おぼえた日記

2013年3月4日(月)

I love you and I need you福島県 白河 五箇高校

たか作 三月四日

結局、あの日から学んだことは、僕たちの運命を決めることについて議論が無かったと言うことだ。
白を黒と言い切っていた、偉い方々の真っ赤な嘘だ。
だからこそ、未来の人間に対する責任として
原発でも何でも、議論して決める、その基本的なことを出来る社会にすること、だと思う。
すべてのことを、僕たちの知らないところで偉い人たちだけで決めていてはいけない、と言うことなんだ。

きのうのつづき たか


英語
I have to remember the day when the earthquake and the accident of nuclear power plant occurred.
It is almost one year since the disaster attacked us.
Reconstruction is going slowly.
It is not a memorial day for routine which repeats again and again on television or in newspaper.
I never forget the eloquent of people in power who says that something dangerous is safe and that something wrong is right,
After all what I have learned after the tragedy is that we lack the chance of discussion or debate when we decide our fate.
The right to decide should not belong to the people in power but belong to all the people.


スペイン語
Tengo que recordar el día en que el terremoto y el accidente de la central nuclear ocurrido.
Es casi un año desde que el desastre nos atacaron.
La reconstrucción se va lentamente.
No es un día de conmemoración de rutina que se repite una y otra vez en la televisión o en el periódico.
Nunca olvidaré el elocuente de la gente en el poder que dice que algo peligroso está a salvo y que algo malo es bueno,
Después de todo lo que he aprendido después de la tragedia es que no tenemos la posibilidad de discusión o debate cuando decidimos nuestro destino.
El derecho a decidir no deben pertenecer a las personas en el poder, sino que pertenecen a todo el pueblo.


フランス語
Je dois me rappeler le jour où le tremblement de terre et l'accident de la centrale nucléaire est survenu.
Il ya presque un an depuis la catastrophe nous ont attaqués.
La reconstruction va lentement.
Il n'est pas un jour de commémoration de routine qui se répète encore et encore à la télévision ou dans les journaux.
Je n'oublierai jamais l'éloquence des gens au pouvoir qui dit que quelque chose de dangereux est sûr et que quelque chose de mal est bon,
Après tout ce que j'ai appris après la tragédie, c'est que nous n'avons pas la chance de discussion ou de débat lorsque nous décidons de notre sort.
Le droit de décider de ne pas appartenir à des gens au pouvoir, mais qui appartiennent à tous les peuples.


イタリア語
Devo ricordare il giorno in cui il terremoto e l'incidente della centrale nucleare si è verificato.
E 'quasi un anno dopo il disastro ci ha attaccato.
La ricostruzione procede a rilento.
Non è un giorno della memoria per le routine che si ripete più e più volte in televisione o nei giornali.
Non dimentico mai l'eloquente di persone al potere che dice che qualcosa di pericoloso sia sicuro e che qualcosa di sbagliato è giusto,
Dopo tutto quello che ho imparato dopo la tragedia è che ci manca la possibilità di discussione o dibattito quando decidiamo il nostro destino.
Il diritto di decidere di non dovrebbe appartenere al popolo al potere, ma che appartengono a tutto il popolo.



ドイツ語
Ich habe den Tag erinnern, als das Erdbeben und der Unfall von Kernkraftwerken aufgetreten.
Es ist fast ein Jahr nach der Katastrophe hat uns angegriffen.
Wiederaufbau ist langsam.
Es ist nicht ein Gedenktag für die Routine, die immer und immer wieder wiederholt im Fernsehen oder in der Zeitung.
Ich vergesse nie den eloquenten Menschen an der Macht, die, dass etwas gefährlich ist sicher und dass etwas falsch ist richtig sagt,
Nach allem, was ich habe nach der Tragödie gelernt habe, ist, dass wir die Chance Diskussion oder Debatte fehlt, wenn wir unser Schicksal entscheiden.
Das Recht zu entscheiden, sollte nicht auf die Leute an der Macht gehören, sondern gehören allen Menschen.


ロシア語
Я должен помнить тот день, когда в результате землетрясения и аварии на АЭС произошло.
Это почти на один год с момента аварии напали на нас.
Реконструкция идет медленно.
Это не памятный день для обычной который повторяется снова и снова на телевидении или в газете.



中国語
我还记得那一天,当地震和核电站事故的发生。
这是近一年以来的灾难袭击了我们。
復興的速度比较缓慢。
这不是一个纪念日程序重复一次又一次地在电视或报纸。
我永远不会忘记的雄辩的当权者,他说,一些危险的是安全的,是正确的和错误的东西,
毕竟我的经验教训后,悲剧的是,我们没有讨论或辩论的机会,当我们决定我们的命运。
有权决定不应该属于权力的人,而是属于普通人。

韓国語
결국 그날 배운 것은, 우리들의 운명을 결정 논의가 없었다고 말할 것이다.
흰색은 검은 색으로 단언했다, 위대한 분들의 새빨간 거짓말이다.
그래서 미래의 인간에 대한 책임으로
원전이든 뭐든 논의하고 결정하는 그 기본적인 것을있는 사회에 할,이라고 생각한다.
모든 것을, 우리들이 모르는 곳에서 위대한 사람들 만 결정하지 말라, 말 것이 야.


☆ ☆
昨夜の、八重の桜で、
佐川官兵衛(かんべえ)、秋月悌次郎(ていじろう)この二人の名前が印象に残った。

佐川は、戊辰戦争後、明治政府に拾われ警察官となり、西南の役で明治政府軍の一員として西郷隆盛軍と戦い、戊辰戦争の敵をとる言って、刀で切り込む抜刀隊として戦い戦死。
秋月は、その後漢文の先生として熊本で教鞭をとる。同僚に、ラフカディオ、ハーン、
夏目漱石がいた。
しかし、孝明天皇の手紙の前に膝ざまづき、感極まった容保を始めとする会津の侍の姿は凝りすぎだ。少なくとも、見ていていやらしさを感じてしまう。

その後、孝明天皇が崩御し、明治天皇となってから、朝敵として徹底的に、公家三条実美、薩長軍に痛めつけられる姿が、ますます大きくなる思いだ。
あれを見て、不快感を感じる人が、薩摩、長州の人だけではなく、福島にもいる、と思う。

八重でも、野口英世でも、その生き方から学ぶことは弱いものを、体の弱い人を、いじめちゃいけない、助けるんだ、ということだけなんだ。恨みを、残し続けることではないんだ。

過去は過去と言うことなんだよ、大切なのは今だよ。

Taka さん
はこべのんきさん

へえ、びっくり、貴女はずいぶん深く知ってますね。
そして何気なく、僕の過ちを直してくれましたね。ありがとうございます。
斉明天皇は、天智天皇のお母さんでした。
二回天皇の地位に着いているんですね、前回は皇極天皇として。

百済を援助するために、新羅、唐の連合軍に負けてしまった。白村江で。

斉明天皇も孝明天皇も激動の時代の、悲劇の天皇という点では似ているのでしょうか。

I want to decide my destiny.It is a matter of fact.
But it is very difficult in this world.



你说的对。
我希望我决定我的運命。
可是这是非常困难在这个世界。
我也不知道,来世有没有。

今天是今天,明天是明天。
2013年3月4日 20時06分
hakobe-nonki さん
自分のことは自分で決めたい!こんな当たり前のことがなかなかうまく行かないのがこの世。でもあの世もあるんだか無いんだか分からない。この世で明日に向かって生きていくしかない。明日もあるかどうか分からないけど。
「容保公は亡くなるまで孝明天皇のご真筆を肌身離さず持っておられた」と容保公のひ孫さんがテレビで話しているのを先程見ました。朝敵となってからはご真筆の存在を公にされなかったとか。テレビドラマはいつだって脚色してあるので、疑いながら見るに限りますね。
2013年3月4日 16時35分
Taka さん
안녕하세요.

"早く民意の反映される世の中が来れば良いなと思います。世の中にしなくてはいけないのかな、そうでないと又も歴史は繰り返される."

I wish the day will come when we can decide our destiny by our own will.
I try to do what I can do for it.
Otherwise the history of tragedy will repeat itself again.

슬픈 역사는 바라지 않습니다.
모두의 행복을 바랍니다.

斗南藩、青森の上、下北半島、いまのむつ市になっているところ、松山ケンイチの故郷です。
デンシンさんの祖先も、秀吉の天下平定、全国統一の傷を背負っていたのですね。
貴重な歴史を教えていただき、率直な、感動的言葉、ありがとうございました。

2013年3月4日 15時31分
Taka さん
ゆかりんへ
Welcome to my diary.
Yes,it is true.
Past is past.
We have to look for the future.
You know ,I understand in mind but I cannot understand in heart.

삼년 남자, 삼년 남자, 십개월 남자, 홋카이도 남자 모두 싫어요.

붉은 꽃을 먹은 사람은 싫어요.

Quiero mirar y comer las flores.
Porque son las bonitas.
¿Entiendes ?

Adiós.



2013年3月4日 15時05分
デンシン さん
안녕하세요?
ネットで会津藩を調べました。斗南藩?として行くのですね。仙台藩の一族が北海道に移住していく『石狩川』のような辛苦を負わされたのですね。
私の所、宗像氏は跡取りなく秀吉に滅ぼされ、デンシン氏も?土着土耕の民になっていったとありますが、その後、宗像大社のお陰?神郡宗像としてずっと平和に過ごしてきました。明治維新の時に越前百姓一揆?に加わり、もう少しで県庁まで行けたのにと言うことですが、父の弟は神風特攻隊であと少しで落命です。早く民意の反映される世の中が来れば良いなと思います。世の中にしなくてはいけないのかな、そうでないと又も歴史は繰り返される。?おじゃましました。덴신 올림
2013年3月4日 14時11分
☆yukarin☆ さん

To Taka

I sympathize with your way of thinking, because I had experience in common. past is past... isn't it?

2013年3月4日 12時04分
Taka さん
Eu tenho que lembrar o dia em que o terremoto eo acidente da usina nuclear ocorrido.
Eu nunca esqueço o eloquente de pessoas no poder que diz que algo perigoso é seguro e que algo de errado está certo,
Depois de tudo o que eu aprendi depois da tragédia é que não temos a possibilidade de discussão ou debate quando decidimos o nosso destino.
2013年3月4日 10時09分
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