おぼえた日記

2013年2月11日(月)

「知への意思 (M. Foucault)」 4. 性的欲望の装置 (37 (4.2 方法、終り))

Il s'agit en somme de s'orienter vers une conception du pouvoir qui, au privilège de la loi, substitue le point de vue de l'objectif, au privilège de l'interdit le point de vue de l'efficacité tactique, au privilège de la souveraineté, l'analyse d'un champ multiple et mobile de rapports de force où se produisent des effets globaux, mais jamais totalement stables, de domination. Le modèle stratégique, plutôt que le modèle du droit. Et cela, non point par choix spéculatif ou préférence theorique; mais parce qu'en effet, c'est un des traits fondamentaux des sociétés occidentales que les rapports de force qui longtemps avaient trouvé dans la guerre, dans toutes les formes de guerre, leur expression principale se sont petit à petit investis dans l'ordre du pouvoir politique.

要するに、権力の概念の方へ s'orienter (身体の向きを変える) ことが肝腎なのだ。 loi (法) の特権視に替えて、(戦略 par 渡辺) 目標という観点を、 禁忌の特権視に替えて、戦術の efficacité (有効性、効率) という観点を、 主権の特権視に替えて、そこに大局的な支配、とはいっても totalement (終局的に ?) 安定することはない支配、の作用=結果が生起する force の関連の多様で不安定な champ (領野) の分析を据えることだ。droit (法律) の modèle ではなく、戦略の modèle。 そうするのは、spéculatif (思弁的) な選択、理論的な選好によるのではない。 これまでは、戦争の中に、戦争のすべての形態の中に、その主要な表現を見つけてきた force の関連が、少しづつ政治的権力の次元へと investis (資本投下の場所を移動させてきた) というのが西欧社会の en effet (現実の) 根本的特性だからだ。


M. Foucault の文章で最も引用されることが多いものの一つがこの 「4 性的欲望の装置, 2. 方法」だと思います。
この章は、16 ヶ月前に (http://gogakuru.com/index.php?flow=myDiary&mid=257758&did=113286&ddate=20111009) 写経を試みて、「ちょっちレヴェルが高過ぎるかも」と、三日で音をあげたものなので多少の感慨があります。
問題設定も言語表現もともに第一級の作品ですが、私の仏語、日本語、いずれの能力も追いつかず、少々倦んじました。暫し休憩します。
「4.3 領域」、「4.4 時代区分」はとばして、次回は、「第 5 章 死に対する権利と生に対する権力」から再開する予定 (と書いておけば、いつか再開するだろう、というお呪い)。

kosmarimosu さんのおぼえた日記 http://gogakuru.com/mypage_314564/diary/2012-09/18.html?m=1 に引用されていた國弘正雄さんの「和訳している時間があるのなら、音読練習の回数を増やした方が効果的です」の言葉は当っていると思いますが、まあ、バランスをとって楽しみながら。

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