳である。もとの和歌で「湧き」と「泉」は縁語であり、同じ単語を使うことで縁語らしさを訳出した。また「みかの原」は「the GField of Jars」と訳した。「みか」とは瓶のことで、英語では「pot」または 「jar」と訳す。ただポットは遺跡から出てくることもあるので「the Field if Pots」では意外性がない。「the Fiekd of Jars」とすることで違和感を生み、不思議な感じをもたらしてくれる。「泉川」と「みかの原」は地名だからそのまま訳してもよかったのだが、訳を工夫することでいっそう詩的になったと思う。

この和歌は、もともと『古今和歌六帖』のよみ人しらずの和歌で、藤原兼輔の歌ではないとされている。兼輔が実際に作った和歌で、もっとも有名なものの一つは「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(『後撰集』雑一)であろう。『後撰集』の詞書(ことばがき)によると、その日は宮中で相撲の行事が催された。そのあとの宴席も終わって、参加者はぞろぞろと帰っていく。そんななか、身分の高い数人が残ってさらにお酒を飲んでいた。そこで酔っ払って子どものことを話したときの和歌であるという。親の心はもともと闇というわけでもないのに、子どものことになると何もわからなくなって、子を思う道に迷ってしまうという。子を思う親の思いの強さを詠んだ歌である。







📜🌙小倉山日記🪔🖌️  🦅🦅🦅 

疫病払いの祭、疫病で見られず

世間ではお盆休みの方も多いと思うが、皆さんはいかがお過ごしだろうか。私は最近新型コロナウイルスに感染してしまい、自宅療養をすることになった。祇園祭を見にいく予定で、約200年ぶりという鷹山を見るのをたいへん楽しみにしていたのだが、とても行くことはできなかった。

代わりにテレビできらびやかな山鉾巡行の様子を見た。疫病を追い払うための祭なのに、疫病になって行けないというのはなんだかおかしくなってしまう。皆さんもぜひお身体には気をつけていただきたい。

さて、京都のお盆といえばやはり送り火だろう。祇園祭と同じように、今年は久しぶりに全面的に灯火されるらしい。日が沈んでから文字がゆらゆらと浮かび上がる様は美しく、今度こそコロナになるまいと願い、鑑賞を楽しみにしている。



  
詠み人 中納言兼輔

ちゅうなごんかねすけ 藤原兼輔。877〜933年。藤原利基の子。紫式部の曽祖父で三十六歌仙の一人。 

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