※ caption : card to pick up (esp. hyakunin isshu karuta) Fujiwara no Kanesuke
by Peter MacMillan (百人一首カルタ・取り札)
12/09(月)
「山里は冬ぞ寂しさまさりけるー」
英語で読む百人一首 ピーター・J・マクミラン
不思議の国の和歌ワンダーランド 第28番
2022年8月26日 京都新聞デジタル所載
山里は
冬ぞ寂しさ
まさりける
人目も草も
かれぬと思へば
(百人一首カルタでの英訳)
In my mountain abode
it is winter
that feels loneliest
both grasses
and visitors dry up.
Minamoto no Muneyuki
[現代語訳]
山里は冬にいっそう寂しさが勝ってくることだ。人の訪れもなくなり、草も枯れてしまうと思うと。
* 歌は新編国歌大観の「百人一首」を原本とし、表記は適宜、かなを漢字に改めています
💠 新訳
In the mountain village
it is winter
that feels loneliest-
both grasses and visitors
dry up.
🗻🌬️🌬️🍂🌨️🌨️🌨️🌿🛖
本歌取りの魅力、海外に伝えたい
全体に平明な表現の和歌で、現代語訳がなくとも意味のわかる人が多いのではないかと思われる。技法としては、上の句と下の句が倒置になっていることと、下の句の「かれ」が掛詞(かけことば)になっていることが挙げられる。草が「枯れ」るのは現代語通りの意味で、人目が「離れ(かれ)」るとは、人の来訪が遠ざかること、絶えることをいう。藤原興風(おきかぜ)「秋来れば虫とともにぞなかれぬる人も草葉もかれぬと思えば」(秋が来ると、虫が鳴くのといっしょに私まで泣かずにはいられない。人も来なくなり、草葉も枯れてしまうと思うと)」(『是貞親王家歌合』)とは下の句が非常によく似ている。これほど似ていて偶然の一致とは考えにくいが、2首の関係性はよくわかっていない。『古今集』のころより、山里はわびしいものと見られており、そのわびしさは季節が進んで寒くなればいっそう身にしみてくる。都など、冬でも人の往来があるところと、訪れる人の少ない山里。この歌は「山里は」と取り立てることで、山里ではない「どこか」を仄(ほの)めかす。その「どこか」の冬を知っているほどに、山里の冬は厳しく感じられるものなのだ。
藤原定家もこれを本歌として和歌を詠んだ。ある歌をもとにして別の歌を詠むことを「本歌取り」という。もとの和歌を連想させる言葉を用いることで、独立した一個の作品でありながら、背後にもとになった和歌の情緒を彷彿(ほうふつ)とさせ、重層的な味わいを醸し出す。「夢路まで人めはかれぬ草の原起き明かす霜にむすぼほれつつ」『拾遺愚草』下・冬『山家夜霜』)。定家が込めた思いを現代語訳すると、こんな具合だろうか。「(現実だけではなく、)夢の中でも人の訪れがなくなってしまった。草原で草を枕にしながら起き明かして流す涙が霜となり、心も乱れて夢も見られずにいるので」。私は恋歌としても仕立て上げられたこの美しい歌が気に入っている。
英訳では掛詞の訳出を工夫した。「dry up」とは、乾ききること、干上がってなくなってしまうこと。草(grass)と来訪者(visitor)が両方(both)とも「dry up」した、と訳せば、もとの和歌の掛詞が生きる。新訳では、山里の訳を「my mountain abode」(私の山の住家)から「the mountain village」(山の村落)に変え、より「里」のイメージが沸くようにした。
今回は「山里は」の和歌に加えて、同じような情趣の歌2首を紹介した。ところが、外国で和歌の評価が低いのは、同じような内容の和歌が多いことに由来する。自分の感情を詠まずに、使い古された情趣を繰り返していると批判するのだ。個性を大切にする文化の国ではそう思われてしまうのかもしれない。でも同じ型の中にもそれぞれバリエーションがあり、十分に彼らの個性が伝わってくる。そんな和歌の魅力を海外に向けてもっと発信していきた
い。
詠み人 源宗于朝臣
みなもとのむねゆきあそん 生年未詳。939年没。光孝天皇の孫で、是忠(これただ)親王の子。臣籍降下して源姓を賜る。三十六歌仙の一人。