「フランス語ハンドブック 改訂版 解釈 II 動詞の研究 冨永明夫」の冒頭の抜粋。
(私的使用のために作成した文書で、歴史的仮名遣ひで表記されてゐます。悪しからず。)
…以下では、特に時制に関する考察に重点を絞るが…たとへば、次の文中の sentir といふ動詞の 3 つの時制に注目していただきたい。
Une longue minute nous nous regardâmes fixement sans rien dire. Elle baissa les yeux la première, toute gênée. J'avais laissé passer le bonheur. Elle lâcha mon bras, me donna une sorte de bourrade amicale, et s'éloigna en disant gauchement: «Sale gosse!»
Mais moi, dans ce dernier instant, j'avais senti que Rosa Kessler n'était que douceur, tendresse et obéissance. Je sentais que, si j'avais pu la rappeler avec fermeté, elle serait revenue; et j'aurais pu la faire mettre à genoux devant moi, simplement, pour le plaisir. Et je senti qu'elle avait besoin de mon amitié. Oui, elle était plus grande que moi, et pourtant elle avait besoin d'être protégée par moi. --Larbaud
…まず前半の仮訳を掲げよう。
…
以下、主人公はさまざまのことを sentir するわけだが、最初の直接法大過去形は言ふまでもなく過去完了を表はすもので、相手の少女が捨てぜりふとともに逃げ去つていつた「その最後の瞬間に」、わたしは「que 以下のことをすでに感じ取つてゐた」の意であり、次の直接法半過去形は «継続相» (相とは動作の様態・性質のこと) を示すものとして、「そのときわたしは que 以下のことを感じてゐた」とでも訳すべきものであらう。これに対して、最後の単純過去形は、動作の開始 (進入) を表はすもの (=> p. 246) に相違なく、「(それまで気づいてゐなかつたが) そのときふとさう感じた、はたと気づいた」といつた nuance を伝へてゐるはずである。以上の 3 時制の nuance の相違を忠実に日本語に移し変へることは至難だし、あまりにその点にこだはると、いたづらに煩瑣な訳文を生み出すことにもなりかねない。しかし、上述の諸点をしつかり押へておかないかぎり、原文を充分に読み解いたとはいへぬことも確かである。そこで、煩雑にならない程度で、後半部の仮訳を掲げてみる。
…
以上、もつぱら sentir の nuance についてのみ強調したが、もちろんそのほかにも、3 番目の文の J'avais laissé の «過去完了» の nuance を見落としてはならなし、また最後の文の自由間接文体にも留意する必要がある。Oui, elle était plus grande que moi, et pourtant elle avait besoin... の 2 つの半過去形は、p. 288 以下で詳述するやうに、間接話法中のそれに相当するから、«過去における現在» を表はすものであり、「彼女はわたしよりも年上だつた」などと訳してしまつては、身もフタもないことになる。もうひとつ、冒頭の nous nous regardâmes にしても、une longue minute といふ時の副詞句がついている以上、「単純過去形は瞬間的動作を表はす」などといふ教条的知識に振り回されず、「わたしたちは見つめ合つてゐました」と訳すべきだ、少なくともさう訳して一向差し支へない、と言ひそへておかう。
ほんの僅かな引用文の中にも、時制の nuance に関して多くの問題点があることはこれでおわかりいただけたと思ふ。すでにお気づきのことと思ふが、時制は、単に現在、過去、未来、などの «時» を指示するだけではない。たとへば、完了、未完了、継続、反覆等々の «相» を指示することもあれば、さまざまの叙法的価値をもつこともある。(叙法とは…。)
この節に後続する節 (完了動詞と未完了動詞の解説) は http:/gogakuru.com/mypage_257758/diary/2011-11/26.html のおぼえた日記に掲載してあります。