Let's begin with an apology 謝ること、出発点に Sunday, May 15
Her expression somber, Park continued by saying, "We cannot live our lives unless we forget about our painful past experiences. But at the same time, the situation in our world today is such that we risk repeating the same thing again -- which means that we must tell the next generation the story of what happened in Hiroshima."
●somber 憂鬱
朴さんの顔色はさえない。「つらい過去は忘れないと生きていけない。でも、同じことが起こりうる世界の状況だから、広島で何があったか次の世代に伝えておかないといけない」。
And it is a hideous experience that is burned into her memory still today.
●hideous
忌まわしい記憶は朴さんの脳裏に今も焼き付いている。
A first-year student at a girl's school at the time, she was riding a streetcar around 1.8 kilometers from the epicenter of the atomic bomb when there was a sudden flash of light and a thunderous noise. Covered in blood, she fled to the banks of the Ota River.
女学校の一年のとき路面電車に乗っていた。爆心地から約1・8キロ。光とごう音が突然襲い、血まみれで近くの太田川の土手に逃げた。
Along the way, she saw numerous people move their arms, whose skin hung down in flaps, up and down like birds as they ran.
(「熱い、熱い」と言って)皮膚がどろりと垂れ下がった腕を鳥のように上下に動かしながら走る人を大勢見た。
The war ended nine days after the atomic bombing of Hiroshima. Park's home had been destroyed by the blast, and so at the time, she was staying on a dry riverbed that had turned into a site for burning the corpses of the dead.
広島で原爆投下された9日後に戦争が終わった。自宅は倒壊し、遺体の焼き場になった河川敷で終戦を迎えた。
People around her had begun saying that the war had ended faster because of the atomic bombs. And at first, Park believed it. She bore no strong hatred toward the United States; she was too busy trying to survive. She did not even have the energy to look behind her at what had happened.
「原爆が落ちたから戦争が早く終わった」といううわさが近所で出回った。原爆を投下されて9日後に終戦を迎え、朴さんも一時はそう信じた。米国を強く憎むことはなかった。生きるのに精いっぱい。後ろを振り返る余裕もなかった。
Today, however, things are different. The more that she learned about the situation of the time, the more she realizes that "there was no need to drop the atomic bombs."
だが、今は違う。当時の状況を知れば知るほど、「原爆を使う必要はなかった」と痛感する。
"Japan had no fighting power left, and yet an atomic bomb was dropped on Hiroshima," she said, her voice conveying a painful awareness. "It was a brutal act just like a massacre. And despite knowing the power of the bomb, the United States went on to drop a second atomic bomb on Nagasaki. I can never forgive the U.S. for this."
「日本にはもう戦う力が残っていなかったのに、広島に原爆を落とし、虐殺のようなむごいことをした。その威力が分かっていたのに長崎に再び原爆を落とした。そんな米国は許せない」。
Park also feels that Japan bears responsibility for not stopping the war despite its position in the war clearly worsening.
戦況が悪化しているのに戦争をやめなかった日本にも責任があると感じる。
And while she welcomes the visit by U.S. President Obama to Hiroshima, Park feels that he should grieve the dead -- as well as offer an apology to the hibakusha who continue to suffer still today.
米大統領の広島訪問は歓迎する。ただ、亡くなった人たちを悼み、苦しみ続けた被爆者に謝罪の言葉があってもいいと思う。
"Apologizing offers an opportunity for rapprochement among both sides," she noted. "The United States should apologize to Japan, and Japan should also apologize to Asian countries for its aggression. I think that this is where things should begin."
「謝ることは、互いに仲良くするきっかけになる。米国は日本に謝り、日本はアジアの国々に加害を謝る。そこから始めればいいじゃないですか」
This summer -- 71 years after her hibakusha experience -- is one that Park says she hopes will be the beginning of a new future. (By Yuji Ishikawa, Hiroshima Bureau)
被爆71年は未来につながる夏でありたい。朴さんの願いである。(文・石川裕士 広島局)
〇戦争で引き起こされた苦難はひどかった。
The suffering caused by the war was terrible.
/english/phrase/6280
〇一方的な軍縮が、世界の核兵器の数を削減する唯一の方法かもしれない。
Unilateral disarmament may be the only way to reduce the number of nuclear weapons in the world.
/english/phrase/32117
〇核戦争の危険を減らすために、誰もが努力すべきだ。
We should all work to reduce the risk of nuclear war.
/english/phrase/4408
風鈴の主張 オバマ大統領は是非、被爆者の声を聞いて欲しい
オバマ大統領が就任して直ぐにプラハ宣言で核兵器の廃止、削減を訴えた。それでノーベル平和賞をもらった。そして、大統領の最後の年に広島にやってくる。当初、歴史的演説をすると思われたがやらないそうだ。是非今日の記事の朴さんの、被爆者の生の声をアメリカ大統領に聞いて欲しい。表向きは、戦争を早く終わらすためだったと言っているが、本当は原爆を日本に投下したことはとても後悔している。それが証拠に日本に原爆を投下してからは、2度と原爆を使用していない。日本や、日本政府に謝らなくてもいいが、被爆者の方には謝罪の気持ちがあることを伝えてほしい。
最悪のシナリオは侵略戦争を認めない安倍さんと原爆の投下を正当化するオバマさんが過去をふりかえらず、未来志向で原爆碑の前で握手することだ。
参考記事
原爆資料館長だった原田浩さん(76)は、意見陳述を前に外務省側と調整した。「国が言わなくても、被爆地として核兵器の違法性を主張すべきだと折れなかった」と振り返る。
"I fear that the shaking of hands by President Obama and Prime Minister Shinzo Abe in front of the cenotaph for A-bomb victims in Hiroshima will be made into a symbol of reconciliation that ignores historical accountability," Harada said. "As long as people continue to justify the atomic bombings, the complete elimination of nuclear weapons will not become a reality."
「未来志向」が強調されていることについても、原田さんは「オバマ大統領と安倍晋三首相が原爆慰霊碑の前で握手し、過去を問わない和解の象徴にされそうで怖い。原爆投下を正当化する限り、核兵器廃絶は実現しない」と訴える。
〇仲直りしよう。
Let's kiss and make up.
/english/phrase/6910
楢崎とか井原がスゴイのはとても頭がいいのです。敵の考えていることを考えてプレーしています。とても渋いです。
モズはテレビや映画で有名になりました。モズのはやにえ、イギリスではモズを「屠殺人の鳥」といい、ドイツでは「絞め殺す天使」と呼んだりするそうですね。江戸時代はモズは凶鳥で、モズが鳴く夜は死人が出ると信じられていたそうです。
全然話が違うとは思いますが、デッドボールを与えたピッチャーは
MLBでは謝りません。故意にした ということになるからだそうです。
野茂投手だったか 思い出せませんが、
日本の投手が向こうで投げ始めた頃 帽子を取って礼をするしぐさをしたら
バッターは怒ってマウンドに走っていきました><
日本の少年野球などは 1塁手も バッターランナーに帽子を取ります。
滋賀県のサッカー選手と言えば 井原正巳、私も同じくです^^
こちらは 当市出身の楢崎正剛です^^/
中学の国語の教科書でありました。中学生のときに感じたことと、今読んでみれば、違う感想になるでしょうね。風鈴はこのアゲハの近くにときどき飛んでくる大きな黒いアゲハの写真を撮りたいと思っています。ときどき見ます。昨日はその機影を捕えましたが、フェンス越しでピントがフェンスに合い、チョウがボケました。残念でした。
核兵器の廃絶は日本の国是です。一方、アメリカの核の傘に守ってもらているのアメリカに核を廃絶せよといえません。アメリカの核があるから、日本は核をもたなくていい。言いかえれば、安保条約を廃棄して、アメリカの核が無くなったら、自力で核を持たなければならないという人が必ずでます。トランプさんは、日本と韓国が核を持つことに反対していません。石原さんなんかが、原発推進なのは、いつでも核をもてる状態を保ちたいからです。安倍さんにもそういう節があります。そこには先の大戦に対する反省はまったくありません。
この写真は黒アゲハを撮ろうとして、この奥に居たのですが、失敗して、仕方なし手前にいたアゲハを撮りました。アゲハは実は山椒の葉に留っているのではないのです。空中でホバリングしながの姿勢です。羽根の上の方が揺れています。
本気で日本も核廃絶をアメリカに要求したいのであれば、日本もなぜ太平洋戦争に突入したのか、きちんと検証すべきではないでしょうか。
今日もいいお天気です。五月雨とは旧暦で5月の雨、つまり梅雨のことなんですね。梅雨の晴れ間が五月晴れなんですね。今日のいいお天気は五月晴れではありません。
梅の雨がなぜ梅雨なんでしょうね。不思議です。芭蕉の時代でも、梅と言えば、梅干しなんですね。梅干しと聞いただけで、口の中が酸っぱくなりますが、芭蕉は耳が酸っぱくなるんですね。スゴイ感性です。
降る音や耳も酸うなる梅の雨 芭蕉
過去を、歴史をきちんと振り返る。何がいけなかったのか、しっかり反省して、謝るのが仲直りの基本です。きちんと謝れないといい大人になれません。真理ですね。ありがとうございました。
「謝ることは、互いに仲良くするきっかけになる………。そこから始めればいいじゃないですか。」全くその通りだと思います。
子どもの世界なら当たり前にできることなのにと思ってしまいます。