
2012年9月 3日 (月)
Packing Day
出発前も、帰国前も Packing Dayなる言葉を最初に聞いたのがいつだったか、もう憶えていないのですが、たしかフロリダへの旅行中だったように思います。 買い物だったかレストランでの食事だったか、とにかく「明日かえらなくちゃ...」と言ったら、「じゃあ、今日はPacking Dayだね」と。なるほど、帰路につくために帰国前日はスーツケースに荷物を詰め込む日。Packing Dayというのだな、と印象に残りました。 もっとも、この言葉で画像検索をしてみると、どうやら旅行への出発前の荷造りらしい写真がたくさん出てきます。 おそらく、旅を前に荷物をつくる日にも、この言葉が使われるのでしょう。帰国前日のなんだかもの悲しい気分とは正反対で、出発前のワクワク感はたまりませんね。もしかすると、旅行で一番楽しい瞬間じゃないかと思えるほど。 23kgの壁 Packingといえば、毎回旅行のたびに気を遣うのが、預け入れ荷物の重さです。 たしか7〜8年くらい前まではあまり細かいことも言われずに、30kg近くあるスーツケースも平気で預けられたと思うのですが、最近ではすっかりと厳しくなってしまいました。23kg(つまり50ポンドってことですよね)を超えようものなら、その場で「詰め直し!」を言い渡されます。 私は5年前にフロリダで再荷造りをする羽目になって以来、旅行の際には携帯用の秤を持参するようにしています。出発前にも、帰国前にも、これでスーツケースの重さを量って22kgを超えないように(誤差があるかもしれないので、1kgはゆとりを持って)します。 今回の帰国時にも、カウンターを眺めていると60ポンドなどという表示がでていることもあり、5組に1組は荷造りをやり直しているようでした。 私の使っているスーツケースはけっこう大型のものなので、工夫がいるほどぎっしりと荷物を詰め込むと簡単に30kgを超えてしまいます。 なので、わりとゆるめに、けれど中身が動いてしまわないようにうまく配置しながらの荷造りが肝心です。この技術は妻のほうが圧倒的に上手で、10年くらい前までは「お願い!」と任せていたのですが、最近はようやくコツがつかめてきて1時間ほどで終えられるようになりました。旅先にもよりますが、午前中の出発便だと、現地のホテルを出て空港に向かうのが未明になることも多く、荷造りにかかる時間は帰国の疲労度に大きく影響します。 Packing Dayの翌日は? Packing Dayが終わって目覚めると、ついに帰国の日となります。これをなんというのか、まだ知らないのですが、Leaving Dayとでもいうのでしょうかね。 太平洋航路だと、往路よりも復路のほうが1〜2時間も余計にかかる上に、帰国すると夕方であることが多く時差調整のためにはあまりたくさんは眠らないでおいたほうが安全です。よって、この日はだいたい30時間近くは起きている、ということが多くなります。 休暇が終わって、ただでさえ気分が暗くなるというのに、早起きはしなければならない、30時間眠っちゃいけない(時差ぼけが平気なら寝ても良いんですけどね)、フライトも長い、帰国の曜日や時間帯によってはいきなり東京のラッシュにもまれる...と、まあ、ろくなことのないのがこの一日。 しかし、このつらさを忘れるためにひとつだけ有効な方法があります。それは、「次の休暇の計画を始めること」。 以前も書いたかもしれませんが、やはり10年ほど前に帰国のため空港へ向かうヴァンの中で「My vacation is over...」とつぶやいたところ、運転手さんが「It's time to plan the next vacation!」と。 休暇が終わったら、次の休暇を考えればいい。目下のところ、「帰国日症候群」へのこれ以上の処方箋はありません。 「帰国日症候群」のあとには、だいたい一週間から半月程度の「帰国後症候群」に悩まされることになります。ここでもやはりキーワードは「次はどこへ行こうか?」 われながら脳天気ではありますが、休暇の楽しみがあるからこそ、仕事にも身が入るというもの。両方ちゃんとやればいいわけで。 あ、でも次の旅行前には、もうちょっと英語のほうも訓練しておかないと、そろそろ錆び付いてることがわかってしまったので... |
2012年9月 9日 (日)
完璧?完壁?
漢字ブームなの? 前にもふれたことがあったかもしれませんが、海外で漢字をあしらったシャツや帽子などを見かける機会がますます増えているように思えます。 これは、中国の世界における位置づけが高まってきていることとも関係があるのかもしれませんが、むしろ画数の多い漢字が何となくかっこよく見えるのでしょうね。ときおり、意味不明なものにもお目にかかります。 これも前に書いたでしょうか、あるとき見かけたゴッツイにいちゃんがかぶっていたキャップには、でかでかいと「鶏」と書いてありました。 彼はきっと、その文字の意味が「Chicken」だとは知らなかったのでしょうね。いや、知っていてわざとかぶっていた、ということも考えられるのですが。 人のことはいえない もちろん、人のことは笑えなくて、日本人が身につけているシャツや装身具、あるいは文具などに訳のわからない「英語もどき」が書いてあるのはみなさんご存じのとおり。 20年30年前ならばともかく、未だに日本人の私が見てもびっくりするようなものに出会えます。 意味不明の、あるいはとんでもない意味になってしまっている英語の使われ方といえば、「Engrish.com」が有名ですが、ここも日本よりもお隣中国や韓国での事例が増えているようです。これも経済力で追い越されつつある日本の一の表れでしょうか。 辞書持ってないのかな? 最近電車内で見かけてギョッとしたのですが、目の前にたって女性が肩から提げているバッグには「The Conpreat Love」と書いてありました。 ん?「Conpreat」って単語知らないなあ、なんだろうか、と思ってその場でスマートフォンと取り出し辞書検索をしてみましたが、そんな単語はありません。 しばし考えたのですが、どうやらこれって「The Complete Love」の間違いではないのかと思い至りました。 で、そのフレーズで調べてみると、たしかに出てきました。やっぱりその通りの間違いのよう。ついでに検索結果を眺めていると、「Mission Conpreat」なんていうフレーズも出てきました。 でもさ、個人がブログに書いた綴りが間違っているくらいならばともかく、企業が売り出そうという商品で、これほどはっきりとした間違いを堂々とやってしまうということに、驚きを通り越して戦慄さえ覚えます。 だって、その綴りがあっているかどうかなんて、辞書を引けばすぐにわかるはず。辞書なしでも、WEBで検索してみれば済む話でしょう。でも、日本にはその程度の確認さえ怠っている人がいて、しかもそうやって作られた商品がたぶんそこそこ受け入れられているのですね。いやはや。 もしかすると、この「完壁な」愛、カンペキという言葉そのものがカンペキではないという、深い意味が込められた、高度な洒落なのかもしれませんけどね。 いや、そりゃないな。 |
2012年9月26日 (水)
ニルスさん? ネルスさん?
図書館の問題 今年に入って、職場近くの図書館を利用するようになりました。 本が売れずに出版点数が減ってしまうのは困るので、できるだけ買って読みたいのですが、買った本を収納する場所もなく、机のまわりに積み上げるにもさすがに限界があります。 東京都にはけっこうな税金も払っているのだしね。 図書館で借りるといっても、昼休み中に帰ってこなければなりませんから、書架を眺めて「さて、どれを読もうか」などと考えている余裕はありません。 幸い、図書館の蔵書はネット上で検索が可能なので、事前に調べて予約しておいたものを、返却と入れ替わりに借りてくる、という使い方になります。これだと、カウンター滞在時間は長くても5分で済みます。 この方法は時間的にはとても効率が良いのですが、問題があるとすれば借りて読み始めた途端に、「あ、これはちょっと...」となってしまうことが避けられないことです。 思った内容ではなかった、文章が好みではない、など、期待はずれとなるケースはいろいろですが、けっこう多いのは「私の知識レベルでは難しすぎた」というパターン。 ちょうどいま読んでいる「ゲルマン語入門(清水誠 著)」もこれでした。最低限の言語学の知識なしに読み進めても、なかなか理解できません。火曜日から読み始めて、ようやく150ページです。しかも、半分以上理解できていません。 同じゲルマン語といっても ドイツ語をやっていると、ご近所の言葉、たとえばオランダ語やスウェーデン語などのゲルマン系の言葉はお互いに似通った単語も多くてわりと憶えやすいんじゃないか、と錯覚することがあります。 でも、黒田龍之介氏だったか、「近い言語を同時に学ぶのは難しい」と書いてあるのを読んで記憶がありますが、下手に近いぶん混乱してしまう可能性が高そう。 同じ日本語とはいっても、いわゆる標準語と関西弁とではアクセントが大きく違うように、一見似たように感じられるゲルマン語にも、大きな違いがあります。 もちろんドイツの中でも同じ言葉を話しているわけではありません。また、「フリジア語」とくくられる言葉は3カ所で話されていますが、それぞれに差が大きく、お互いに会話が通じにくいほどなのだとか。 ニルス・ガーデさんとネルス・ゲーゼさん Niels Gadeさんという作曲家がいます。1817年に生まれ、1890年になくなったデンマークの作曲家で、交響曲を8曲書いているほか、メンデルスゾーンの死後にライプツィヒ・ゲヴァントハウスの指揮者にもなった人です。 この名前、ドイツ学習者はなんの疑いもなく「ニルス・ガーデ」と読んじゃうのですが、デンマーク語では「ネルス・ゲーゼ」さんになるようなのです。 こういうのってけっこう困りもので、たとえば検索する時に「ガーデ」とやってもすべての情報にはヒットしないのですね。 「新世界から」で有名な「Antonín Dvořák」の場合、日本での呼び名は「ドヴォルザーク」もしくは「ドヴォルジャーク」でほぼ決まっていますが、これを本来のチェコ語の発音で聞くと「ドヴォジャーク」に近く聞こえます。実際、英語で話す時に「ドヴォルザーク」といっても、まずわかってもらえません。 デンマークの作曲家といえば、「Carl Nielsen」さんも忘れてはなりません。 これも日本では「カール・ニールセン」となっていますが、「ネルセン」と読むほうがデンマーク語での発音には近いようです。個人名なのだから、その国の言葉に近づけるほうが良かろうという立場からは、ネルセンにしたほうが好ましいのでしょうが、すでにニールセンとして知られてしまっている以上、変えていくのは容易ではないでしょう。 どうも固有名のカタカナ表記というのははなはだ中途半端なところがあって、「Richard Wagner」は「ヴァーグナー」よりも「ワーグナー」です。また「Bruno Walter」はほとんどの場合「ブルーノ・ワルター」。 「Wilhelm Furtwängler」にいたっては、「ウィルヘルム・フルトヴェングラー」などと書かれたりもしますから、語頭での「ヴ」音は嫌われているのでしょうかね。 できれば現地での読み方に近く、あるいは本人が「こう読むのだ」と思っていた音に近い表記にしたいところではあるのですが、あまり厳密に考えてもしょうがない問題でもあります。 おそらくNielsenもGadeも、ドイツにいる時にはドイツ風に読まれていたのでしょうし(呼ばれるたびに訂正していたら、きっと疲れちゃうでしょう)、通例となってしまったものについては諦めて多数派に習っておくのが、気楽ではあります。 |