以下は「谷間の百合 (Balzac)」で、主人公の Félix de Vandenesse が二人の女性 (Henriette de Mortsauf と Arabelle Duddley) の間で、立つ瀬がないと勝手なことをほざいている場面。この前夜、F. は H. de M. を一人後に残して A. D. と石榴屋敷にしけこんでいる。「M. 夫人に会いに Clochegourde (Loire 河畔に位置する H. de M. の住居) にもどるべきだ」とせまる A. D. の言葉に対して:
En refusant d’aller à Clochegourde, je donnais gain de cause à lady Dudley sur Henriette. Arabelle m’emmenait alors à Paris. Mais y aller, n’était-ce pas insulter madame de Mortsauf ? dans ce cas, je devais revenir encore plus sûrement à Arabelle
行かないと言いはれば、H. を捨てて、lady D. を選んだことになってしまい、彼女は私を Paris に連れ帰ることになります。しかし C. にもどる、それは M. 夫人を辱めるためにもどるということに外なりません。そうなってしまえば、私は、このまま A. のもとにとどまったときよりもさらに確実に彼女のものとなってしまうでしょう。
文法的に問題なのは、事実の叙述ではない半過去形: donnais, m’emmenait, n’était-ce pas, devais。
これについては、「動詞の研究 (冨永明夫)」にちゃんと説明がありました。
1.3.7. 叙法的価値をもつ半過去形
…半過去形の用法は実に複雜多岐で、この紙幅ではすべてを網羅しがたい。あと二つだけ補つておく。
その一つは、元来この時制が «不完了» を表す性質からくるものだが、要求・願望などを緩和された形で表現する用法である。たとえば Je venais vous demander un service. では、venir といふ行爲が不完了であるがゆえに「願いの筋があつて来たには来たが、それをまだ果たさずにいる」という nuance になり、要求の直接性が緩和される。
--Je voulais te dire quelque chose pendant que nous sommes seules. --Duhamel
[注] … Je voudrais... とほぼ同じ意味。
もう一つも、同じく «不完了» の nuance から導かれるもので、過去において実現されるべくして実現されなかつたことを表す用法。
Si elle eût consenti à ce mariage, Hélène arrivait bien rapidement à la vérité sur Jules Branciforte. --Stendhal
[注] …本来なら、arrivait の代りに serait arrivée (条件法過去形) または fût arrivée (条件法過去第 2 形) を用いるはずだが、「眞理への到達」の実現性が高かつたことを示すために、半過去形が用いられたと考えられる。つまり「知るに至つただろう」ではなく、「知るに至つたに相違ない」の意である。
この辺りすべて忘却のかなたでした。読んでから高々 10 ヶ月しかたっていないんだけどねぇ。