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風鈴さんの おぼえた日記 - 2016年1月10日(日)

風鈴

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おぼえた日記

2016年1月10日(日)のおぼえた日記

More must be done to prevent 'disaster-related deaths'      Sunday, January 10
          もっと防げる「関連死」


    阪神大震災
阪神大震災で亡くなった人たちの人数ですがこの震災で初めて「関連死」の方も加えられました。震災後に病気の悪化や自殺などで亡くなった方々はたくさんいます。しかし、認定されないたくさんの遺族の方がいます。当時、中学1年生で現在、毎日新聞の記者である
茶谷亮(大阪社会部)の記事です。

 >「関連死と認められなかった悔しさ。「なぜ防げなかったのか」という後悔。誰もが、今なお癒えない傷を抱えていた。当時、私たち家族は父の死と弔慰金を結びつけることはなかった。申請すらしていない私の父の死は、震災のどんな記録にも残っていない。だが母は今でも、ニュースで震災の死者数を聞く度に「もう一人いるのに」と胸が締め付けられるという。「地震さえなければ」という遺族の思いは、その死が公的に認定されているか否かに関係なく、消えずにある。」


Of the 6,434 victims of the January 1995 Great Hanshin Earthquake that devastated Kobe, Hyogo Prefecture, and surrounding areas, 921 died as a result of stress, illness, overwork and other factors caused indirectly by the disaster. However, the figure does not include those who committed suicide. Moreover, there are quite a few people whose deaths are suspected of having been indirectly caused by the temblor but not recognized as such. It is important to keep in mind that there were tragedies in the disaster that are not recorded in figures. As a journalist and a member of the bereaved family of one of the victims who have not been recognized as such, I hope that the national and local governments take effective measures to prevent such deaths that can be avoided.
●victim 犠牲者 ●devastate (国土を)荒廃する ●surrounding 周囲の
●indirectly 間接の ●disaster 大災害 ●commit (記録を)付する
●suicide 自殺 ●moreover 更に ●quite a few かなり多数 
●suspect of 疑いをかける ●temblor 地震 ●recognize 認める 
●as such それとして ●tragedy 惨事 ●bereaved family 遺族 
●victim 犠牲者 ●effective 効果のある ●prevent 防ぐ

阪神大震災(1995年1月17日)の死者6434人のうち921人は、地震後に受けたさまざまなストレスや病気の悪化、過労などによる「震災関連死」だった。だが、この人数に自殺者は一切含まれていない上、震災に起因した可能性があるのに関連死と認められなかった犠牲者も少なくない。数字に残らない多くの悲劇があったことを知ってほしい。そして国や自治体に「防げる死」の対策をもっと進めてもらいたい。私は記者として、遺族の一人として、そう願っている。


I suddenly woke up at home in Osaka on the morning of Jan. 17, 1995, because of vertical vibrations. At the time, I was a first-year junior high school student. My home remained intact, but my father, who was an engineer at a construction company, was immediately dispatched to JR Rokkomichi Station in Nada Ward, Kobe, to restore the station that collapsed in the earthquake.
●vertical 垂直の ●vibration 振動 ●remain …のままである ●intact そのまま
●construction 建設 ●immediately ただちに ●dispatch 急派する 
●restore 復旧する ●collapse 崩壊する

あの日、中学1年だった私は大阪市の自宅にいて、突き上げる揺れで目を覚ました。家に被害はなかったが、建設会社の技術者だった父はすぐに呼び出され、倒壊したJR六甲道駅(神戸市灘区)などの復旧工事に加わった。


My father, who came home exhausted late at night a few days later, said, "Everything was devastated." It was the last time I saw my father. Six days after the quake, he took his own life at the company's office where he was staying overnight. He was 47. He left my mother, my two high school-age brothers and my younger sister who was about to enter elementary school behind.
●exhausted 疲れ切った ●devastate 荒廃させる

数日後、深夜に帰宅した父に被災地の様子を尋ねた。「何もかも、めちゃくちゃや」。言葉少なに答える、父の疲れ切った表情。それが、私の見た最後の姿になった。震災6日後、父は泊まり込んでいた大阪市の会社内で自ら命を絶った。47歳だった。母と、高校生の兄2人、私、小学校入学を控えた妹の5人が残された。


None of my family members knew why my father, who had been looking forward to my younger sister entering elementary school and bought a red school backpack for her, chose to die. I wondered whether he had been driven to despair to see towns that had been reduced to piles of rubble or whether he had been overwhelmed by a sense of powerlessness. I have no way to find out the truth.
●whether or …かどうか ●drive (無理に)至らせる ●reduce 絶望する
●pile of rubble 瓦礫の山 ●overwhelm 襲われる ●powerlessness 無力感

早々に妹の赤いランドセルを買い、誰よりも入学式を楽しみにしていた父が死を選んだ理由は家族にも分からなかった。がれきと化した街並みに絶望したのか。築き上げてきたものが一瞬で崩れ去り、無力感に襲われたのか。今はもう知るよしもない。


My mother, who was a full-time housewife, began to work after the disaster and sent all of us siblings to university. I once had a grudge against my father when I saw my mother struggle to make a living. When friends asked me why I had no father, I vaguely answered, "He died after the earthquake," instead of saying, "He was killed in the disaster" or "he committed suicide."
●sibling 兄弟 ●struggle もがく ●vaguely あいまいに ●instead of しないで

専業主婦だった母は働き始め、私たち兄弟(4人)を大学に入れてくれた。苦労する背中を見ながら、父を恨んだ日もある。父がいない理由を友人に聞かれた時は「震災で亡くなった」とも「自殺した」とも言えず、「震災の後に亡くなった」とあいまいに答えてきた。


The idea of "disaster-related deaths" was formed after the Great Hanshin Earthquake. Since then, the central government has included those whose deaths are recognized by municipal governments in disaster-hit regions as disaster-related deaths in the death toll from the disaster. However, the national government has not clearly defined disaster-related deaths, and yardsticks for deciding whether deaths should be recognized as such have changed from one disaster to another.
●disaster-related deaths 関連死 ●recognize 認定する ●death toll 死者数
●define 定義する ●yardstick 基準 

関連死という考え方は阪神大震災で生まれた。以後、市町村が関連死と認定して遺族に災害弔慰金を支給した場合、国は災害の死者数に含めている。だが認定基準に明確な定義はなく、災害ごとに線引きも変化してきた。




    でっかいサボテンを発見
とにかく大きなサボテンだった。

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風鈴 さん
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Mちゃん さんコメントありがとうございます
残念ながら見落としました。湖と里山と山が近接してます。鳥は飛べますので、いろんな鳥がいます。百年も前も今も同じような景色かと思われそうですが、1,2年で劇的にびわ湖にくる鳥は変化しています。それも半端でない。小さな竹生島は岐阜からきた鵜の糞で真っ白になりました。白い漆喰で塗り固められて、松林が枯れ木になりかかりました。昨年ぐらいからオオバンが六万羽もびわ湖だけに中国から来ました。アユが激減したり、カイツブリもめっきり減りまた。びわ湖の水質は随分改善されています。環境のせいではありません。びわ湖以外の環境の変化を受けているのだと思います。アユが減ったのは鳥だと風鈴は思っております。びわ湖だけキレイにしてもダメですね。中国も世界中がびわ湖のように取り組んで欲しいと思っています。
2016年1月10日 20時11分
Mちゃん さん
1人
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今日のNHKの自然百景は琵琶湖とその里山に住む鳥たちでした。沢山の鳥が来るんですね、風鈴さんを思い出しながら見ていました。自然豊かな琵琶湖畔、その中で生き抜く鳥たちのたくましさに感動!
2016年1月10日 19時31分
風鈴 さん
0人
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あけみちゃんのネコカフェ さん 励ましのおことばありがとうございます
風鈴もNHKの真田丸は楽しみにしています。真田十勇士、霧隠れ才蔵とかライバルの猿飛佐助、忍者が好きです。和歌山も真田と関係あるんですね。知りませんでした。楽しみですね。
2016年1月10日 15時53分
風鈴 さん
0人
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かおりん さんコメントありがとうございます
その後神戸は一見復興したように見えます。が今では、港町神戸が人口も貿易量も福岡に負けました。21年経っても傷が深いです。
2016年1月10日 15時42分
風鈴 さん
0人
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アメリカ民主主義 さんコメントありがとうございます。
「メモリーズ・コーナー」の情報ありがとうございます。知りませんでした。震災後自殺はたいへん多いです。孤独死とかも阪神大震災で生まれたコトバです。この記者のお父さんのように、震災直後の救援、救助する側の方々の自殺も少なくありません。救助隊員や医者などもあります。外因性ショック死、外傷が一見なく助かったと思われた人が1週間後とかに亡くなるとかこのときの教訓が後の福知山の鉄道事故や東日本大震災の救助に行かされています。救助する医者や消防の人が想像を絶する状態で懸命に頑張っても、絶望的になったと仰っています。
2016年1月10日 15時38分
風鈴 さん
0人
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スナフキン さんコメントありがとうございます。
あれからもう21年も経ちました。大津に住んでいました。朝の5時頃でした。当時は早起きはしていませんでした。寝ていました。大きな地震でしたが、布団の中で揺れが止まるのを待っていました。隣で寝ていた奥様は風鈴が飛び起きないので一緒に寝てたと言っていました。時間がたつににつれ想像を絶する光景がテレビで写しだされてました。この記者のおられた六甲道はその後も復興が一番遅れたところ、被害の大きかったところです。
2016年1月10日 15時24分
このコメントを投稿したユーザーは退会しました。
風鈴さんへ
またまたお邪魔すると、いきなり大きなサボテンの写真に驚いてしまいました。すごいですね。阪神大震災の関連死の英文もすごい量です。訪問するたびに新たな発見があります。
励ましの「いいね!」マーク、本当にいつも有難うございます。-あけみちゃんのネコカフェ
2016年1月10日 13時48分
かおりん さん
1人
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当時神戸に友人が住んでいました。
その悲惨な状況を聞き、今もわすれません。
2016年1月10日 12時44分
阪神大震災の関連死を扱ったフランス映画を見たことがあります。
「メモリーズ・コーナー」というあまり知られていない映画かもしれませんが、出演者は阿部寛や西島秀俊など有名な俳優で固められています。

この映画を見て、関連死について深く知ることができました。

2016年1月10日 11時55分
スナフキン さん
1人
役に立った

僕がアメリカから、帰ってすぐに地震がありました、この時アメリカ、のフォストファミリーから、無事かどうか、の電話がありました、英語がわからなくて、とりあえず僕はだいじょうぶだと伝えました、やっと安心して、もらえました、神戸に友達がいるのですが、朝まで焚き火して寒さをしのんだようです。
2016年1月10日 8時27分
風鈴 さん
1人
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k403さんおはようございます
テレビ見たかったです。一昨年冬にびわ湖歩きました。雪の降る湖面に一杯の野鳥がいました。湖北のびわ湖はとても神秘的で静かな湖です。近くなのに最近は行っていません。行ってみたくなりました。一杯写真が撮れそうですね。
2016年1月10日 8時23分
k403 さん
0人
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もうすぐまた1/17がめぐってきますね。
被災された方々やこの記者の方のような方々には
いつまでも、心の底から笑顔になれる日はないんですよね。

今朝、湖北の野鳥たちの様子をTVで放送していました。
オオバンもいましたよ。
2016年1月10日 8時1分
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