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人生まだ半分、37才からの外国語
d-mate

英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

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人生まだ半分、37才からの外国語

2008年12月12日 (金)

はじめまして。

はじめまして、「d-mate」です、「ディーメイト」と読んでください。いわれはいずれまた。

 

小学校での英語教育が議論されています。外国語を学ぶのなら若いうちから、というのは感覚的に納得できるところ。留学や海外駐在の経験があればなお良いし、外資系企業で日常的に使えば、もう鬼に金棒、という感じがします。
でも、そんな条件からすべて外れていたって、自分なりに「使える」外国語を修得することは可能です。


「朝起きたらとつぜん英語の達人になっていた」という可能性はほぼゼロですが、「5~6年続けていたら何とかなっちゃった」という可能性はとても高い。中学高校で習ったことを忘れかけていても、少しの努力と継続で「Newsweek」や「Harvard Business Review」を読める程度になるのは、決して無理な話じゃありません。

 

日本生まれの日本育ち、留学も海外居住も未経験、日本企業に20年勤務して仕事は100%日本語だけ、そんな私でも40歳を目前に一念発起、6年たってかなり格好がついてきました。

40代ビジネスパースンにこそおすすめできる、「ゆるい」外国語学習の体験を紹介したいと思います。

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2008年12月16日 (火)

「英語を使える自分」は蜃気楼じゃない
苦もなく英語が話せたら、スラスラと読めたらどんなに良いだろう、と思ったことのない日本人は、ひょっとしたらゼロなんじゃないでしょうか(さすがにゼロではないか...)。でもなかなか実現できません。「英語が使える自分」は、まるで永遠にたどり着けない蜃気楼のようなものにも思えます。
小さなころからどちらかといえば内向的で、本ばかり読んでいたためか妄想癖があり、自意識過剰であった私などは、さしずめ蜃気楼を眺めながらたどり着くのを諦めている日本人の典型のようなもの。学生時代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などとおだてられて「これからは外人が日本語を学べばいいのだ!」などと強がってはいたものの、英語コンプレックスは打ち消しようもありませんでした。

学校の成績はそれほど悪くはなかったので、単語だってそれなりには暗記したし、過去完了や仮定法だって理屈はわかっていました。なので、海外での挙式や新婚旅行も、成田離婚の危機を招くほどの失態とはならなかったものの、会話がちゃんと成立していたわけではなく、大きなトラブルがなかっただけのこと。
相手が言っていることはなんとなく推測がつくし、書いてあることもなんとかわかる、でも会話は無理。頭の中で英文を組み立てているうちに相手はしらけてどっか行っちゃう。そんな中途半端な英語力って、日本人のかなりの人が当てはまる状態じゃないでしょうか。ぜんぜんダメというわけじゃないのに、やっぱりダメ、だからこそ「何とかなるのではないか」という期待感と、「でも何ともなっていない」現実とを行ったり来たりして、結局前には進めない。

新婚旅行から5年が過ぎ、その間、4回ほど海外にでかけてようやく「このままじゃ、つまんない」と思い始めたのが21世紀に入ってから。37歳になっちゃっていました。
現地で誰かに話しかけられても挨拶してオシマイ、ちょっとわがままがいいたくてもムリ、レストランの予約をするだけでも寿命が縮むよう。そんな旅行をしていても、楽しさは半分ということにやっと気がついたのです。
私には世界中どこでも日本語を大声で話して無理押しする図太さはないし、団体行動が苦手なので困ったら係員に頼れるツアーにも参加できない。だったら、せめて胃の痛い思いをせずにレストランで良い席を頼んだり、おすすめ料理を尋ねたりできるくらいになりたい、それくらいなら、なんとかなるんじゃないかと思いました。

妄想のなかの自分は映画やドラマのような英語を話すけれど、本当にやりたいことは旅行を楽しみたいだけ。低いハードルならたぶん越えられるし、越えてから少しずつ高くすればいい。
人生はまだ半分ほど残っているのだから、たぶん10年をかけるつもりなら、なんとかできるんじゃないか。そう思って英会話スクールのドアをくぐったのが6年半前のことでした。
いまの状況はといえば、TOEICのスコアは一昨年で880(最近は受けていませんが、維持はできていると思います)、英文はニュース程度ならそれほどストレスなく、Harvard Business Reviewは多少がんばれば読めます。映画やオペラは英語字幕があれば内容の理解はできるようになり、レストランを予約して席や料理の希望を伝え、感想を求められれば自分なりに工夫して応えています。
もちろん、若いころからの妄想にはとても及びませんが、自分なりに設定したハードルはいくつか越えてこられたと思います。今年に入ってから、英語のハードルは維持したままで、新しい競技(ドイツ語)にも挑戦し始めたところ。

6年半前、「まだ間に合う」と思ったのが37歳、味をしめてドイツ語に手を出したいまが44歳。私なりの結論は、むやみに高い目標さえ掲げなければ外国語の習得は40歳からでも十分に間に合うし、きっと50歳でも大丈夫だ、ということです。
外国語を学ぶのなら、もちろん若いころに始めるのに越したことはありません。けれど、30代40代になってからのほうが、自分なりのハードルをおいて着実に前進できる堅実さもありますから、一概に有利不利は決められません。むしろこれからの人生後半のために、スタートは早く切るべき、そうすれば、そのぶん早く前に進むことができます。

えらそうに書いていますが、旅行で全く困らないとか、電話や会議も任せておけ、などというレベルでは全くありません。文法のミスは日常茶飯事、知ってるはずの単語も出てこずにつっかえたり、相手に助け船を出してもらうこともしばしば。まだまだ発展途上です。けれど、10年前の自分を思い出すと、ずいぶん遠くまで進んでこられたなあ、という感慨もあります。
この6年半のあいだどんなことをしてきたのか、順番に書いてみようと思います。たしかに英会話スクールには通いましたが、それだけでは英語が(あるいは他の外国語が)使えるようになるわけでは、やっぱりありませんでした。あれこれと試行錯誤は繰り返しましたので、もう若くないから、ムリだろうな、と諦めちゃってるかたにとって、多少なりとも参考になれば幸いです。

のっけから長くなってしまいました。最低でも週に2度は更新をして行こうと思います。おそらくウィークデイに1度、週末に1度、余裕があればもう1度、くらいになるかと思います。よろしくおつきあいください。
次回は、私が思う「役に立つ学習法と、そうでないものの違い」について考えてみようと思います。
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2008年12月20日 (土)

私の考える「使える」勉強法とは?


「ナントカ勉強法」「いまからでもできる○○学習法」といった本が書店にあふれかえっています。何も最近の話ではなく、ずっと以前から、さまざまな勉強法のノウハウが本になり、一部はヒット作にもなってきました。
勉強熱心な人が多いのは、それはそれで良いことのように思われますが、ちょっと考えると、それらの勉強法のうちひとつかふたつでも謳い文句通りの効果があれば、他の本は無用になってしまうはず。
実際にそんなことが起きないのは、結局どんなノウハウや手法も、活きるケースがあればそうでない場合もある、ということですよね。

学習法に限らず、確実に仕事をこなすテクニックだとか、人を説得する技術だとか、ビジネス街の書店では在庫の半分近くが何らかの「ノウハウ本」じゃないかと思えるほど、たくさんの類似書が出ています。料理レシピとか、家事のテクニックとか、いわゆる「仕事術」に限りませんし、外国語学習でも似たような傾向があります。
こうもたくさんあふれかえっていると、同じ人が何冊も類似書を買い込んでは、結局どれも身につかずにしまい込んでしまっている、といった図を想像せざるを得ません。
では、身につかなかったのは、もっぱらノウハウを活かせなかった学習者の問題なのでしょうか? そうとばかりもいいきれないように思います。

WEBのサービスで、ソーシャルブックマークというものがあります。
ようは特定のWEBサイトを「お気に入り」に登録するのと同じですが、その内容はネット上で公開され、特定のページが多くの読者からブックマークされていることがわかるのです(もちろん、自分のブックマークを非公開にすることはできます)。つまり、いまどんなページが人気を集めているのかがわかるサービスというわけです。

このソーシャルブックマークの代表的なサービスとして「はてなブックマーク」があり、私もかれこれ3年ほど使っているのですが、外国語、特に英語の学習法に関するブログの記事などが数百ものブックマークをあっという間に集めることが少なくありません。
もちろん、「英語関係のページばかりが」ということではないのですが、英語学習や英語習得が、多くの読者の関心を集めやすいトピックのひとつであることは、間違いないでしょう。けれど、注目を集めるページのすべてが素晴らしい学習法やテクニックばかりということではありません。

私がこれまで英語学習関連でブックマークをした記事のうち、いまでも印象に残っておりときおり読み返すのが、下記の3つのページです。

 英語が話せる・書ける・読めるようになるための3つの能力(無言の日記 - 五月の庭)
Web 2.0時代を生きる英語嫌いの若い人たちへの英語勉強法:親切バージョン(My Life Between Silicon Valley and Japan)
英和活用大辞典の活用法--読解に活かす(院試塾ブログ)

1番目のページでは、「英語が出来る」という概念を3つの要素にわけ、それぞれについてどんな学習をするかという観点が非常に新鮮です。個々の学習法をコピーするというよりも、漫然と学習を進めるのじゃなく学習内容をカテゴライズして、それぞれにあったやり方を考えるというアイディアに魅力を感じます。
ふたつめは著名な梅田望夫さんのブログなので、読んだことのあるかたも多いと思います。このページでは、自分が英語で何をしたいと思っているのか、ということを具体的に定義づけ、そのための学習をすることの大切さが説かれています。ただ漠然と「英語ができるように」ではいけないのだ、という指摘は重要だと思います。
そしてみっつめは辞書を使う上でのとても実践的なテクニックです。英和辞書で意味を調べて終わりにするのではなく、「英和活用大辞典」を参照することでよく使われる単語の組み合わせと意味を多面的にとらえることができます。私はこれを読んでから、辞書にあたる際には電子辞書に内蔵されている「英和活用大辞典」の該当項目を必ず見るようにしています。

これらすべてに共通するのは、著者自身が実践した結果、有効だと思われるノウハウが紹介されていることです。中でも前のふたつのページは、その実践結果からより多くの人が活用できそうなアイディアへの抽象化ができているのが、すごいところだと思います。

本当に役に立つノウハウになるためには、それが実体験にもとづいたものであることに加えて、置かれた状況の違う人にも活用しやすいよう、適度な抽象化・一般化がなされたものだ、と考えても良いかもしれません。
例え実体験に基づいていたって、「毎日10時間英語を話せるように、外資系企業に転職すればOK」とかいわれたって、活用のしようがありません。でもこういった暴論も、けっこう注目されたりするんですよね。
ブログで紹介されたテクニックも、あるいは書店にあふれかえるノウハウ本にしても、著者の特殊事情や独自能力がたまたま成果に結びついてしまったものを、状況が全く異なる他人が真似したって、うまくいくかどうかなんてわかりません。なので、私はノウハウ本やナントカテクニックといったものをあまり信用していないのです。

実体験はその人の置かれた状況に大きく依存するモノなので、私が「○○をやったらうまくいった!」と主張しても、それが他に人にとって有効とは限りません。
できるだけ参考になるように工夫はしていこうと思っていますが、最終的には個人個人で効果の出る学習方法や取組方は違っているものだと思います。とはいえ、あまりに特殊な話になってしまっているようでしたら、その旨コメント欄でひとこえかけていただければ幸いです。

次回は、40近くになってから突然英語を学ぼうとした、あまりにバカらしいきっかけを紹介しますね。

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2008年12月21日 (日)

旅行先でちゃんとイカフライを食べるために
予告の「英語を始めたきっかけ」はまだですが、ちょっと番外編のお話を。
ゴガクルブログセレクションのセンパイ、川本佐奈恵さんの「You can do it!」に一度コメントしたことがあります。それがこの記事。

 【 イカフライ 】って英語で何ていう?(You can do it!)

で、読んでいただけるとおわかりのとおり、イカフライは「Fired Calamari」なのであります。
この「Fried Calamari」、私がアメリカの旅行中にレストランに入ると、けっこうな確率で頼む料理です。
まあ、私の場合、滞在しているのは巨大テーマリゾートなので、大都会の高級店に入っているわけではなくリゾートホテルのレストラン、料理がせいぜい$20~$30くらいですけどね。

アメリカの料理といえば、なんといっても「量が多い」のに辟易とさせられます。
さすが体格がいいだけあって彼らはこの分量の食事を食べ尽くすのかと思いきや、決してそんなことはなくて、けっこう残しているのですよね。それなのになぜ、特盛りのさらに大盛りにしなくちゃならないんだろ。全く不思議です。

しかも、多いだけでなく、味付けに失敗したんじゃないの? と苦情を言いたくなるものが出てくることもしばしばです。味の方向性が違うのは、文化も違う異国だからしょうがないと思えるのですが、明らかに辛すぎ、甘すぎというのが少なくありません。
そんな中で、目につくたびに頼んでみるけど、未だに失敗したことがない料理が、「Fried Calamari」というわけです。もちろん量は多いのですが、そこはもうわかっていますから、前菜として頼んで3分の1くらい食べたらあとは残します、これはしょうがない。

日本のイカフライはパン粉をつけてあげてありますが、アメリカの「Fried Calamari」は天ぷらというか、フリッターのような感じ。
ころもにコショウなどの味付けがされている場合が多く、私はソースなしで十分においしくいただけます。レモンを搾るくらいでちょうど良いんじゃないでしょうか。
ソースはチリソースだったり、アボカドなんかが使われていたり、意味不明の甘辛いソースだったりといろいろなので、ちょっとなめてみて不要ならば放置します。味付きのころものおかげで、ソースをうっちゃってもちゃんとおいしくいただけるのが良いところ。

ちなみに初めて頼んだときは、メニューに「Fried Calamari」とあるのを見ても一体何のことだかわからず、持参した電子辞書で調べ、妻と「どうやらイカだよ」「じゃ、イカリングみたいなもんか」と相談して注文しました。
イカだけではなく、たとえば牛肉だって「Beef」と書いてあることは少なくて、「Rib」「Sirloin」「Rump」「Shank」など部位によって表現が違います。魚の名前なんかもなかなか英語で書かれているとわからないし、レストランでは電子辞書は離せません(辞書など使わずにカンで頼んでみる、というのもありだとはおもいますけど)。
店の人に「Can you tell me what shank is?」とか訊いたとしても、相手がそもそも牛肉を部位ごとに異なる名前で呼んだりしないん人々もいるんだとわかっていなくては、かみ合わない可能性が高いです。なので、こんなケースでは辞書が有効。

メニューに書いてある単語がわからないと、結局毎回同じようなものばかりを食べることになってしまいます。
会話の際にいちいち辞書をひいている時間なんてありませんが、メニューを見ながら考えるあいだなら、さっと辞書を当たるのは可能です。旅行中にレストランで注文に困った経験をお持ちのかたは、次の旅行では使い慣れた電子辞書をお持ちになることをお薦めします。できればコンパクトなのが良いですね。

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2008年12月24日 (水)

英語スタートのきっかけは酔った勢い!?

2回目の記事で、英語を学ぼうと思ったのは旅行を楽しむため、と書きました。
目的はこれで間違いないのですが、英会話教室のドアを最初にくぐったきっかけ自体は、とてもいい加減な話です。


 参考記事:「英語を使える自分」は蜃気楼じゃない(2008.12.17)


あれは2002年の1月だったと思います。私の所属していた部署が東京に移転し、新メンバーも加わっての歓迎会を、事務所と同じビルの居酒屋で開きました。
2時間近くしてほどよく酔いが回った頃、TOEICの話題になったのです。ちょうど、会社がその年からTOEIC IPテストを社内で開催することが決まっていたのでした。
良くある光景で、全員が「英語はなぁ...」という中で、一緒に飲んでいた新メンバーのひとり、以前からよく知っている大学の後輩が、TOEICスコア700以上であったとこともなげに言うのです。


当時の私は、TOEICなど受けたこともありませんから、700というのはもう英語ペラペラ、原書だって余裕で読めちゃうくらいのスコアだと思っていました(無知ってこういうことなんですよねえ...)。
大学在学中に自分や周囲の学生の英語力がどの程度であったのかは良くわかっています。年は多少違いますが同じ大学にいたのですから、彼女の英語だってそう変わらなかったはず。それが700以上だなんて、なにか魔法でも使ったのかと訊いてみると、「このビルの英会話教室に1年行ってただけですよ」という回答。え、英会話教室ってそんなにすごいところだったのかと驚愕です。
酔った勢いというヤツで、その場で全員が英会話教室に通って半年後のTOEICスコアで勝負することが決議され、宴会後に酔っぱらいの一団で(といっても数人ですが)体験レッスンの予約をしたのでした(きっとロビーで顰蹙を買ってただろうなあ)。


酒の席での約束なんて守られないもので、結局そこに入学して半年後のTOEICを受けたのは私一人、よって勝負は不成立。ちなみに、2月からスタートして半年ほどのレッスン後に挑んだ初TOEICのスコアは、765でした。
初回で765なんて書くと、「こいつもとから英語得意だったんじゃないのか」「どこだその英会話教室は」といった話になりそうですが、この半年間どんなふうだったかは、またあらためて。たしかなのは、この段階での「765」は決して私の実力値ではなかったこと(たぶんかなり高めに出ました)と、TOEICのスコア700程度は、決して「英語が堪能な」証明にはならない、ということです。


そんなわけで、きっかけは酔った勢いでのTOEIC勝負だったわけです。
そんなことで動き出せるのなら、なぜもっと早くから行動できなかったのだろうか、と我ながら呆れてしまうのですが、海外赴任などののっぴきならない状況でもない限り、そんなものなのかもしれません(ちなみに、社命で「税理士資格を取れ」といわれたときには、即答で断ったことがあるんですけどね、もったいなかったかな)。
まあ、こんなアホなきっかけでも動き出せることはあるんだ、ということですね。おかげでこんなところでブログを書いているわけで、煽ってくれた後輩には大変感謝しています。

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2008年12月27日 (土)

体験レッスンと思ったら、クラス分けの面接だった
さて、酔った勢いで決めた「TOEICスコア勝負」のための英会話教室ですが、予約していた「体験レッスン」は翌週でした。
私は初心者クラスの授業を見学するのだろう、くらいのつもりででかけていったのですが、その内容は個室で外国人講師と一対一で対話をするという、当時の私にはいささかヘビーなもの。「話が違う!」と思いましたね実際。

講師は手にイラストを持ってました。たしかデスクで仕事をしている絵やら、書類をもって上司を訪ねている絵やらだったと記憶しています。
これを見ながら、「This is you. What are you doing?」とか訊かれるので英語で応えるわけです。まさかそんなことになろうとは思っておらず、頭の中が真っ白になったので、一体どういう受け答えをしたか全く憶えていません。30分にも1時間にも思えた、実際には5~10分ほどの面談を終えると、数分後に日本人のマネージャーが入室してきて、結果が伝えられます。

なんでも、私は基礎文法はなんとかわかっているけれど、英語の表現やリスニングの能力が不十分なので、中級クラスからスタートするのが良いとか。
基礎文法が理解できている事例としてあげられたのが、「What have you done today?」かなにかを尋ねられた際に、ちゃんと「I've wrote a report today.」とかなんとか、とりあえず完了形を使って応えたから、というのはなぜか印象に残っています。学校で習ったとおりに返しただけなのですが、それができれば中級、という判断だったのかな。

あとはお決まりのコースの説明です。職業訓練給付金の対象となるコースで、週に2回、1年間のレッスンプランでした。40万円弱だったかと思います。
その頃私は単身赴任中だったのですが、いい加減英語を何とかしなくちゃね、と事前に妻と相談済みだったのと、終了後は給付金でけっこうな金額が戻ってくる(当時は限度額30万円で80%という太っ腹な制度だったんです)見込みもあったので、その場で契約しました。まだボーナスが残っていましたしね。

英会話教室をいくつも回って選ぶ、という発想はありませんでした。
最大の理由は、この教室が当時のオフィスと同じビルにあったので、通いやすいであろうと思われたことです。仮に忙しくても、レッスンを受けてから事務所に戻れます。
学校によってレッスン内容の違いはあったでしょうが、なんとか「中級クラス」に引っかかった程度では選んだってしょうがない、むしろ腹を決めたら早く始めたほうが良いだろうと考えたのでした。これは正解だったと思います。
そんなこんなで、テキストとワークブックが渡され、毎週2日間ずつ英会話教室に通う生活が始まりました。契約時点では、私の手許には英和辞典さえありませんでした(大学まで使っていたものはとうに処分してしまっていました)、全くやる気があるんだかないんだか、という状態ですが、リズムがつかめるまではこのあと半年以上かかります。そのあたりはまた後ほど。
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2008年12月30日 (火)

小学校のときに先行して習った英語は役に立ったか
さて、ついに英会話教室に通い始めることになり、ここからかなりの苦労が始まるわけですが、一年を苦労話で締めくくるのもなんですから、軽い話で(という割には、いつものことで長めですが)。

小学校での英語必修化についてはとても活発な議論があります。
「小学校 英語」などで検索をして少し拾い読みするだけでも、賛成・反対それぞれの立場から多くの議論に触れることができ、こうした中で何らかの決定をし、やるとなったら授業を組み立てていくのは大変なことだな、と思います。

さて、私自身は、小学校で英語を必修化することの是非を語れる専門知識は持ちません。とはいえ、自分の経験ならば話すことはできます。
私は小学校5年生のときに、英語を習っていました。たしか、YMCAによる子供英語教室のような場だったと思います。記憶違いで、単に会場がYMCAの施設だっただけかもしれませんが、「きよしこの夜」なんかを歌った記憶があるのでたぶんあっているでしょう。

薄いテキストにはリンゴや家の絵が描いてあって、「an apple」とか「a house」などの英語と結びつけて憶える、といった内容の記憶があります。あとは簡単な挨拶(「How are you?」とかですね)。
とはいえ一番良く憶えているのは、その建物のホールで行われたクリスマスイベントです。私は英語劇「さるかに合戦」で、サルをやっつける3人組の1人である「クリ」の役を仰せつかったのでした。台詞は忘れちゃいましたが、先生の打つ拍子木を合図にいろりから飛び出すシーンは忘れられません。全身茶色のタイツ姿がちょっと恥ずかしかったのも鮮明に覚えてます。「きよしこの夜」を合唱したのも、たぶん同じときでしょう(一番だけなら、いまでもちゃんと歌えます)。
もちろん6年生になっても続けたかったのですが、親の転勤で5年生の2月に引っ越してしまい、英語とは中学校入学まで離れてしまいました。

ABCと簡単な挨拶、そして身近なものの表現といった内容や、英語劇などがいま検討されている小学校での英語授業とどの程度重なっているかはわかりません。
なので、直接に小学校英語の是非論にはつながりませんが、私に関していえば「中学校1年生の半年間、何もせずにほぼ英語は100点が取れた」くらいのメリットはありました。だって、この時期ってとりあえずアルファベットが活字体と筆記体で書けて、あとは「Hello, Ben.」「Hello, Lucy.」とかやってればいい時期ですからね。
裏返せば、その程度しか役に立たないもの、といって良かったのかもしれません。

おかげで私は中学校の英語の授業をあまり真面目に聞かなくなってしまい、1年後には「まあ、85点で良いかな」という態度に落ち着いてしまっていました。むしろ逆効果だったかも?
英語が得意科目にも、好きな科目にもならなかったのには別の理由もあるのですが、早くから英語に触れたからといって(そして英語がそれほど嫌いじゃなかったとしても)、その後の英語学習がうまく進むとは限らないわけです。
まあ、サンプルが悪かったといえますけど。

だからといって、英語学習の開始年齢を早めることに、一概に否定的なわけではありません。
これだけ外国語があふれかえっている社会で、13歳になって初めて「ABC」を習うというのは遅すぎるんじゃないか、というふうには感じます。従来中学1年で始めていた段階を、2年くらい前倒ししたっていいじゃないかとは思うのです。
まあ、他の授業の時間を削れるのか、という問題もあるので、そう簡単に結論は出せないのでしょうね。
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2008年12月31日 (水)

冬休みも(ちょっとだけ)勉強中
勤務先の今年の冬休みは8日間。
有給休暇がとりやすくなってきたとはいえ、これだけまとまった休みは他にありません(5月の連休や夏休みはせいぜい5連休)。
今年は旅行にも出かけずに自宅で過ごすので、こんなときこそ勉強の絶好の機会です。

とはいえ、実際には掃除やら片付けやら買い物やらで意外に仕事が多く、おまけに例年よりも遅れて年賀状印刷までやったので、けっこう暇がありません。
それでも、20分30分くらいの時間でも、やらないよりはやるほうがずっとマシ。なんでも、語学を学ぶには週に一度2時間よりも、毎日15分のほうが効果的な場合もあるとか。

昨日と今日、読んでいたのは、2002年から2003年にかけてのNHKラジオドイツ語応用講座をまとめた、「読める 聞ける ドイツ語がわかる!」です。

  読める 聞ける ドイツ語がわかる!(NHK出版)

もちろん、今年の初冬から始めたばかり、大学での1年半があるとはいえ四半世紀近くものブランクのあるドイツ語ですから、いきなり「応用編」では力不足は明らか。
それでも、それほど難解な文章が並んでいるわけではありません。1ページで収まる程度の文章を丁寧に読むことで、文章の構造はわかってきますし、わからない単語もひとまずはドイツ語のままで理解しておき、あとで訳を見ます。
 1ページの文章に20分くらいかかってしまいますが、ちょうど空き時間に目を通すのに良い塩梅です。

CDもついてきて、まずは聞いてから理解できているかどうかを問う問題を解くのですが、今の段階では文章を読んで主語や動詞がどれかを理解し、文章の構造を読み取る訓練として読んでいます。
 内容としてはドイツ各地の観光名所や名物の紹介ですので、読み物としても楽しめます。
全部で18ユニットあるのですが、ようやく2ユニットめに入ったところ。冬休み中に3ユニットくらいは読み終えることができるでしょうか。
あまり高い目標を設定してもくたびれるだけなので、まあ適度なペースで楽しみながら。

みなさんはどんな年の暮れ、そしてお正月をお過ごしでしょうか。
長いお休み、寝正月で過ごすのも良いですが、毎日ちょっとだけでも外国語の学習を続けられれば、良い年のスタートが切れるかもしれません。
では、来年もよろしくお願いします。良いお年を!
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