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人生まだ半分、37才からの外国語
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英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

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人生まだ半分、37才からの外国語

2010年8月 3日 (火)

Opiskelen suomea.
やっぱり出た
急な値下げ=在庫処分というわけで、やっぱりAmazonの電子ブックリーダー「Kindle」の新型が発表されましたね。
表示のスピードやコントラストが向上し、サイズが小さくなっただけでなく、なんと日本語の表示にも対応するのだとか。日本語の本はまだ売られていませんが、青空文庫やWEBのニュース記事などを読むのがいっそう便利になります(いまでもフォント埋め込みのPDFファイルならば読めますが...)。

もっとも、新型は今すぐに入手できるわけではなく、いまからのオーダーでは9月初旬になるそうです。
私が買ったのが6月末でしたから、少なくとも2ヶ月間は新型が存在しない状態で使えていますから、よしとしましょう。値下げの直前に旧型を買ってしまったかただってたくさんいらっしゃるでしょう。

マイナー好き
iPadの発売前ならばともかく、発売即大人気の中でわざわざKindleを買うように、私はマイナー好き、もしくは天の邪鬼の気があります。
中学のころ、モーツァルトでもベートーヴェンでもなく、マーラーの交響曲にのめり込んだのも、やはり「ちょっと人と違うもの」に惹かれてのことだったろうと思います。いまとなっては、むしろマーラーを聴くこと自体が多数派になってしまいましたけど。

そんなこともあって、ドイツ語もままならないというのに今度は「フィンランド語」に取り組んでみようという気になりました。
もちろん、マイナーな言語は他にもたくさんあります。ハンガリー語とかバスク語あたりも日本人学習者の少なさでは負けないでしょうし、ローマ史やカトリック教会の研究者でもないのにいまから本格的にラテン語を始めよう、というのもなかなかに魅力的です。

フィンランド語を選んだのは、マーラーと並んで最近よく聴いているのがシベリウスの曲だということがあります。
シベリウスにはフィンランドの神話であるカレワラを題材とした曲が多くあり、その文化に関心が高まりました。

冠詞も前置詞もない!
ヨーロッパの人々にとってフィンランド語は習得の難しい言語とされているようですが、冠詞がないというのは、われわれ日本人にとっては頭を悩ませる要素がひとつなくなるということです。また、前置詞もないので細かなニュアンスの違いに迷うこともなくなります。
とはいえ、一方では格変化が15もあるので、たとえばドイツ語の定冠詞のように「der, des, dem, den」と丸暗記するのは無理。ルールを身につけた上で反復練習しないと、とても身にはつきません。

ドイツ語との比較では、動詞の形から確定できる主語を略せるという違いがあります。
たとえば、この記事のタイトル「Opiskelen suomea.」は「Minä opiskelen suomea.」の主語「私は」を省略しています。動詞の「opiskelen」で一人称単数現在であることが確定するからです。
「私は日本人です」も「(Minä) olen Japanilainen.」となります。文脈で理解できる前提で主語を明記しない日本語とは性格は違いますが、ドイツ語の堅苦しさとはかなり趣が違います。

フィンランド語は、もしかすると英語の知識もないうちに学習を始めれば、日本人にとっては習得が容易なのかもしれません。
とはいえ、わざわざフィンランド語を学ぼうかというのはある程度年齢を重ねてからの場合が多いでしょうから、他の外国語の知識が中途半端に(まさにいまの私のように!)ついてしまっているぶん、やはり容易とは言い難いですね。

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2010年8月 7日 (土)

「ビールをください」
Google翻訳って便利
椎名誠氏のエッセイを好んで読んでいた時期があって、その中で印象に残っているエピソードのひとつに、氏が旅先で「まずその土地の言葉でビールを頼めるようにする」といった話がありました。
そのときはスペイン語圏だったらしく(たしかメキシコじゃなかったかな)「ドス・セルベッサ!」でいいのだ、とあったと記憶しています。なぜ「ウノ(ひとつ)」じゃなく「ドス(ふたつ)」なのかといえば、たしか「一杯ではすぐに飲んじゃうから、一度に二杯ずつ頼む」のだったかと。

この本を読んだのはたぶん20年くらい前だったと思うのですが、その当時、「○○語でビールを頼むにはどうしたらいいのか?」というのはそう簡単に調べがつくものではありませんでした。
書店で該当する言葉のフレーズ集を探す、誰か知っていそうな人に教えてもらう、くらいでしょうか。図書館などで調べる手もあったでしょうが、とにかく一手間かかりました。なので、ちょっと疑問に思ってもそのまま放置して疑問自体を忘れてしまうことがほとんど。

ところがいまはどうでしょう。パソコンでも携帯電話でも、ちょっと検索すればだいたいの情報は探せてしまいます。またGoogle翻訳を使えば、50以上の言語への翻訳が可能です(もちろん、実用的とは言い難い訳文が出てくることも少なくありませんが)。
インターネットが家庭に普及し始めてほんの15年ほどでこのような環境が整ってしまうと、SF映画に出てくる翻訳機の登場も、意外に近いのかもしれないとさえ思えます(ま、私が生きているうちには難しいでしょうけど)。
ちなみに日本語の「ビールを2つください」をスペイン語にすると、「Dos cervezas por favor.」と出てきます。

8月4日はビヤホールの日!
すでに数日が経過してしまいましたが、8月4日はビヤホールの日、だったそうです。1899年に現在のサッポロビールが恵比寿ビヤホールをオープンした日とのことで、同社が経営するビヤホールではなんとビールが半額でした。
当然のごとく、どの店の前にも入店待ちの長い列ができていました。みんなちゃんとビールにありつけたのかなあ。

ビール好きが大きな要因となってドイツ語学習中の私ですが、普段外出時に飲むビールはアイルランドの「キルケニー」や「ギネス」がけっこう多いです。普段使う駅の近くに、禁煙席のあるアイリッシュパブがあるからというのが一番の理由ですが、キルケニーはとても気に入っています。
確実に禁煙席のある店って、意外に少ないんですよ。仮に禁煙席があっても全然分離されていなくて煙が流れてくるんじゃ、意味がありません。ドイツビールが飲めても、いつ隣に喫煙者が来るかと気にしていたんでは、おいしさも半減します。ヨーロッパではパブなどの禁煙化も進んでいるようで、喫煙者には腹立たしいかもしれませんが、私は大喜びです。

ビールをください
さて、外国語でビールを注文する方法ですが、ヨーロッパの各言語ならば基本的には「ビール」にあたる言葉に「お願いします」をくっつければ、なんとかなるんじゃないかという気がします。
まさに日本語では「ビールお願いします」だし、英語なら「Beer please」になりますね。ビールを他のものに替えれば、ひとまず注文系(?)はいけます。もっとも現地語で何か確認をされてしまうと、途端に窮地に追い込まれますけど。

では、Google先生に各国語での「ビールをください」を教えてもらおうと思います。
英語「Beer please.」
ドイツ語「Bier bitte.」
フランス語「La bière s'il vous plaît.」(字面をみるとぎょっとしますけど、「しるぶぷれ~」ですね)
イタリア語「Birra per favore.」(ちなみに巻き舌不得意の私と妻は、イタリアではビール頼めないかも...「びっるらっ、びっるらっ」と日々練習中)
スペイン語「Cerveza, por favor.」(後半はイタリア語そっくり)
アイルランド語「Beoir le do thoil.」(一気に難易度アップ! でも英語で大丈夫なんではないかと)
オランダ語「Biertje, alstublieft.」(よ、読めない。意外にドイツ語とは距離感が)
フィンランド語「Olut, kiitos.」(kiitos=ありがとう、がわかっていると、比較的単純?)
ちなみに、ロシア語やギリシャ語など普段なじみのあるアルファベットを使っていない言葉は、わたくし全然読めません。ヨーロッパ以外のアラビア語や韓国語なんかも、文字が読めないとどうにもなりませんね。

さあ、これでビールを注文する準備は整いました(ほんとか?)。後は行って試すだけです。
そもそもビールが飲めるところにどうやってたどり着くのか、とか、勘定の時はどうするのか、とか、もちろんこれだけで乗り切れるわけじゃありません。それでも、まずはビールを一杯、注文できれば、あとはなんとかなりそうな気が、しませんか? 
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2010年8月10日 (火)

"Opiskelen suomea" strikes back
わけわかんないタイトルですが
すいません、わけわかんないですね。前にもタイトルで使いましたが、「Opiskelen suomea」で、「私はフィンランド語を学ぶ」です。
「Opiskelen」は、動詞「Opiskella」の一人称現在の形で、「suomea」はフィンランド語「suomi」の単数分格、主語の「Minä」は省略されています。

7月に初級の参考書を買ってボチボチと読み始めたものの、あくまで「初級」であって「入門」ではないだけあって、けっこう骨があります、というかもてあまし気味です。
そこで、やはりこういうものは基礎からやらなきゃ、ということで、たまたま見つけた夏休みの集中講座に参加してみることにしました。8月10日からの4日間連続、毎日2時間半で合計10時間という短期集中です。

初回からフルスピード
で、本日初日を終えて帰宅したのですが、まずはアルファベットと発音練習、続いて基本の挨拶、人称代名詞とollen(be動詞)の変化、ゼロから10までの数字、そして色の名前と盛りだくさんでした。
それぞれ単に説明を聞くだけではなく、まず自力で覚え、次に二人ひと組の練習、立ち上がってパートナーを替えての練習と、とにかくたくさん話さなければなりません。

これはとても理にかなっていて、はじめて習う外国語を本を読んだり説明を聞いたりするだけでは、決して身にはつきません。簡単なことを繰り返し読み、覚え、何度も口に出して練習することで、少しずつ自分のものにしていくしかない。
もちろん、あらかじめ基礎知識をつけておくことは理解を早めるのには役立ちますが、なんといっても繰り返し口に出すことが重要です。

今日はかなり疲れました。久しぶりに頭と口をフル回転させた感じ。
これがまだあと3日間続きますから、しっかりと休んで体調を整えていかないと、日に日につらくなるでしょう。
そんなわけで、今日はこれにて休みます! では、Hyvää yötä!(おやすみなさい)
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2010年8月14日 (土)

フィンランド語の数字について説明してみる
4日間の集中講座完走
火曜日から金曜日に書けての4日間、フィンランド語の短期集中の入門講座に行ってきました。毎日夜の2時間半、かなり密度濃くやったので、夜はよく眠れること...
まずは4日間を無事に完了し、昨夜のビールの味はまた格別でした。

ABCから始めての4日間入門ですから、文法はひとまずおいといて、旅行で簡単な挨拶ができ、買い物やレストランでの注文のための基礎フレーズの練習をしただけです。
それでも、簡単なフレーズとはいえ少しずつ継ぎ足しながら会話の形になるところまでを積み重ねましたから、練習を続ければ二、三フレーズのやりとりならできるようになるかも、しれません。ま、ちゃんと復習しないと、あっという間に忘れちゃうでしょうけど。

人に説明して理解を深める
フレーズや単語を覚えるたびに、隣の席の人と確認しあうということを繰り返したのですが、入門段階ではとても効果的だったと思います。覚えたつもりでも、使わない知識はすぐに消えてしまいますから。
その中で、「数字の読み方」については「隣の人にどんなルールか説明してみましょう」ということもしました。つまり、説明できればある程度理解できているし、逆にうまく説明できないところは曖昧なままだとわかるわけです。

まず一桁の数字ですが、これはほとんどの言葉と同じくそれぞれに名前があります。
0から10まで順番に、「nolla, yksi, kaksi, kolme, neljä, viisi, kuusi, seitsemän, kahdeksan, yhdeksan, kymmenen」となります。7(seitsemän)から先は見るとギョッとするのですが、何度も口に出すとあら不思議、慣れてきて親しみさえわいてきます。

11から先の二桁はとてもシンプル。上記の1から9までの数字に「toista」がくっつくだけです。
英語でもドイツ語でも、少なくとも11と12にはそれぞれ個別の言い方があるのと比べると、とてもありがたいですね。「yksitoista, kakitoista, kolmetoista...」となります。
しかも、ドイツ語での6「sechs」と16「sechzehn」のように綴りの一部が変わったり、といったこともないので、ルールさえわかればあとは練習あるのみ。

20以上の数字も、ドイツ語のように「3と20」などとひっくり返したりしません。
20は「kaksikymmentä」30は「kolmekymmentä」で、25は「kaksikymmentäviisi」です。89なんかだと「kahdeksankymmentäyhdeksan」とやたらに長くなりますが、それでも基本ルールのとおりなので、覚えること自体の負担はかなり小さいといえるのではないでしょうか。

「一百」も「一千」もない
日本語だと「ひゃく」はあくまで「100」だし、「千」は「1000」です。
でも、英語では「one hundred, one thousand」だし、ドイツ語でも「ein hundert, ein tausend」と「一」が必要。ここの感覚の違いに、最初戸惑ったかたも多いのではないかと(わりと早い段階で慣れちゃうので、そう大きな問題でもないかもしれませんけど)。

これがフィンランド語では実に日本語的で、「sata」といえば「百」、「tuhat」といえば「千」で、「yksi sata, yksi tuhat」という表現はしません。
200とか2000といいたければ、「kaksi sataa, kaksi tuhatta」となります。語形変化がちょっと気になるところですが、入門段階では説明を受けません。そのうち勉強するとして、いまはこのくらいは飲み込んでおきましょう。

135は、「百」と「三十五」ですから、「satakolmekymmentäviisi」になります。ね、感覚的にはとても日本語に近いでしょ。
欠点があるとすると、「とても長い単語になる」というのは事実です。だって「9999」といおうとしたら、「yhdeksantuhattayhdeksansataayhdeksankymmentäyhdeksan」になります。もう我慢比べの世界。

でもルールが単純で例外が少ないということは、入門者にはありがたいことです。
また、フィンランド語には冠詞と前置詞という、私の苦手な品詞も存在しません。親しみがわいてきますよね。
一方で、多くの格によって意味を表すために個々の単語に多くの変化型があって、辞書型を暗記しても役に立たない(たとえば、「Minä pidän tästä.(私はこれが好きです)」を「Minä pidän tämä.」と言い間違えると、まるで意味が通じないのだとか)といった別の難しさもあります。固有名詞も変化するので、「私はシベリウスが好きです」だと「Minä pidän Sibeliuksesta.」なんですよ。

どんな言葉でも、苦労なく簡単に覚えられるということはありません。
フィンランド語の場合、「格変化がいくつあって、まず分格とは...」みたいな入り方をすると開始10分で嫌いになりそうです。まずは文法の規則を離れて基礎会話フレーズから入ったこの4日間、クラスメートにも恵まれてとてもうまい具合に入門ができたと思います。
さて、この先の勉強をどうしましょうか。さすがに参考書も講座も限られてるんですよね。

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2010年8月17日 (火)

語学学習ノートの決定版?
学習用ノート、どうしてますか?
何年か前に、東京大学合格者のノートを扱った本がヒットしましたね。
同僚の東大出身者は「自慢じゃないがオレのノートは汚かった」などといってましたが、たしかにきれいなノートを取るには内容の理解が不可欠です。ノートをきれいに整理されているのは、学習内容の理解度をある程度表しているといって良いのでしょう。

テキストに書き込み欄がたくさんあった英会話教室は別として、ドイツ語教室では学習内容のメモや宿題のためにノートが必要です。
語学学習に使いやすいノート選びには、この数年ずっと悩んできました。

A5サイズノートへの不満
この2年ほど使ってきたのは、持ち歩きが便利なように、A5版のリング綴じノートです。消去法で選んだのが実態で、不満もいくつかありました。

【不満1 リング綴じだと書きにくい、糸綴じだと切り離せない】
書いたとおりですが、ときおり宿題で書いた文章の添削などのためにページを切り離して提出することがあります。糸綴じのノートではきれいに切ることができず不便です。一方、リング綴じのノートは切り離しが簡単ですが、リング部分が手にあたってページの端のほうでは書きにくくなります。どちらも一長一短です。

【不満2 ページ幅が足りない】
Deutsch note sample01.jpg
ドイツ語やフィンランド語の特徴のひとつが、「単語が長い」ということです。
例文などを書き取る際、A5サイズ縦使いの紙幅では足りなくなってしまうことも多く、かといって複数行で書いてしまうと単語間の修飾関係を矢印などで書き加えるのがやりにくくなります。
また、ドイツ語の教室ではテキストに出てくるフレーズや単語をカテゴリー別に整理する、という作業をよくやるのですが、これが1ページにうまくまとまりません。

ノートの横使いで不満解消...ならず
上記のふたつの問題の解決策として、「方眼罫のA5リング綴じノートを横向きに使う」というのをしばらく試していました。
これだと書き込み中にリングに手があたることはありませんし、長辺方向を幅として使えるのである程度長い文章でも一行におさまります。一方で1ページに書ける情報量は減りますが、それはA5サイズを選んでいる段階である程度はしかたありません。

しかしここでも不満は残りました。
Deutsch note sample02.jpg
方眼罫のノートはだいたい5mm方眼で作られていて、さすがにこの大きさだと字を書くには小さすぎます。だいたい3行(15mm)分に2行の文を書く要領で、方眼は罫線というよりもガイドとして使うようになります。
本来なら6mm方眼や7mm方眼のノートがあってくれればいいのですが、なかなかありません。あるいは、6mmや7mmの「縦罫ノート」があれば良さそうなものですが、簡単そうで見つからなかったのです。

これぞ決定版か?
さて、夏休み最後の日に文房具売場をうろついていて、ようやくこれらの問題を解決してくれるノートが見つかりました。
それは、ナカバヤシの「スイングロジカルノート」の「B5ヨコ/A罫」です。

このノート、リング綴じながらそう分厚くはなく、A罫(7mm幅)が長手方向に印刷されています。すなわち、最初から横方向に使うのを前提に作られているのです。
しかも、それぞれの罫線はさらに点線で3分割されており、この2行分だけを使うことで欧文の高さをきれいに揃えて書くことができます。上1行分を空けることで、「y」や「g」など罫の下にはみ出す文字があっても、下の行への影響が少なくて済むわけです。

しかも、ページを1/2、1/3、1/4に区切るためのガイドが印刷されていて、簡単に紙面を分割できるようにもなっています。
さらには罫線と直交したガイドが全面に印刷されているので、表組みや頭を揃えて整理するのも簡単です。7mm罫を3分割しているので定規を使って図形を描くのとは相性が良くないかもしれませんが、ザックリとした図を描くくらいならば非常に便利でしょう。
ちなみにWEBサイトをみると、B罫(6mm)もあるようです。私はこのところ小さな字を書くのが不得意なので(昔は極細ペンとか、大好きだったんですが)、A罫のほうが使いやすいように感じています。

問題があるとすればお値段。1冊40枚綴りで250円ほどしましたから、ノートとしてはけっこう高い方にはいるのではないかと思います。もっとも、洒落たデザインのノートにはもっと高価なものもありますけど。
とはいえ、大人の語学学習は中学高校の勉強用よりも書く絶対量は少ないでしょうから、それほど大きな問題でもないかと。
くわえて、このノートの企画に参加したというお笑い芸人のシールが貼っているのですが、これはきれいに剥がせるので問題ありません(初めて存在を知りましたけど、「ロザン」って人気あるんですか?)。

あと2週間ほどでドイツ語教室の夏休みが終わりますから、さっそくこのノートを使い始めようと思います。
こんなノートが、中学高校の頃にあったら、きっと便利だったろうになあ。 
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2010年8月21日 (土)

iPadが実現する新しい学習環境
様子見の3ヶ月?
アップルのタブレット型端末、「iPad」が日本で発売されたのが5月末、たちまち大ヒットしてしばらくは予約をしてもしばらく入手できない人気ぶりでした。
ようやく落ち着いてきたのか、最近ではモデルによっては店頭在庫もあるようです。

職場では「新しもの好き」でとおっている私は、真っ先に買ったのだろうと思われていたのですが、実際には手を出す気になれませんでした。
それは1kgを切るとはいえ、「毎日持ち歩くには重いんじゃないか」、あるいは「別に外出先で常にネットを見たいわけじゃない」などの、いってみれば「興味はあるけど、必要ではないもんな」のが主な理由です。

ところが、夏休みを前に書籍や書類をKindleで読めるようにしようと文書スキャナを買ったあたりから雲行きが変わりました。
文庫本くらいならばKindleの小さな画面でも問題なく読めるのですが、少し大判の本や書類、あるいは写真やイラストをふんだんに使った雑誌等は、モノクロの電子ペーパーの画面で読むのはちょっとつまらないし、字が小さすぎて読むのがちとつらい。
旅行のパンフレットなどがPDFファイルで配布されていることも多くなり、iPadならばたくさんの資料や雑誌などを持ち歩くのに便利だろう、と思い始めちゃいました。こうなると、もともとほしかっただけに止まりません。ヨドバシカメラで予約し、数日後には受け取っていました。ポイントがだいぶあったので、足りないぶんはお小遣いで。よって今月は財政難です。

もっていれば読む
当たり前の話ですが、本は手元になければ読めません。個人差はあるでしょうが、一度に持ち歩ける本はせいぜい数冊ではないでしょうか。
読み終えて書棚に収まった本は、少数の例外を除いてしばらくの間は読み返されることはありません。場合によっては、そのまま何十年も放置されることさえあります。

けれど、もしいつも手元にあって容易に探し出すことができれば、繰り返し読むだろう本が少なくないのも確かです。
電子ブックの最大のメリットは、読むために持ち歩ける本の制約を大幅に拡げられること。読みやすさや愛着のわきかたでは紙の本に劣ってはいても、同時に100冊、200冊と持ち歩くことなど、紙では決して考えられません。

今のところiPadに保存した本は15冊ほどですが、それでも気が向いたらすぐにその場で呼び出して読めるのはとても快適です。
保存してある本の半分は、ドイツ語や英語の解説書です。小説と違って、部分的に読んでもかまわないし、立て続けに読み返してもなんの問題もありません。むしろ、繰り返し読むことで少しずつ頭に入ってくるもの。

「今日はこれを読もう」と鞄に入れることはそうありませんが、常に手元にあると意外に目に止まるものです。
30分程度のまとまった時間をとれるのなら小説などをじっくりと読むのも良いですが、5分10分程度の隙間時間読書には、語学の解説書はけっこう適しています。

さまざまな学習ツールも
もちろん、本を(というよりは、PDFファイルを)読むばかりがiPadではありません。
読書に最適化されたKindleとは違って、iPadはいわばさまざまな種類のコンテンツを見るための万能(とまでは、言い切れませんが)ビューワです。

単語集・フレーズ集なども豊富にそろっており、とくに英語で他の外国語を学ぶためのツールは数え切れないほどあります。
また、辞書もどんどんと増えており、近いうちにこうしたタブレット型端末やスマートフォンで使える辞書のバリエーションが、電子辞書を追い越すのではないかと思えます。いまはまだ電子辞書専用機のほうが使い勝手に勝りますが、近いうちに逆転してしまうのかもしれません。

電子ブックであれば、未知の単語の意味をその場で調べることも造作ありません。Kindleには英英辞書が標準で装備されていて、単語の意味を調べるのはとても簡単です。
日本で電子ブックが広く販売されるようになれば、英和辞書などが使えるようになるのもすぐでしょう(いまでも、多少の手間をかければできるようですし)。ほんの数年前には夢物語だったものが、あっという間に手の届くものになってきています。外国語の学習者にとっては、もう言い訳の余地などないといえます。あとはやる気だけ。
とはいえ、多少は言い訳ができたほうが、気が楽だったかも、しれませんけどね。
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2010年8月24日 (火)

新しいノートを使ってみた!
おさらいすると
先週、夏休み最後の日に文具店で偶然見つけた学習用ノート、ナカバヤシの「スイングロジカルノート」の「B5ヨコ/A罫」を、いよいよ使ってみました。


お題はドイツ語教室の宿題、テキストについている練習問題です。せっかくなので、答えを書くだけではなく、「es」の使い方を学ぶための例文をまるごと書き写してみました。
こうしてテキストの文を書き出して、単語の意味や文の構造を何色かのペンを使いながら書き込んでいくのって、なんだか久しぶりの感覚です。

3分割罫線の威力
DSC_5528.jpg
このノートの特長は、A罫(幅7mm)がさらに3分割されて点線で区切られていることです。きれいに割り切れませんが、点線2本分でおおよそ4.7mmとなり、ちょっと狭いですが細めのペンで欧文を書くにはそこそこ実用的な幅になります。
前回の記事でも書きましたが、3分割された2本分だけを使うと、「y」「g」などの罫線の下にはみ出す文字のせいで次の行が書きにくくなることもありません。

また、ポイントとなる部分に下線を引く際にも、上下の間隔があるので狭苦しさがなく快適です。さらには、単語や熟語の意味を書き込むスペースとしても使えます。
ほんの2.5mmにも満たない細いスペースですが、ものすごいポテンシャルを持っているわけです。

もちろん、普通のA罫ノートを使い、罫線の幅をギリギリまで使わないように工夫して書けば、同じような使い方は可能です。
けれど、補助罫がそこにあるのとないのとでは、やはり使いやすさが全く異なりますね。

新しい文具の学習効果
私はコンピュータやデジタル機器と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に文房具が好きです。
これは文房具好きに限ったことではないかもしれませんが、新しいペンやノートなどを買うと、それだけで学習への意欲が30%ほどアップします(ただし当社比)。

実はドイツ語の学習に使うノートは、梅雨の時期に新しいものに替えたばかりだったのですが、思い切って今回買った新しいノートに切り替えることにしました。
ちょうど夏休みの中断が終わり、来週から再スタートします。気分を新たにドイツ語に取り組みのにもちょうど良いでしょう。

使いかけのノートは仕事のメモ用にでも転用することとしましょう。5mm方眼なので使い回しはききます。
おお、新しいノートのおかげで、なんだか次の教室がとても楽しみになってきました。ゴガク学習夏ばて気味のみなさんも、なにか新しい文房具を買ってみては、いかがですか。
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2010年8月28日 (土)

10月からのドイツ語講座
もうすぐ9月だ!
8月一ヶ月間は夏休みだったドイツ語講座も、来週からいよいよ再開です。
宿題こそ終わっているものの、この一ヶ月というものはほとんどドイツ語をサボってしまっていたため、いってすぐに勘が戻ってくるか、はなはだ心配です。
そして9月にあと5回の教室を終えると、早くも下半期が始まります。まったく早いもので、ドイツ語の学習を本格的に再開してから1年半になってしまいました。

金曜から今日の午後にかけて仕事でネットのつながらない場所に一泊しているあいだに、10月からの下半期講座の案内が届いていました。
さっそくWEBサイトで詳細を見てみると、なんと講師が交代です。いまの先生、教え方がけっこうすきなんでとても残念。教室内では一切日本語を使わないところも(しんどいのですが)気に入っていたのですが...

レベルB1.2ってホント?
通っているコースは「初級」なのですが、テキストがどんどんと進んでしまって下半期からはとうとうレベル表示が「B1.2」になってしまいました。
目安の説明によると、「すでに200時間学習している方。ZD(ドイツ語基礎統一試験)レベル。」なんだとか。これは困りました。とてもじゃないですが、ZDレベルなんてまだまだ先の話です。

スタートして1年半になるのですが、教室内での最低レベルの地位は未だに譲っていません。読むほうはだいぶ格好がついてきたのですが、いざ話そうとするとまだまだドイツ語が口からは出てきません。
絶対的な語彙の不足ももちろん問題ですが、まず頭の中で文章を組み立ててから話そうとしているので、会話にならないのです。これは英会話でも同じですが、文章を組み立てて口に出そうとしている限りは、会話のリズムにはなかなかなりません。

まあ、仮に「200時間学習」レベルだったとしても、外国語の習得には2000時間とか3000時間の学習が必要だなどといわれますから、週に一度の教室だけで話せるようになれると思うほうが間違っているわけです。
とはいえ、これまでに学習した内容をきちんと理解して身につけられていればこのレベルに到達できる、ということなのでしょうから、新しく覚えることはかなり減ってきていて、あとは反復練習と応用力しだい、といえるのかもしれません。

とりあえずの目標としての「B1」レベル
さて、先ほどから「B1」と繰り返していますが、もちろんこれは「ヨーロッパ共通参照枠」で設定されたレベル表示のはなしです。
詳細はWikipedia(英語)やCouncil of Europeのページなどをご覧いただきたいのですが、各レベルの位置づけを一言で表すとき、「B1」は「Threshold」とされています。

「Threshold」なんてあまり使わない単語ですが、意味は「玄関の敷居」あるいは「出発点」「境界点」だそうです。
すなわち、外国語でコミュニケーションができるようになるための出発点といえそう。関西大学の外国語学部が発行する「外国語教育フォーラム」の第7号(2008年3月)にある太治和子氏の論文「ヨーロッパ共通参照枠におけるレベルB1について」では、B1レベルについて下記のように表現されています。

フランス語を学ぶ目標は、「言いたいことを相手に伝え、相手のメッセージを理解し、コミュニケーションが取れるようになること」、そして、「フランスでなんとか生活できるようになること」であろう。それはとりもなおさず、B 1 レベルの目指す目標なのである。(外国語教育フォーラム 第7号 54ページより)

旅行などでなんとか現地語でコミュニケーションがとれ、トラブルの解決のためのアクションがとれる状態も、おおむねこのレベルにあたるように思われます。
留学や現地での長期の生活までは考えず、ひとまず「カタコトながらなんとかなります」といえるには、まず目標にしたい水準といえそうです。
夏休みだといってサボっているうちはなかなかここにたどり着くのは難しそうですが、気持ちを入れ直して、テキストのレベルだけではなく実力のほうがB1レベルに到達できるよう、がんばるとしましょう。
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2010年8月31日 (火)

需要の多い言葉、少ない言葉
書店で中国語拡大中
最近、立て続けに複数の書店で、いつもと語学関係の書棚レイアウトが代わっているのに気がつきました。
具体的には、私が用のある「ドイツ語」のコーナーが横にずれて、どうやら他のヨーロッパ系の言語とあわせて少しずつ圧縮され、空いたスペースは中国語・韓国語そして英語関連の書籍で埋められています。
特に、最近は中国語の参考書はどんどん増えていると感じます。ビジネスでの需要も増えているのでしょうか。

いまや国際語といえる英語、そして成長著しい中国、すぐ近くの国で文化面での交流も盛んな韓国と、これらの言葉への学習ニーズが高いというのは、よく理解できます。
なので、その関連図書の棚が増えていくのは、自然なことといえそうではあります。

でもなあ...
とはいえ、そのあおりを食って減っているのが、自分がいま学習中の言葉となると、不便になってしまうのもたしかです。
昨日は、新たに出版された清野智昭さんの「しくみが身につく中級ドイツ語作文」が、比較的大きな売場をもつ店舗で見つけられませんでした。新刊なのに入ってこなかったのか、あるいは数が少なくてすぐに売れてしまったのか。
すぐ近くの別店舗で見つけられたので無事買えましたが、陳列棚が減るということは、本を探しにくく、見つけにくくなるということです。

ネット書店であれば頼んでおけば自宅に届くし、多くの場合送料もかかりません。
大変便利なのですが、よほど忙しくて書店に行けないとか、他では見つけられそうにない、といった事情でもなければ、私は書店で買いたいと思ってます。どこで買っても価格が同じですしね。

ニーズが高い=良いこと?
ある言語へのニーズが大きいというのは、出版社や教育機関にとっては需要が大きいということですから、悪い話ではなさそうです。
しかし、需要が大きいということは、とりもなおさず競争が激しい、ということも意味します。たとえば英会話教室への需要の大きさはドイツ語やイタリア語の比ではないでしょうが、そのぶん、教室の数も多くなります。教材や書籍もまた同じ。

競争相手が多ければ、低価格を売り物にする業者も多くなり、全体に価格が低下します。それだけなら客の側は歓迎ですが、価格の低下が質の低下に及びはじめると、学習者にとってもデメリットとなります。
品質と価格とのバランスがうまく取れているあいだは良いのですが、一度崩れてしまうと新たな均衡までには時間がかかり、その間に撤退を余儀なくされる業者も少なくありません。
ましていまではネットが存在していて、無料もしくはそれに近い学習リソースがそこら中にあります。有料ならば無料のものよりも格段に優れていることを期待してしまいますが、無料には無料なりのビジネスモデルがあるので、必ずしも品質とは関係がないことさえあります。

一方で需要の少ない言葉、まあ、NHKのテレビ講座やラジオ講座のない言葉をイメージしてみると、首都圏であってもこれらの言葉を習える場は多くありません。
また、書店でも「その他の言葉」のコーナーにせいぜい数冊が並んでいる程度で、好みのものを選ぶというより「全部買ってみる」ことさえ可能なほどです。こうなると、競争は限りなく無に近づきます。狭い社会ではあるものの、仲良く共存できるわけです。
こうなると、ある言語の学習人口の多さが、その言語をめぐる商売上の魅力とは限らないともいえそうです。英語や中国語でがんばって商売を続けるのと、もっとマイナーな言語で小さくても安定した商売をするのと、どちらを選ぶか。

まあ、学習者にとっては教材や教室が充実していて、質と価格とのバランスで最適なものが選べる状態ならばうれしいのですが、理想の状態というのはなかなか手に入らないものです。 
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