おぼえた日記

2024年12月4日(水)

※ caption : card to pick up (esp. hyakunin isshu karuta)  Fujiwara no Tadahira
by Peter MacMillan (百人一首カルタ・取り札)




12/02(月)

「小倉山峰の紅葉葉心あらばー」

英語で読む百人一首 ピーター・J・マクミラン

不思議の国の和歌ワンダーランド 第26番

2022年8月12日 京都新聞デジタル所載  







小倉山
峰の紅葉葉
心あらば
今ひとたびの
みゆき待たなん







(百人一首カルタでの英訳)

Dear Maples of Mount Ogura.
if you have a heart
please wait for another visit
so that His Majesty may enjoy
your lovely autumn colors.










[現代語訳]

小倉山の峰のもみじ葉よ、もし心があるならば、今回の上皇の御幸(みゆき)の次は、さらに主上の行幸(みゆき)もあるはずだから、それまで散るのを待っていて欲しいものだ。





* 歌は新編国歌大観の「百人一首」を原本とし、表記は適宜、かなを漢字に改めています







🗻🗻🗻🍁🍁🍁🍁🍁🍁🐃🐃🍂

小倉山は紅葉の名所 定家がPR?

小倉山は、嵐山を流れる大堰川(おおいがわ)(桂川)のそばの山。紅葉の名所である。藤原定家の小倉山荘は、この近くにあった。「今ひとたびのみゆき」は、まず宇多上皇の御幸があ
ったことを前提に、ついで行われるはずの醍醐天皇の行幸を指す。『拾遺集』の詞書(ことばがき)によれば、宇多上皇の「醍醐天皇の行幸があってもよさそうな場所だ」という発言を受けて、貞信公が詠んだ歌だ。主人の言葉を臣下が歌にするという風雅なやりとりが垣間見られる。「待たなん」は、紅葉に対して「待っていてほしい」と呼びかけたもので、上句「心あらば」と呼応する。この呼びかけを生かして、英訳では「Dear Maples」と紅葉を擬人化して表現した。また、英語には「御幸(行幸)」にあたる語はない。そのため、まず「another visit」で次回の訪問、次に「His Majesty may enjoy」と補って天皇がお訪れる事を表した。

この歌は『大和物語』などにも入る。定家が『百人一首』に選んだ理由として、この歌が有名だったから、というのはもちろんあるだろう。さらに、自分の小倉山荘の傍らの小倉山をたたえる歌がほしかったから、と推測する説もある。というのも、小倉山はその名前が「小暗し」に通じることから、なんとなく暗い場所というイメージを持たれていたからだ。小倉山の麓(ふもと)に居を構える私としても、美しい姿を前面に押し出したこの歌が、『百人一首』に入ることでさらに有名になったのは嬉しい限りである。

さて、その定家の庵がどこにあったのかについてはいくつかの候補地がある。その中から今回は常寂光寺(じょうじゃっこうじ)を紹介しよう。ここはなんといっても紅葉が有名である。小倉山の斜面に造られた境内は様々な角度から紅葉を楽しめる。麓から見上げる景色も、少し山を登って見渡す景色もそれぞれに味わい深い。近所に住んんでいると、移ろいゆく様を感じられ、贅沢な気分である。散った葉が苔と竹の間に落ちているのも、錦織のようで美しい。

芭蕉も、最晩年の元禄七(1694)年に嵯峨に滞在した際、ここを訪れて「松杉(まつすぎ)をほめてや風のかほる音松と杉をほめているのだろうか。初夏の風がさわやかに吹く音がすることよ」という句を詠んだ。当時の地誌によると、常寂光寺には地元の人に「軒端の松」と呼ばれる定家ゆかりの松があった。この句が詠まれた季節は夏。冷たい時雨で紅葉は色が変わってしまうが、松杉は美しい緑のまま。それを爽やかな風がほめているようだと、移り変わる世の中とは別世界の寺院の清々(すがすが)しい境地を詠んだ。芭蕉は小倉山という和歌の伝統の地への敬意を持っていたのだろう。小倉山の峰の紅葉の美しさも、心に描いていたかもしれない。

この辺りは落柿舎(らくししゃ)や西行の草庵跡である西行井戸など、他にも文学に関する史跡がある。今年の秋は、定家に思いを馳せるとともに、芭蕉が見た竹から漏れ出る月の光や、西行が歌に詠んだ景色を求めて、小倉山周辺で優雅な旅をしてはいかがだろうか。











🎋🎏🌸🎎🎍🎑⚡️ {二十四節気}

立秋 和歌の理想とは遠く

今年の立秋は8月7日。まだまだ暑さの盛りのように感じられるが、暦の上では秋になる。中国の古典では、立秋になると「涼風至(りょうふういたる)」、涼しい風が吹いてくる。

日本の古典もその影響下にある。『古今集』秋歌の冒頭は、藤原敏行が詠んだ「秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音(おと)にぞおどろかれぬる」である。目には見えないけれども、風の音から、秋の到来にはっと気づかされるという。

現代の日本ではなかなか実感できない。いったいぜんたいどこが涼しいというのか。『古今集』が編まれた当時も、季節が理想通りに移り変わったわけではないだろうが、少なくとも和歌の世界では季節は型に則(のっと)って詠まれている。

千年以上の時が経った現代では、毎日のように異常気象や酷暑があちこちで起こっている。地球がこれ以上、和歌世界の理想からかけ離れずにいてくれることを願うばかりである。





詠み人 貞信公

ていしんこう 藤原忠平(ただひら)。880〜949年。菅原道真を左遷させた左大臣時平の弟。忠平は左遷に反対したとの説がある。時平の死後、氏の長者となって藤原氏全盛の基礎を築いた。


コメント欄は語学を学ぶみなさんの情報共有の場です。
公序良俗に反するもの、企業の宣伝、個人情報は記載しないでください。
※コメントするにはログインが必要です。
※コメントを削除するにはこちらをご覧ください。
送信

HUITTさんを
フォロー中のユーザ


この日おぼえたフレーズ

おぼえたフレーズはありません。

HUITTさんの
カレンダー

HUITTさんの
マイページ

???