「春と修羅 序 (宮沢賢治)」の冒頭
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
...
訳 par http://www.paperblog.fr/2745637/printemps-et-ashura-preface-kenji-miyazawa/
Le phénomène appelé moi
est une lumière bleue
issue de l’hypothétique lampe
lampe organique que traversent flux et reflux du courant
lampe karmique qui jamais ne s’éteint
-- un corps complexe, un composé de tous les spectres --
qui avec les paysages et chacun des êtres clignote sans cesse
c’est une lumière bleue
la lampe disparaît et la lumière persiste
...
実は「春と修羅」:
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
...
を訳したいと思ったのです。
到底歯がたたないと諦めて、WWW を漁ってみました。
私の意に適うものは見つからなくて、その副産物で見つけたのが冒頭の仏訳です。
偉大な芸術家の多くは、自然科学や工業技術への感度も高かったようですね。
世界は無限ですが、個人は有限で恨めしいところです。
今やLEDランプ、青色LEDも開発されています、彼は未来を予言して
書いていたのでしょうか。文学も音楽も創造の世界は無限に広がるようです。
アレックスさん絵画の世界もそうですよね。
「もっと色々、チャレンジしたい」とは、アレックス さん、心身ともにお若いですね。
私も好き嫌いが結構あります。大江も三島もダメとか。他生の縁なのだからしかたがないと、諦めております。