おぼえた日記

2011年6月18日(土)

先日のBSプレミアムでの筒美京平特集といい、藤山一郎生誕100周年といい、昭和のすばらしすぎる音楽が再び聴けてうれしい限りだ。MUSIC MAGAZINEはYMO特集らしいし。

昔は誰もが聴いていた共通の音楽があったが、90年代以降はそういう音楽よりも個人の嗜好を優先するような聞き方に変化したとよく言われる。それはモビリティの向上と音楽がデータになったことと無関係じゃないと思う。

しかし百万ダウンロードとか大量消費される音楽という意味ではみんな同じものを聴いていたのかもしれない。ただ共感がなく、共感するにはイベントへ行くしかない。それでフジロックフェスのような大規模イベントは大流行した。

私も第一回フジロックフェスに行って嵐のなかエイフェックスツインのステージを聴いていた。ステージの上に小屋を建て一度も観客に姿を見せなかったエイフェックスツイン。あれはなんだったのか...。

家でCD聴いてるほうがよっぽど快適だった。2日目が中止になるほどの嵐のなかでポリ袋をコート代わりにして、なんであんなステージを見せられたのか、いま思うと怒りがこみ上げてくる(笑)。まさに断絶の世相そのまんまだった。

それはそれとして、21世紀も10年経ち、またゆり戻しが起きているような気がする。AKB48にしてもK-POPにしても、細分化されて興味のない人にはまったく届かない音楽だが、興味があると共感できる音楽が浸透し始めた。

そしてその共感はネットを通じて共有するという新たなステージへ。これはラジオの深夜放送に似ている。パーソナリティが呼びかけると見ず知らずの若者たちが集合し、共通の話題で盛り上がれる。まさにネットはラジオの進化系じゃないだろうか。中央集権的なテレビじゃない。

ネットに女の子が「私の誕生日に来て」と書いたら1600人が押しかけて暴動騒ぎになったニュースもあったが、ムーブメントというものは常に危険と紙一重にある。でなきゃムーブメントにはならない。そこでどっち側の人間として生きるかは個人の選択の問題だ。

10年、20年、50年たっても共感できる音楽があればそれでいい。その1曲で救われるくらいの人生がいい。過不足なく。さ、掃除しよう。今日の学習言語は「音楽」でした。

wataru さん
徒然なるままに日ぐらしPCに向かいて心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくればマジ怪しい文章の一丁上がりです!

部屋の掃除もとりあえず今日は完了。取り繕うことくらいは出来るレベルになりました。風呂場も洗ったし、次は今日もっとも重要な台所のシンクです。
2011年6月18日 11時14分
☆yukarin☆ さん
おはようございます^^
深いですね。いつも敬服してしまいます。
最後の「掃除しよう。」も。(笑)
2011年6月18日 9時16分
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