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HUITTさんの おぼえた日記 - 2024年6月12日(水)

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おぼえた日記

2024年6月12日(水)のおぼえた日記

6/12(水)
"Homage to Catalonia"George Orwell
「カタロニア讃歌」ジョージ・オーウェル

continuatio from last time(jun10'24)first appearance(jun19'23)(初出)

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It seems this is usually the case. The tremendous shock of a bullet prevents sensation locally; a splinter of shell or bomb, which is jagged and usually hits you less hard, would probably hurt like devil. There was the pleasant garden in the hospital grounds, and in it was a pool with gold fishes and some small dark grey fish - bleak, I think. I used to sit watching them for hours. The way things were done at Lerida gave me an insight into the hospital system on the Aragon front - whether it was the same on other fronts I do not know. In some ways the hospitals were very good. The doctors were able men and there seemed to be no shortage of drugs and equipment. But there were two bad faults on account of which, I have no doubt, hundreds or thousands of men have died who might have been saved.

これは、いつもこういうものらしい。銃弾のものすごい衝撃が、感覚を局部的に麻痺させるのだ。砲弾や手榴弾のかけらはぎざぎざになっていて、ふつう、当たり方があまり鋭くないので、たぶんものすごい激痛を与えるのだろう。病院の構内には気持ちのいい庭があって、そこの池に、金魚や何か黒っぽい灰色のぃいさな魚 ー コイらしかった ー が泳いでいた。私は、よくそれをじっと見つめながら、何時間もすわっていたものだった。レリダでのやり方を見ていると、アラゴン戦線における病院組織がどうなっているのか想像がついた。 ー もっとも、ほかの戦線でも同じだったのかどうか、それはわからない。病院がたいへんすぐれている点もいくつかあった。医師たちは有能で、医薬も設備も不足はなさそうだった。しかし、助かるはずの何百何千という人を、みすみす死なせる原因となっている欠陥が、たしかにふたつあった。

One was the fact that all the hospitals anywhere near the front line were used more or less as casually clearing-stations. The result was that you got no treatment there unless you were too badly wounded to be moved. In theory most of wounded were sent straight to Barcelona or Tarragona, but owing to the lack of transport they were often a week or ten days in getting there. They were kept hanging about at Sietamo, Barbastro, Monzon, Lerida, and other places, and meanwhile they were getting no treatment except an occasional clean bandage, sometimes not even that.


そのひとつは、前線近くにある病院が、どこもみな大なり小なり傷病兵臨時収容所当てられている、ということだった。そのため、動かせないほどの重症者でないかぎり、そこで治療は受けられなかった。たてまえとしては、傷病兵の大部分は、バルセロナかタラゴナへ直送されることになっていたが、何しろ輸送機関が不足しているため、到着するのに一週間も十日もかかることがよくあった。そして、シエタモ、バルバストロ、モンソン、レリダ、そのほかの場所でぐずぐずと待たされ、そのあいだは、時おり包帯をきれいなものと取り替えてもらう以外には何の治療も受けず、どうかすると、それさえしてもらえないことがあるのだった。

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