식탁 추억 (3)
아주 어렸을 때에는 부모님이 뼈를 바르고 먹기 쉬운 살만을 주셨지만
초등 학생 정도가 되면 스스로 해야 한다.
지금이라면 아이들이 “이런 것은 먹고 싶지 않아”라고 하면 부모님이
아이들이 좋아하는 음식을 내 주실지도 모르지만 옛날은 그런 것은 히지 않았다.
먹는 게 지저분하면 야단을 맞았고 예절에도 엄하고 음식을 입에 넣은 채
말하면 꾸중 들었다.
とても幼い時には、両親が骨をはずして、食べやすい身だけをくれたが、
小学生くらいになると、自分でしなければならない。
今なら子どもたちが「こんなものは食べたくない」と言えば、両親が子どもたちが
好む食べ物を出してくれるかもしれないが、昔はそんなことはしなかった。
食べ方が汚いと怒られたし、行儀にも厳しくて、食べ物を口に入れたまま話すと、
小言を言われた。
☆☆☆
本から少し紹介します
먹는 게 지저분하다 食べ方が汚い
입에 넣은 채 말하다 口に入れたまましゃべる
쩝쩝 소리 내며 먹다 くちゃくちゃ音を立てて食べる
밥풀이 튀다 ご飯粒が飛ぶ
家庭によっても違ったと思いますが、食事の時間は、家族が集う楽しい時間でも
あり、また、しつけの時間でもあった気がします。
ご飯は、おかわりの時、必ず一口残すように、言われました。
といっても、最近の我家は、食事量も減って、めったにおかわりなどしませんが・・;;
我家も、一家三人での食事、確かに少なくなりました・・
小言の件、電子辞書で、改めて調べてみました
꾸증 꾸지람の尊敬語、お叱り、おとがめ、お小言
꾸지람 叱責、小言
잔소리 小言、つまらないこと
親からのしつけとしての言葉だから、꾸증でいいのかもしれませんね。
ただ、日本語文では、「小言を言われた」ではなく、「叱られた」または、
「お小言を頂戴した」←(ちょっと不自然でしょうか?)と書いた方が
よかったかもしれません。
잔소리は、何となく、たいしたことでもないのに、あれこれうるさく言うような
イメージかと思いました。
使い分け、難しいですね。
機会があったら、誰かに聞いてみようかと思います。ありがとうございました^^
私もまだまだです。本当に簡単な文章ならともかく、
今やっているように、新しい単語や言い回しを使って
文を書くのは、やはり難しいです。
ちょっと背伸びしてます^^
確かに늘어서게 되었다.(됐다)の方がいいような気がします。
私は1行書くのもやっとなのですが、早くコヤンイさんのようにすらすらと書けるようになりたいです。