学習の成果というものは、たとえほんの小さな変化でも自分自身が意識して気付こうとする姿勢が必要ではないだろうか。今日のwataruさんの日記はそんなお話。ハングルですけど...。
wataruさん | 2011年6月8日のおぼえた日記
/mypage_196030/diary/2011-06/08.html?m=1
それは子どもの成長を見守りながら、成長記録をつける作業に似ていると思う。自分自身とは四六時中一緒にいるために、小さな変化を見過ごすことが多いように思う。
しかしその小さな一歩は、語学の重要な一歩かもしれない。自分自身で気付いてあげなければ誰も気付いてくれない。
そしてその小ささゆえに日々見逃していると、まったく成長していないのではないかと懐疑的になってゆく。気付かないことは後退へつながるのだ。
だからこそウソでもいいから成長していると自分に言い聞かせることが大切だし、ノートを作ったり日記を書いたりして記録を残していくことが成果の“見える化”につながる。
これまで見ていた韓国ドラマではまず字幕を見ていたのに、最近は言葉を聞いてから字幕を見始めた。wataruの日記にはそんなことを書いた。この逆転現象は小さくも大きな一歩に思えたからだ。
無意識に言葉が先に耳に届く。このことに気付けば意識して聞こうとし始めるだろう。そうやって意識的に聞きながら、聞き取れる幅を広げていくことが出来れば、今度は無意識に聞き取れるようになるはずだ。そう信じることにする。
気持ちが揺れているからこそ信じる必要がある。信じるものは救われるのだ。迷える自分自身に学習の物的証拠を叩きつけてやるのだ!これだけやってきたんだろと。まだまだ出来るだろと。
「初心忘れるべからず」は本当に難しいですね。誰でも最初は初心者なんですけど、だれもが初心者でなくなってしまう。初心者の気持ちは意識して覚えておかないともう二度と体験することができないんですよね。でも未来の自分が覚えているかどうか信用できないんで(笑)、ノートを作っているようなもんですね。この日記もそういうものかもしれませんね。
英語の映画の日本語字幕と韓国語映画の日本語字幕とではかなり意味合いが違いそうですね。英語と日本語とで語順や文法法則の乖離が大きいので、字幕は意訳にならざるを得ないから。語学用に作られた映画の直訳型テロップという商売もあり得るかもしれないですね。ハングルと日本語でも同じ問題があるのですが英語よりはかなり近いです。漢字語もありますし。
教材の量では英語には遠く及ばないですね。ハングルでこれがあったらいいのにと思う英語教材が結構ありますから。そのぶん教材選びで迷うことはないでけど(笑)。それが自分に合っているかとなるとなかなか分からないですね。合ってなくてもそれしかないからそれでやるってことになって、結局一冊全部身に着いちゃうというのが理想的かも!?
「ハングルをハングルのまま聞く」に進化してるから
全然小さくない、と思います!
私もそれを目指していますが、英語は文法から違ってて
なじみづらさをとても感じています。
ただ、ゴガクルの講座や一般の学習本なども多種多様で、
多彩な勉強法から選べることには恵まれていると思います。
ハングルはそういう情報、教材の種類も少ないから、
次のステップへの移行期には悩ましいのかもしれないですね。
でも、あんまり自分をいじめないで下さいね(^^)