おぼえた日記

2011年9月24日(土)

一泊二日の旅から帰宅した。この旅行を仙台行きと書いたが、実は仙台は出発点と帰着点だけであり、実際はひとくちに観光とはとても口に出来ない旅だった。

初日は石巻と奥松島へ、そして今日は南三陸町から気仙沼を通って陸前高田へ。被災の状況を自分の目で身体で五感で確認して来た旅だった。

なぜその場に行かなければならないのか。なぜ行こうとしているのか。行く前にそれを自問自答した。

今回この旅の目的地を語ると「不謹慎」とか「悪趣味」とかいう人もいた。しかしジャーナリズムを学んだ者として「行きたい」という欲求は抑えられず、またその機会があったから出かけていった。

観光もしている。陸前高田から今年世界文化遺産に登録された平泉の中尊寺を目指した。私にとって初めての岩手県観光だった。そのまさに旬な観光地で復興を祈った。

泊まった宿も松島の観光ホテルだった。バイキング料理の美味しいいいホテルだった。温泉に浸かっている瞬間、それはまさに観光旅行気分だった。

ふたつの旅の目的が同時に存在していた。これらをひとくくりにすれば、観光あるいはノマドといえるかもしれない。だがもっとも激しい被災地に立ったとき、それを観光ということは出来なかった。

岡林信康のアルバムあるいは大江健三郎の小説に「見る前に跳べ」というのがある。このアジテートの裏には「見る前に跳べるか?」との自問自答と「見る前には跳べない」という自虐とがある。

私にとって「その場に立つこと」が先決だった。感情は後からついてくればいい。石巻・松島を除けば、被災地でなければ生涯行くことのなかった場所かもしれない。きっかけはどうあれそこに行くことが重要だった。

被災の現場にリアルタイムにいたわけでもなく、被災後すぐに何らかの支援活動をしたわけでもなく、過去に深く関わった地域でもない。震災から半年経ってボランティアでもなく、ただただ確認に行っただけの旅だった。案内してくれたのは被災前のその地で仕事をしていた友人だった。

しかし帰ってきたいま思うことは、やはり行くべきだったし、行ってよかった。そこでしかこみ上げて来ない感情がある。

「復興」という言葉が絵空事でなくなった。原発のない街は復興できる。その実現がはるかに遠い道のりであるという現実もそこに厳然とあったが、絶望のなかに着実な足取りも少しずつ見えていた。

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