2009年2月24日 (火)
繰り返しますが、予習は大事 英会話教室に行くのなら、復習はしなくても予習はすべき、というのが私の目下の結論です。英会話教室では予習が大切(2009/1/20) だいたい50分~1時間程度のレッスンのための予習ならば、1時間もかかりません。上記の記事にも書いたとおり、始業の1時間半くらい前に着くように早起きして、会社の近くの喫茶店で勉強するくらいで、十分に終えられます。 とはいえ、この予習はとんでもなく大変だった時期が、半年くらいありました。教室に通い始めて3年目、ビジネス会話の上級クラスに進んだときのことです。 この講座でのテキストは、Amazonでも販売されている洋書で、ヨーロッパの非英語圏でビジネス英会話のテキストとして用いらているものでした。ただでさえけっこうな密度のこのテキストを、毎回1ユニットずつ進める、という過酷なクラスだったのですね。 過酷な予習の内容とは 内容としては、毎回異なるテーマについて意見をまとめて述べるセクション、リスニング、文法と単語のチェック、「Financial Times」などからの抜粋記事が約1ページあって、その内容に関するディスカッションといったものです。これを予習で一通りやると、どうがんばっても2~3時間が必要でした。もう大変なので楽をしたいのですが、人数が少ないクラスで2回に1回はマン・ツー・マンになるし、予習していないとそれこそ全くレッスンにならないのでサボるわけにもいきません。 思えば、この半年間がもっとも勉強が大変でした。これが入校当初だったら、確実にやめていたでしょう。 結局、講師の側からもなにか提案があったのか、半年後にはレッスンの進め方が見直され、1ユニットを2週で終えることとなりました。めでたく予習量は半減です。 思い返せば苦労の甲斐はあったけど いまから思えば、教室に通い始めてからちょうど3年目、TOEICも800点に到達して多少は自信がついてくる時期に、こうした無茶なレッスンに行き当たったのは、ラッキーだったといえるかもしれません。自分なりにかなりムリをしなければ準備もままならなかったので、ひととおり中級から中上級くらいまでのレッスンを終えたあとでもまだまだやるべきことはたくさんある、ということが実感できました。 そして、この時期の予習は、もうひとつ別の効果をもたらしてくれました。これについては、稿をあらためます。 |
2009年2月21日 (土)
言葉が出てこない! 先日英語で話していて(とか書くと、英語で話す友人でもいるかのようですね。もちろん、英会話教室での話)、もう自分でいやになるくらい、言葉が出てこないという経験をしました。それはまあ、私の場合は英会話とはいっても乏しいボキャブラリを動員してとりあえず意味が通じればなんとかなるだろう、という程度のものですから、「言葉が出てこない」のはわりとあたりまえです。 けれど、今回はかなり基本的な単語さえ、出てこなかったのですね。かなりショック。 たとえば、「痛み」=「pain」 火曜日の夜。あなたの両親はどんな人か、みたいなトピックだったのですが、父の特徴として「とにかく『痛み』をギリギリまで我慢してしまうひとだった(一昨年他界しているので、過去形)」と伝えたかったのですが、「痛み」すなわち「pain」がどうがんばっても思い出せません(水曜日入浴中にようやく思い出したときのショックといったら...こんな基本的な単語を)。もうしょうがないです。「When he had a headache, stomachache or something, he said nothing about them.」とかいうわけですが、これじゃあ通じません。それに。「痛い」と絶対にいわなかったわけじゃないので不正確だし。 講師がいろいろと想像力を働かせてくれてなんとか意味は取ってもらえたんですが、せめて「He was a very patiant man.」くらい付け加えれば良かったのかも。 この一件だけじゃなく、その前にもリストから名前を消す、という話をしたいのに「remove」が出てきませんでしたよ。もう末期的といっても良い状態です。 ええっと、これって年のせい? 考えてみると、英単語だけじゃないですね。人や物の名前、電話番号、あるいは日常的に使う日本語の表現など、ありとあらゆる言葉がとっさに出てこずに、「あー、あれあれ、なんだっけ、あの」という場面が確実に増えてきています。家族や同僚とのあいだだと、共通の情報が多いだけに「あ、あれね、どうだったんだっけ?」などと会話が成立してしまうので、よけいにちゃんと思い出す努力をしなくなります。 もちろん、脳の経年劣化はやむを得ないところですが、年のせいにして諦めるわけにもいきません。それでは、このブログのタイトル自体が嘘になっちゃいます。 基本的には、使わずにすませていた知識は思い出しにくいものでしょう(科学的知識なしにいいきっちゃってはいかんのでしょうが、直感的には、そうですよね)。 なので、できるだけ使う機会を増やすことくらいしか、私には対策は思いつきません。 たしかに、ここ半年くらいはドイツ語の勉強を始めたこともあって、英語に触れる時間がかなり減ってしまっていました。今月に入って、久々に英語の本を読み始めたものの、法事のために数日間間が空いちゃったらそのまま止まっちゃっていますし。 英会話教室は最低でも週に一度は英語に触れる時間を作れるものですが、それだけでは維持さえも危ういということでしょう。 何度も書いているように私は「継続」「コツコツ」「粘り強く」といった言葉に背を向けながら40年以上生きてきた人間なので(笑)、なかなかうまいやり方を思いついていないのですが、毎日少しずつでも英語を読んだり言葉に出してみる時間を作れないか、工夫してみようと思ってます。 |
2009年2月 7日 (土)
「やる気」には何度もなるんだけど 「英語ができる自分」を長年にわたって妄想してきただけあって、英語をしっかりと勉強し直そう、と思ったことは一度や二度ではありません。大学を卒業して、わざわざ時間をとって勉強する時間というものがなくなる一方で、さまざまな経験を経て英語が使える人と会う機会も多くなって、むしろ「その気があるなら、ちゃんと勉強しなくちゃな」という気持ちは高まったといって良いかと思います。 そんなときはお決まりのパターンで、書店に行ってラジオやテレビの英会話講座のテストを手に取ったり、英語学習参考書のコーナーで次々にいろいろな本を眺めたり。もちろん、何度も実際に本を買ったり、CD教材を買ったりもしました。 けれど、ダメなんですよ。本はだいたい最初の10ページまで、CD教材だって良いところ2~3のセクションを聞いたら、それでお終い。なんとなくやる気が失せて、忙しいからと脇に寄せ、数週間もすればそれらの教材はどこにいったんだかわからなくなりました。 私は生来のナマケモノ やらずに済む努力はしない、明日で良いことは延ばす、そんな性格なので、小中高校と成績は決して悪くないけれど絶対に一番にはなれず、復習を怠るので試験ではポカミスが絶えない、いつも宿題を忘れるものだから教師にも睨まれる... よくもまあ、これまでやってこられたものだと、われながら運の良さに感心するほど。そんなナマケモノが、自らを律して勉強することなど、そうそうできるわけがありません。本や教材を買ってきて、自分の意思で毎日時間をとって勉強するなど、まずムリ。 必要なのは、背水の陣 社会人になってからもっともまとまった時間勉強したのは、おそらく中小企業診断士の試験勉強期間ですが、このときは周囲の同僚や上司に受験中であることを宣言し、友人と勉強会を定期開催することで逃げ場をなくしました。ナマケモノとはいえ、背水の陣を敷けばなんとかなるのです。でも、英語学習では背水の陣って、なかなかないですよね。 試験勉強ならば試験に合格しちゃえば終了ですが、英語ってここまでやったから完成、という区切りがありません。海外赴任の予定があったわけでもなく、宣言できるゴールがないのです。 結局、社会人になってから15年ものあいだ、私は2~3年おきに思い立っては本や教材を買っては数週間で忘れる、ということを繰り返してきたのでした。 たぶん私はナマケモノ度合いに関しては相当高水準にあると、日頃思っているのですが(そんなこと威張るなっ!)、経験上、こういう人は自分を縛り付けるなにかをもたないと、努力を継続できません。 縛り付け方のひとつは周囲への約束、たとえば「1年後にTOEICで900点取る!」といったものですが、ただ宣言するのではなく、成功したときに自分もうれしいインセンティブがあると良いですね。ただし、彼女に「900点取ったらプロポーズするから」なんて宣言したら、その場でふられるかもしれませんけどね。 ちなみに、(英語の話じゃなくて恐縮ですが)私は中小企業診断士の受験時には、「2次までストレートで受かったら、かねてからほしかった『DATウォークマン』(知ってます?)を買う」と心に誓っていました。いわゆる「自分へのご褒美」作戦です。 英会話教室は、自分を縛り付ける道具だった 筋金入りのナマケモノの私にとっては、もっと楽な(でもちょっとお金はかかる)縛り付けかたが、英会話教室に通うことでした。英語話者の友人知人がなく、会社でも使う機会の少ない人が、週に一回ないし二回、かならず英語を勉強する時間を作ろうと思ったら、やはり一番簡単なのは教室に通うことです。 しかも、前払でキャンセルしたらそのぶんはムダ、しかもけっこう高い、というふうにしておけば、もったいないのできちんと通うでしょう(なので、チケット制で行ったぶんだけ減る、という方式は私にはあわないと思う)。 外国語学習のために教室通いは、決して万能でもなければ、だれにとってもものすごく有効とはいえません。 とはいえ、自分一人ではなかなか継続できない人(たぶん、とっても多いんじゃないかと思います)にとっては、かなり有効な手段なんじゃないかと。そこそこ勉強が進んで挫折の可能性が低くなったら、自主勉強が継続できるようになるように思います。 せっぱ詰まった事情がなければ、とにかく前に進んでいることが実感できることこそが、継続力の源だと私は思うのです。それさえあれば、ラジオ講座を継続して聞くことも、そう苦痛を伴わずに継続できるかもしれません。 ようは、自分の性格や生活のパターンにあった学習方法を見つけられれば、意外と続けられちゃうものなんでしょう。 |
2009年1月20日 (火)
自分の「できなさ」にショック、でも さて、英会話教室での顛末に戻りますか。前回までで講師によるレベルチェックの結果、中級クラスを勧められ契約し通い始めたものの、クラスメートとのあまりにレベル差に唖然としたのは、以前書いたとおりです。 英会話教室で、最初に目指したハードルは(2009/1/6) このショッキングな事実をポジティブにとらえ、猛烈に勉強を始めたわけでは...やっぱりありません。このくらいのことでポジティブになれ、行動を変えられるのならずっと前から変わっているはず。私のナマケモノ度合いは、かなりの筋金入りなのです。 教室ではレッスンで使うテキストの他にワークブックを購入し(させられ? けっこう高いんでびっくりしますよね)、レッスン後の復習が推奨されていたのですが、もちろん最初の2回くらいしか手をつけませんでした。もう、徹底的にダメです。 レッスンは予習が前提 レッスンで使うテキストのページは予め決まっているので、英会話教室としては当然、生徒が予習をしてレッスンに臨むことを期待しています。ちゃんとやったかって? そんなのここまでの経緯を見ればわかりますよね。もちろんやりません。正真正銘、私が英語の勉強をするのは週に2回のレッスン時間だけでした。 早い段階で実力の程を実感し、相当の努力が必要だということはわかったものの、その努力になかなかたどり着かないのが私のとても悪いところです。結局、予習をある程度するようになったのは、半年後に次のステップにあがってからでした。 ではどうして予習をするようになったのか、というと簡単なことです。 「予習をしていかないと、本当にレッスンについて行けなくなったから」 あ、呆れました? うーん、私って本当にダメなヤツですねえ。おそらくそれまでも、レッスンへの準備ができていない私はクラスメートにけっこうな迷惑をかけていたんだろうと思います。けれど、自分が困らないとたかだか1時間程度で終わる予習さえ、できないわけで。 予習をするメリットは 多少は予習をしていくようになると、ひとつはレッスン中にゆとりができて、会話の練習ひとつをとっても以前より楽しめるようになりました。また、以前の自分と同じように準備をせずにレッスンに臨んでいる生徒が、けっこう全体にとって負担となっていることが(ようやく!)見えてきたのですね。半年間ごめんなさい。 こうなると、予習なしでレッスンに出て行くのはよほどの理由がない限り避けたいと思うようになります。どちらかといえば、「予習をしていない自分」がどれほどダメなのか、他の生徒さんの姿から実感できたのが大きかったかな。一度恥ずかしいと思ってしまったら、そこには戻りたくありませんよね。 繰り返すようですが、ほとんどのひとは自分で気がついて、すぐに予習を欠かさないようになります(たぶん、それでも気付かないひとは、だんだんと足が遠のくのか、いつの間にか教室で会わなくなっている)。半年も経ってからやっと自覚する私は、かなりダメな学習者だということは否定できません(クラスメートと講師に伏してお詫び)。 予習のメリットはいくつかあります。 とくに三つ目はけっこう大切だと思うのですよ。英会話教室というのは知識を詰め込む場所ではなく、訓練の場という性格があるので、漫然とお客さん感覚で「はい、何を教えてくれるの?」という受け身の姿勢では得られるものが少なくなります。 なんだか良い子ちゃんっぽい物言いになりますが、どれだけ主体的にコミットできるかで、リターンの量が変わってくるものだと思います。予習はこのコミットメントを高めてくれます。 予習を始めるようになってから、数ヶ月ごとの講師からのフィードバックコメントにポジティブな評価が増えるようになりました。まあ、何も準備してこずにオロオロしている生徒に比べれば、講師だってやりやすくなったのはたしかでしょう。 「ついていけない」と感じたら予習をしよう 「英会話教室に行き始めたけど、ぜんぜんついて行けない」と悩んでいるかたは、とにかく予習をしっかりやってみることをおすすめします。え、時間がないですって? 私の場合、レッスンのある日には普段より30分早起きして、始業の1時間半前に会社の最寄り駅に到着するようにしています。具体的には、5時半に起きて7時に駅に到着。近くの喫茶店で1時間強を使って予習をして、仕事にでかけるというわけ。このくらいだったら、なんとかなるでしょ? もちろん、復習もやるに越したことはありませんが、どちらかといえば、毎回のレッスンを前向きな姿勢で受けられるようになる予習のほうが効果的じゃないかと。なにかを学ぼうとするとき、大事なのは主体的に取り組むこと、取り組める環境を作ることだと思うのです。 その意味で、私はいわゆる「流し聞き」勉強法をあまり信用してないのですが、これについてはまた後日ということで。 |
2009年1月 6日 (火)
以前、こんなふうに書きました。妄想のなかの自分は映画やドラマのような英語を話すけれど、本当にやりたいことは旅行を楽しみたいだけ。低いハードルならたぶん越えられるし、越えてから少しずつ高くすればいい。 それまで私が本や教材を買っては投げ出していたのは、望んでいる「英語が使える自分」と、現実とのギャップが大きすぎて、ちょっとやそっとの努力では埋まりそうにもないと思い知ったから。 そんなの、教材の例文を1行、音読してみれば明白ですもんね。 会話はムリでも、読むほうは単語さえわかれば大丈夫なはずなのに、実際にはぜんぜんダメ。何度も何度も読み返さないと、文章の構造が全く見えてきません。 1ページの雑誌記事に3時間かかったりする状態でした。 37歳にしてようやく重い腰を上げ、英会話教室に通い始めたとき、とりあえず置いたハードルは「自分がどれだけできないかをちゃんとわかる」ことでした。 そんなのハードルじゃない、と思われるかもしれませんし、「できない自分」を確認するだけならもっと簡単にできそうな気もします。 けれど、この作業は私にとっては不可欠なものでした。 まずは自分がどこからスタートを切ろうとしているのかをきちんと認識して、謙虚さをもつことができなければ、いい年になってから新しくなにかを学ぶのはムリだろうな、と思っていたから。 幸か不幸か、このハードルは教室に通い始めて数週間のあいだに、簡単に到達できました。 とにかく言葉が出てきません。日本語で考えて翻訳を試みるので時間がかかる、あるいは単語を忘れていてつっかかるだけではありません、印刷されたテキストを読むのさえまともにできないのです。 周囲は講師も含めて日本人ばかりなのに、気後れする度合いは旅行中の比ではありません。 やっぱり恥ずかしいんですよ。他の生徒さんは自分よりずっと若くて、同じクラスなんだけどはるかに発音も良くて、間違いながらも堂々と会話をしています。 一方の私は早く50分(レッスンの時間です)が過ぎ去ってくれないかと思うほど。 学校でのテストはそれなりに点数をとっていたので、できもしないわりにおかしなプライドは持っていたんでしょうね。基礎力はオレのほうが上だぞ、的な。 こういう無意味なプライドは早めに消しておくのが良いです。 どんなことだって、15年も放置すればできないのと同じです。ましてや英語はさして得意だったわけでも好きだったわけでもありません。 学習の最初の段階で、基礎的な文法解説も含めて、ひとつひとつやり直そう、という気になれたのはとてもその後の学習をスムーズにしたように思います。 私と同じようにかなりのブランクを置いて語学学習を再開するのなら、まずは「自分がどこにいるのか」をきちんと見極め、無用なプライドや自信は取り払っておくことをおすすめします。 プライドが努力の源になるのなら良いですが、多くの場合は、学習の妨げにしかならないので。 なかなか難しいけれど、まず穴の大きさを把握しないことには、埋めるための労力は見えてきませんしね。その意味で、他人に自分の実力を見てもらえる機会は、貴重だと思います。 |
2008年12月27日 (土)
さて、酔った勢いで決めた「TOEICスコア勝負」のための英会話教室ですが、予約していた「体験レッスン」は翌週でした。 私は初心者クラスの授業を見学するのだろう、くらいのつもりででかけていったのですが、その内容は個室で外国人講師と一対一で対話をするという、当時の私にはいささかヘビーなもの。「話が違う!」と思いましたね実際。 講師は手にイラストを持ってました。たしかデスクで仕事をしている絵やら、書類をもって上司を訪ねている絵やらだったと記憶しています。 これを見ながら、「This is you. What are you doing?」とか訊かれるので英語で応えるわけです。まさかそんなことになろうとは思っておらず、頭の中が真っ白になったので、一体どういう受け答えをしたか全く憶えていません。30分にも1時間にも思えた、実際には5~10分ほどの面談を終えると、数分後に日本人のマネージャーが入室してきて、結果が伝えられます。 なんでも、私は基礎文法はなんとかわかっているけれど、英語の表現やリスニングの能力が不十分なので、中級クラスからスタートするのが良いとか。 基礎文法が理解できている事例としてあげられたのが、「What have you done today?」かなにかを尋ねられた際に、ちゃんと「I've wrote a report today.」とかなんとか、とりあえず完了形を使って応えたから、というのはなぜか印象に残っています。学校で習ったとおりに返しただけなのですが、それができれば中級、という判断だったのかな。 あとはお決まりのコースの説明です。職業訓練給付金の対象となるコースで、週に2回、1年間のレッスンプランでした。40万円弱だったかと思います。 その頃私は単身赴任中だったのですが、いい加減英語を何とかしなくちゃね、と事前に妻と相談済みだったのと、終了後は給付金でけっこうな金額が戻ってくる(当時は限度額30万円で80%という太っ腹な制度だったんです)見込みもあったので、その場で契約しました。まだボーナスが残っていましたしね。 英会話教室をいくつも回って選ぶ、という発想はありませんでした。 最大の理由は、この教室が当時のオフィスと同じビルにあったので、通いやすいであろうと思われたことです。仮に忙しくても、レッスンを受けてから事務所に戻れます。 学校によってレッスン内容の違いはあったでしょうが、なんとか「中級クラス」に引っかかった程度では選んだってしょうがない、むしろ腹を決めたら早く始めたほうが良いだろうと考えたのでした。これは正解だったと思います。 そんなこんなで、テキストとワークブックが渡され、毎週2日間ずつ英会話教室に通う生活が始まりました。契約時点では、私の手許には英和辞典さえありませんでした(大学まで使っていたものはとうに処分してしまっていました)、全くやる気があるんだかないんだか、という状態ですが、リズムがつかめるまではこのあと半年以上かかります。そのあたりはまた後ほど。 |
2008年12月24日 (水)
2回目の記事で、英語を学ぼうと思ったのは旅行を楽しむため、と書きました。 参考記事:「英語を使える自分」は蜃気楼じゃない(2008.12.17) あれは2002年の1月だったと思います。私の所属していた部署が東京に移転し、新メンバーも加わっての歓迎会を、事務所と同じビルの居酒屋で開きました。 当時の私は、TOEICなど受けたこともありませんから、700というのはもう英語ペラペラ、原書だって余裕で読めちゃうくらいのスコアだと思っていました(無知ってこういうことなんですよねえ...)。 酒の席での約束なんて守られないもので、結局そこに入学して半年後のTOEICを受けたのは私一人、よって勝負は不成立。ちなみに、2月からスタートして半年ほどのレッスン後に挑んだ初TOEICのスコアは、765でした。 そんなわけで、きっかけは酔った勢いでのTOEIC勝負だったわけです。 |