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人生まだ半分、37才からの外国語
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英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

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人生まだ半分、37才からの外国語

2012年5月14日 (月)

運動しながらラジオ講座
長期連休は勉強せず
ブログの更新、3週間ほど勝手にGW休暇をいただいておりました。みなさまお元気でしたでしょうか。
この3週間ほどのあいだに、春から一気に初夏に季節は移り変わり、桜が咲いて散り、ツツジが終わってすでに東京はバラのシーズンです。あっという間に梅雨が始まっちゃいますね。
連休中を利用して長期海外旅行に...でも行ければ良かったんですが、カレンダー通りのお休みで3連休と4連休の飛び石。それでも前半で岩手県の地ビール工場にでかけてたっぷり飲んできました。ちょうど一関は桜が満開、平泉もきっとにぎわったでしょう。

長期の休みとなると、いくらでも時間がありそうなものなのにかえって勉強をしなくなるのは、小学校のころからの私の特徴でして、語学とは無縁の生活を送ってしまいました。
せいぜい、スポーツクラブで運動をしながらラジオ講座を聴くのと、夜10時台になると始まるテレビ講座を見る程度ですね。これでもなにもしないよりはマシですが。

本当なら先週には復活して書き始めようと思っていたんですが、休み明けに少々ヘビーな仕事が続いてしまい、なかなか手につかずに5月も半ばになってしまいました。
またぼちぼちペースを戻します。

スポーツクラブでラジオ講座
上の方で書いたとおり、最近は録音したラジオ講座をスポーツクラブで運動しながら聴いています。
iPodもあるのですが、4月の始めから使い始めたスマートホンに録音したデータを保存して持ち歩いています。まあどちらを使ってもかまわないのですが、iTunesを使わなくてもただファイルをコピーするだけのAndroidのほうが扱いはラクです。

スマートホンではBluetoothのヘッドホンが使えるので、ラジオ講座のデータを入れた電話機は手提げにでも入れておけるので、動いても問題ありません。
とはいっても、6種類の筋トレとバイクをこぐくらいなので、あまり激しい運動はしていません。筋トレは単純な動きが続くので、語学番組に気を取られていてもあまり大きな問題はなさそう。せいぜい、回数が途中でわかんなくなっちゃうくらいです。

運動中というのはけっこう頭はヒマですから、ラジオ講座を聴くにはちょうど良い感じです。15分番組なので、わりと細切れで聴いても大丈夫ですし。
ウェイトを上げ下げしながら「Wie bitte?」とか音読するわけにも行かない(さすがに怪しすぎますよね)ので、「ハイ、ご一緒に」といわれてもすごく小声で発音するか、もしくは口を動かす程度になります。
自宅で心置きなく声を出すのよりは、学習の効果は低いかもしれません。

オススメはバイク
とくに時間をもてあますのは、バイクやランニングなどの有酸素運動のあいだです。
よく「15分からが脂肪燃焼」などといわれるので、いつもはだいたい30分を目安にしているのですが、なにもせずにただカウンターをにらみながらこいでいたのでは15分か20分であきてしまいます。
ここでも、ラジオ講座を2本聴けばちょうど30分、というわけです。これなかなかオススメです。なんといっても、運動と語学を同時にやっているのが、時間を効率よく使っている満足感に浸れますし。

本当にランニングや散歩をしている時にラジオ講座を聴いていては、突然誰かにぶつかったり、段差で躓いたりして危険です。
けれど、スポーツクラブのマシンをこいでいる限りは、どこかに移動するわけでもありませんから多少ボーッとしていても大丈夫。運動と語学が安全に両立できます。

語学講座をわざわざ時間を取って聴くのは、仕事や家事を抱えていると意外とできないものですが、週に何回か必ず30分や1時間運動をするあいだに聴くのなら、面倒もありません。
ながら学習は必ずしも効率が良いものではありませんが、頭と身体は別々に使っているのだからそんなに悪くもないかな、と思うのですが、どんなモンでしょうね。
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2012年5月17日 (木)

The real McCoy
何だその慣用表現
私は中学高校を通じて一度も英語が得意課目だったことがありません。高校ではむしろ苦手といって良かったでしょう。
その大きな理由のひとつが、やたらにたくさんある慣用表現でした。
「It's Greek to me.」とひとつだけなら、なるほどねと気憶して終われるのですが、やれ「hold one's tongue」だ、「a piece of cake」だと続いてくると段々と気持ちが萎えてきて、「cats and dogs」あたりでどうでも良くなってきます。
 
ひとつひとつをきちんと解説してもらえば、それなりに納得して理解し、気憶にとどめることもそう困難ではないかもしれません。
しかし、毎週ふたつみっつと出て来ては次々に暗気せねばならないとなると、根が怠け者で嫌いなことはやらない私とは相性最悪です。友人たちが単語カードを作ってお互いに質問しあいながら暗気に精を出しているのを横目に、ある頃から完全に学習を放棄してしまったまま今日に至ります。
 
本当のマッコイ
本日のタイトル「The real McCoy」は、こうした慣用表現の中でも特に私とは相性の良くなぃもののひとつです。
なぜなら、表現を構成する単語から意味を推測できないから。
 
上に挙げたうち、たとえば「hold one's tongue」ならば、舌を保つ、つまり動かさない、もしかしたら、沈黙すること? という推理は可能です。
私はもともと語彙に乏しかったので、数少ないわかる単語から全体の意味を推測することは得意でした。というか、長文読解などこれだけで乗り切っていたようなものです。
しかし、「The real McCoy」といわれて推測可能でしょうか? 固有名詞が入っている時点で無理ですよね。McCoyって誰だよと。
 
自慢ではありませんが、McCoyといわれて私が思いつくのは、スタートレックのドクター・マッコイと、ジャズ・ピアニストのマッコイ・タイナーの二人だけです。
ちなみに私はこの慣用表現を、後者のアルバムタイトルとしてしか認識していませんでした。
「これが本当のマッコイ・タイナーだ!」という煽りと、本来の慣用表現としての意味「本物!」とをかけていたのでしょうが、そんなの海外のファンにはわかりませんよ...
 
これって今も使える?
慣用表現について私が今でも熱心になれない理由のもうひとつは、その表現がいつまで使い続けられるのかが不透明なことです。
それがある一定期間だけ、あるいは一定の集団の中でだけしか使われなかったり、今ではすっかり陳腐化してしまったりしているかもしれません。
 
たとえば旅先の土産物屋で金のように見えるアクセサリーを手に「Is it a real McCoy?」と尋ねてみたとしましょう。
ちゃんと「これ本物の金?」と伝わるかもしれませんし、「これってモノホン?」といったアホっぽい喋りかたに聞こえてしまうかもしれません。はたまた、「真贋について質したく」などと響いちゃうのかも。
 
私が英語を母語とせず、日常的に使ってもいないために、このあたりはどうしても手さぐりとならざるを得ません。
まあ日本語だって、私の日本語と、時折電車の中で聞こえてくる中高生の日本語とではかなりの違いがありますから、外国人観光客が多少ヘンな英語を喋ったからといって、さしたる問題を引き起こすとも思えないのですけどね。
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2012年5月24日 (木)

ソーシャルリーダー? パーソナライズドマガジン?
早すぎます
インターネットが家庭からも使えるようになったのが1995年か96年くらいだったでしょうか。正確なところはわかりませんが、まだ20年は経っていません(それでも、当時生まれた甥っ子がもう高校生ですけどね...)。
しかしこの15年ほどの変化は実にすさまじいものです。子供のころに読んだ小説やマンガに登場した、エアカーが走る未来都市も、月面植民地もできませんでしたが、当時の想像をはるかに超えた世界に、私たちは住んでいます。

はじめは電子メールやネットニュースなどの文字中心のコミュニケーションだったものが、WEBブラウザで写真や図表などの画像が見られるようになり、すぐに音声が扱えるように。
ビデオだって最初の頃はマッチ箱大の絵がカクカクと駒落ちしながら動くものだったのに、いまではハイビジョン映像のストリーミングさえ可能です。ベルリン・フィルのコンサート中継を自宅で高画質で見られるなんていっても、10年前の私は信用しなかったでしょう。

年は取りたくないもので、5年くらい前からは段々とこうした変化に乗り遅れることが多くなってきました。
新しいサービスを使って自分の生活を便利に変化させるスピードよりも、次の新しいものが生まれるスピードのほうが早くなってしまったのですね。こうなると、新しいものにはすぐに飛びつかずに、じっと様子を見て「一個飛ばし」で取り入れるのがちょうど良かったりします。

雑誌で読みたいのは10ページだけ
最近は雑誌をちっとも買っていません。見出しに惹かれたとしても、「なんだ、この特集たった10ページか。あとの100ページは要らないし」と棚に戻してしまうことが増えました。
雑誌の「特集」が10ページとか20ページしかないのは、今に始まったことではありません。それでも、かつては情報料そのものが少なかったために、その10ページのために雑誌を買うことに抵抗がなかったのですね。

なので、今では雑誌を買うのは、その号の内容がほぼまるごと特定の関心あるテーマに関連しているときくらいです。
10ページにはお金は払わないけれど、100ページならOK、という感じでしょうか。これだと、毎号テーマが変わるたびに売れ行きの差が激しくなって、つくる方は大変だろうな、と思うのですが。

最近になって、この傾向にさらに拍車をかけるようなサービスが続々と登場しています。
その一つが「ソーシャルリーダー」とか「パーソナライズド・マガジン」とか呼ばれているもの。具体的には、つい最近日本語サービスが始まって話題になった「Flipboard」や「zite」などです。
簡単に言うと、関心のあるジャンルを選んでおけば、WEBの多様な情報の中からいくつかの記事やニュースをピックアップしてきれいにレイアウトしてまとめてくれるサービスです。自分で検索サービスやRSSリーダーを使って探すよりも、ずっと効率よく情報がまとまります。いわば、新聞やテレビの情報番組、そして雑誌がやっていた機能がオンライン上に移ったようなもの。

外国語のニュースを読む
良く外国語の習得、とくにリーディングの訓練のために、その言語のニュースサイトや新聞社の記事を読もう、というのを聞きます。
たしかに、これを続けるとけっこうなスピードで外国語が読めるようになり、語彙や表現も増えて効果的なのですが、「関心のある記事」を探し続けるのって、それなりの手間と時間がかかってしまいます。よほど「相性の良い」サイトでも見つけられない限りは、続かないケースも多いのではないかと思います。

たとえば、「zite」には33のカテゴリーがあって、ここから関心あるものを選ぶことができます。
くわえて、自分なりのキーワードを追加することもできるので、ある程度絞り込まれた状態から記事を探せるという点で非常に便利です。
読んだ記事が良かったら右側にある「Did you enjoy reading this?」に「YES」を、そうでなければ「NO」を選んで行くと、その後の掲載記事に好みを反映させることができます。また、記事の書き手や掲載サイト、記事に出てくるキーワードをクリックしておけば、それを加味したものが増えるという仕掛けです。
もちろん、気に入った記事をtwitterやfacebookで紹介するのも簡単。

全ての記事ではありませんが、タブレット(iPad版を主に使っていますが、Android用のアプリもあります)で読みやすいレイアウトになっていて、その場で文字の大きさも変更できますから、いちいちWEBサイトの表示を二本指で拡大表示する煩わしさもありません。
自分好みの記事を検索して探す、文字を調整して読む、次からも類似の記事を読めるようにブックマークしたり、著者の名前を覚えておく...いずれも、やればできることばかりですが、ひとつひとつが重なるとストレスが大きくなって面倒になります。

煩わしさや面倒は語学の大敵。ほとんどの場合、ちょっとおっくうなことが重なるだけで、学習意欲はしぼんでしまうものです。
ソーシャルリーダーなどの新サービスは、「外国語を読む」ことの手間や面倒を大きく引き下げてくれそうですし、しかもどんどんと改善されていくことでしょう。画面をめくりながら記事を見つけ、読んで閉じて...この手軽さは、PCでは味わえないものです。
いまや、外国語を「読む」用途には、PCよりもタブレットのほうがずっと優れた環境といえるかもしれません。

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2012年5月26日 (土)

外国語が混ざる!
外国語回路はひとつだけ?
最近の困りごとのひとつが、「英語とドイツ語のチャンポン」です。
以前からこのブログにも書いているとおり、私はよく頭の中で英語やドイツ語で会話シミュレーションをするのですが(ようはテーマを決めて自分一人で会話を組み立てる)、このときに英語だったはずがいきなり「aber」とか[trozdem」といったドイツ語の接続詞が登場し、そこか先がドイツ語に変わってしまうのです。

もちろん、英語に比べるとドイツ語で表現できる範囲は非常に狭くなるので、こうなってしまうと途中でシミュレーションはあっさりと終了します。
英語ならば通勤電車の中で10分程度は「会話」が続けられるのですが、ドイツ語では語彙も足りていないので、だいたい2〜3分が限度ですね。それでも、一人会話だけに自分の知っている単語だけで続けられるのでなんとかなっているだけなのですが。

いずれにせよ、英語とドイツ語がごっちゃになって出てくるのはちょっと困りものです。
いざ使う段になって、英語を話しているつもりが突然ドイツ語に変わったりしても、きっと相手には通じないでしょうから。
ドイツ語教室の仲間で、いきなりフランス語の田子を混ぜた話し始める女性がいるのですが、これって同じような症状かもしれません。もしかすると、私たちの頭の中には「外国語」の回路はひとつしかなくて、そう器用には切り替えられずに混信しているのかも。

目玉をどうやって食べますか?
ちょうどいま読んでいる本、「ドイツ語『語史・語誌』閑話」(石川光庸・著)にも同じような話が出てきました。
ドイツ語でタマゴが「Ei(アイ)」なのは、学習者のかたにはおなじみだと思います。で、日本でタマゴの食べ方といえば「目玉焼き」、そして英語で「目」は「Eye(アイ)」。これが混信すると、とんでもない文ができあがります。

著者の石川さんがある時、英語圏からのお客様にタマゴの食べ方を尋ねようとして、出てきたのがこのフレーズです。

 How would you like to eat your eye?

いやはや、相手も面食らったことでしょう。
でも、このところ独英の混信に悩まされている身としては、他人事とは思えません。いつの日か、私もこの手の間違いをやらかすのではないかと不安でしょうがありません。

イタリアとスペインなら
英語とドイツ語は親戚関係とはいっても、英語は途中でフランス語の影響を受けたりしていて意外に違いも大きいことに気づくことも少なくありません。
毎週テレビ講座を見ている範囲では、英独の共通項よりもずっと似たような言葉に聞こえるのがイタリア語とスペイン語です。

たとえば「per favore」と「por favor」なんて、ほとんど一緒にしか聞こえません。きっとスペインに行って「cerveza, per favore!」と伊西混合で喋っても、ちゃんとビールが注文できることでしょう。
イタリアとスペインとではゆっくりと喋ればお互いに意思疎通が可能だ、なんて話を聞いたこともありますが、さもありなん、と思わせられます。

関西出身のかたが東京に来ると、本人が東京弁になるのではなくて周囲の非関西人がなぜか関西のアクセントで話し始める、なんてこともありますが、もしかするとより強烈な言語のほうに引っ張られるのかも。
旅行先で思わずドイツ語でビールを注文しないように、そろそろ英語を真面目に復習しないと、いけないかもしれません。

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2012年5月31日 (木)

おいしい!を表現する
運動しながら語学
ちょっと前にもネタにしましたが、スポーツクラブでの運動中というのはけっこうアマタや耳は暇なもの。iPodや携帯電話からイヤホンを伸ばしてなにかを聴いている人がたくさんいます。
おそらくは音楽が多いのでしょうが、オーディオブックなんかも適しているかもしれません。

私も音楽を聴くことが多かったのですが、ちょっと前からラジオの「まいにちドイツ語」を聴いてみているのは一度書いたとおりです。
けっこう聞きながらやれるものではありますが、問題は真面目に聞き取ろうとすると、筋トレの回数を数える方がお留守になってしまうことです。あれ? 今のって20回目だっけ、それとも30回目? なんてことに。

では、英語だとどうだろうか、と思いたち、昨日は「攻略!英語リスニング」を聞いてみました。使ったのは、今年度の最初の放送週のもの。ブランチのお店を紹介する文章ですね。
結論から言うと、こちらも真剣にリスニングしようとするとやっぱり回数を数え忘れます。結局、どのマシンを何回やったか、あまり正確にはわからくなってしまいました。集中力を必要とするものはダメみたいです。
もっとも、回数はあまり気にせずに「疲れるまでやる」という姿勢に変えてしまえば、それはそれでよいかもしれません。

「おいしい!」をどう表現するか
料理を食べて「これおいしい!」というのは、旅行外国語の初級で良く出てくる表現です。
ドイツ語だと「Das ist lecker!」とか「Das schmeckt sehr gut!」あたりですね。イタリア語だと「Che è buono!」とかですかね。たしか一昨年の「EURO24」でわりと早い段階で出てきたような。

ただ、初めて行くレストランでその都度使うだけならばともかく、同じ人と一緒にごはんを食べたり、あるいは気に入って二度三度となると、毎度同じ表現ではちょっともの足りません。
そんなこともあって、だいぶ以前にPodcastで簡単な英語表現講座を聞いていたときに、作者のかたに「『おいしい!』の表現でカッコイイの教えて!」とリクエストをしたことがありました。このときに教わったのが、「to die for」です。

昨日スポーツクラブで聞いていた「攻略!英語リスニング」の初回の英文に登場したのが、まさにこの表現。「Their waffles are to die for.」でしたっけ?
これはかなりの褒め言葉になるので、よほどおいしさに感激したときに使う表現だと教わったのですが、さて、どのくらいカジュアルに使えるのでしょうね。でもまあ、「そのために死んじゃっても良い」くらいのおいしさなんて、そうそうはありませんけど。

記憶に残る
この「to die for」、上記のようないきさつで教わったこともあって、その後使う機会にはついぞ恵まれないわりには、しっかりと記憶に残っています(英語圏でこれほどの味に出会える可能性が、そもそも低いかも...)。
やはり、単に本で読んだりラジオ講座で耳にしただけのものよりも、自ら望んで、しかも印象深い方法で(Podcastでとりあげてもらえましたので)出会った表現は、忘れにくいということでしょう。そういえば、受験生の頃は「頭を叩きながら暗記するとおぼえやすい」なんてことを真顔で主張する友人もいました。

同じ回の「攻略!~」で出てきたもうひとつの面白い表現が、「a slice of heaven」です。
天国の一切れだなんて、いやはやいったいどれほどおいしかったら使えるのでしょうね。すくなくとも、アメリカ旅行でこの表現を使えるものを食べた記憶はないような...
なんてことを考えながら何度か聴き取りをしていると、少なくとも表現が強く記憶に残って思い出しやすくなるのはたしかです。
毎度毎度すべての単語や表現をこうやって憶えていくのは手間がかかりすぎますが、少なくとも関心のある領域なら、実際に使う場面を想定しながら記憶にとどめると、むしろ短時間で使える表現の引き出しを増やせるかもしれません。

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