5月の皆勤賞は51名だったとゴガクル事務局の6月1日の日記に書かれていた。
ゴガクル事務局さん | 2011年6月1日のおぼえた日記
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50名と報告していたが間違いで51名だったというコメントを読んで、申し訳ない気がした(笑)。オレを1名とするか2名とするか、そこが問題だ。んなこたぁねぇか!?
学習言語でしっかり書かれている皆勤賞と、オレのように適当なことを日本語で書き飛ばしてる皆勤賞とでは重みが違う。
毎日書くだけならそんなに苦にならない。毎日トイレにもいけば、飯も食う。下手するとテレビを見ない日はないし、活字を読まない日もない。
誰もが毎日途切れることなく何かをしているわけで、その流れのなかに組み込めばいいだけだ。「眠い!」のひと言でいいんだから。
しかし外国語で書くとなると、その負荷は結構たかい。シームレスに外国語の世界に入っていければいいと思うのだけど、まだまだそんなレベルにない。
オレの場合、(ハングルの場合だけど ^^;)最初に日付を入れることがトリガーになってることに気付いた。
6월3일と書いた瞬間、スイッチが入る。日記モードになるのだ。最初は月日と曜日からまず覚えようと始めた習慣だったが、いまはそれが日記モードに入るキーになった。
中国語の日記にそれがないのはただ書けないからだ。ハングルを半年以上やってからゴガクルを知ったが、中国語はまっさらなまま日記を始めた。これは本気でやるなら失敗かもしれない。
日記が苦にならないためには、続けるための最低限の知識が必要だ。そういう意味では毎日書こうとすると待ったなしなので、知識が追いつかない。だから苦になる。すると嫌になる。
続けるためには、最低限の知識を得ることがなによりも先決だと思う。最初の半年くらいは日記を書こうなどと思わず、懸命に語学学習に没頭すべきだと思う。コミュニケーションも不要だ。
初級レベルでも一通りなにか言える文法知識(もちろん何かを見ながらでかまわない)が身につけば、作文が少し出来るようになる。
そこから始めると、スラスラとはいかなくても何とか書くことが出来る。書ける喜びとともに始められる。書けないツラさよりも書ける喜びとともに始めるほうが負荷が少ない。そんな気がする。
そんな気がするけど、この日記は日本語で書き連ねていくのだ。そのうち突然中国語が出現するかもしれないししないかもしれない。
ハングル日記から連続して書いてると思えば、こっちだけ落とすというのもなんとなく居心地が悪く、結局惰性で皆勤してるようなもんだね。
コミュニケーションの第一歩!挨拶フレーズ
リスニングテスト - 結果
× 您贵姓?
/chinese/phrase/15896?m=1
○ 再见!
/chinese/phrase/10078?m=1
○ 对不起。
/chinese/phrase/10192?m=1
○ 你 好。
/chinese/phrase/10049?m=1
× 麻烦 您了。
/chinese/phrase/10194?m=1
randomwalker さん>
学習管理できました!これで書くことがなくなっても日記が書けます(笑)。
私の場合、単語やフレーズを覚えていくというのがまったく出来ません(笑)。やはり短くてもいいから文脈のある内容のなかでフレーズや単語を覚えるしかないんです。
昔は英単語を覚えなきゃと単語帳に赤いカラーシート被せてやってましたがまったく頭に入りません。それって結局材料でしかなくて、ボクは食材を食材のまま食べられないんですね。文明人だから(笑)。ちゃんど調理されてないと。調理されたものを食べると食材に興味が湧く。この逆はありえない。その順序に学生の頃気付けばよかったなぁ...。と思う今日この頃です。単語丸暗記が出来る人ってすごい才能だと思いますね。
朝活で意味調べをしているときに気分がのってきて、
このままひたすら辞書を引き続けていたい、という
衝動に駆られることがありました。
それで、私は日本語も含めて言葉そのものが
好きなんだということに気づいて。
いびつなかたちでも、自分が楽しくて
続けられるのならいいのかな。
千野栄一先生の本には東欧人に日本語(漢字かな混じり文)を教えた話しが出てくるんですが、とにかく発音や会話なんてどうでもいいから翻訳だけに集中したいという学生さんが出てきます。
彼は論文などを自国語に翻訳できればそれを仕事にして生活出来るという学生でした。だから彼は集中的に短期間で漢字かな交じり文を覚えて、日本語がまったくしゃべれないし聞き取れないけれども、読み書きだけ出来るようになるんです。それで目的は達成されてるんですよね。
そういう学び方もあると思ってますよ。
私は英語を「読む、聞く」は多少できても
自分の言葉にして書いたり話したりが、なかなかできなくて。
切り替わる瞬間が本当にあるのかな、と思いつつも
あるはずだっていう期待があって続けているのかもしれません。