2009年11月 3日 (火)
自動翻訳ってどこまで進化してるの?
おぼえてますか?「偶然だぞ」 福留選手がシカゴ・カブスの一員としてメジャーリーグへのデビューを果たしたとき、観客の一人が「偶然だぞ」というプラカードを掲げていた光景をおぼえているでしょうか。 ニュースで映像を観たときは、なんだか失礼なヤツがいるなあ、などと思っていたのですが、これってカブスファンがよく使うフレーズ「It's gonna happen.」をWEBの自動翻訳にかけた結果だということがすぐに知れ渡りました。 ちなみにいま現在、Google翻訳で同じフレーズを日本語に訳すと「それが起こるのよ。」となっていますね。これも良くわかりませんが。 まあ、これをもってソフトウェアによる自動翻訳の限界を嗤うのはけっこう酷な話で、このフレーズ「It's gonna happen.」って日本語に訳そうとすると難しいですよね。 「なにかが始まるぞ!」といった期待を表す言葉なのでしょうが、単純に考えて「それ(It)って、いったい何を指してる?」と考え始めちゃうとオシマイ。直訳すると「それは起ころうとしています」って余計わからない。 2004年の翻訳サービス もう5年も前になりますが、ちょうどハロウィーンの直前の時期、2週間ほどの短期でアメリカの大学に研修にいったことがあります。 2週間の「プチ留学体験」(2009.4.7) このとき、途中で2回ほど学んだ内容を会社の状況に照らしてどんな提案ができるかのプレゼンテーションを行いました。 しかも、前半のプレゼンは英語です。資料も英語ならプレゼンそのものも英語、メンバー全員かなり苦労しましたっけ。 なお、後半のプレゼンは、言っても言っても事前課題(Harvard Business Reviewの記事が5本ほどでした)をいっこうに読んでこない研修生の怠慢さに業を煮やしたのか、日本語OKということになり、みな喜んでいましたが... 前半の英語によるプレゼンでは、事前に資料を準備していく時間がありました。 そこで、私はちょっとズルをして、まず日本語でできるかぎり主語と述語を省略しない文章による企画書を書き、それをWEBの翻訳サービスで英語に直しました。 出てきた英語が珍妙なものだったら、その部分を再度書き直してもう一度翻訳、という作業を2~3度繰り返してから、できあがった英文を読み直して修正したのです。ここでわかったのは、自動翻訳で自然な英語になりやすい文章というのがあるということ。 口語や省略はやはりダメです。 だれが、いつ、どこで、なにをして、どうなった、などを略さずにきちんと書くこと。文と文とをつなぐ接続詞をきちんと選び、文章間の論理的な関係を明確にすること。そして不要な修飾を避けて簡潔な表現にすること。 これらが「自動翻訳向け」の日本語の書き方です。 当時から、このような工夫をすれば、自動翻訳はかなりの水準に達していました。いまでは、新聞記事などではかなり正確に文意が読み取れますから、技術は刻々と進化しているのでしょう。 翻訳ソフト活用組も 同行したメンバーのなかには、和英の翻訳ソフトをわざわざ買ってきてパソコンにインストールして、どんどんと日本語のプレゼン資料を英語に訳しているのもいました。 たしかに、無料のWEBサービスよりもこなれた英文をはき出してくれるようでしたので、一同大いに助かったのはたしかです。 ただ、この手法にも限度があって、やたらと難しい単語が出てくるのです。いわゆる「Big words」ってやつですね。 "Big word"ってほめてる?(2009.9.19) まあ、ビジネスのプレゼンなのである程度のBig wordは避けられないものですが、英語で話すことにもともとなれていないのに、そんな言葉をちりばめた英文を書いたノートを棒読みしても、なかなか通じません。むしろ、自分が意味を把握している基本的な単語で話したほうが、ずっと内容が伝わるのです。 私はアメリカ到着直後に、PDAに設定しておいた辞書が壊れて使えなくなってしまったので、しょうがなく手持ちの語彙で勝負しましたが、これはかえって正解だったと思います。 まあ、素人が英語でがんばってプレゼンしているのですから、どちらにせよ五十歩百歩というところでは、あったのですが。 あれから5年 早いもので、もう5年が過ぎました。 IT業界における5年というのはとてつもない時間ともいえます。当時はGmailもGoogle Mapsも、あるいはtwitterもなかったのですから。 めまぐるしいほどの技術革新が続くなかで、自動翻訳の精度はそれほど劇的には変わっていないという印象も受けます。それだけ、翻訳という作業は難しいのでしょう。 一定の意味の変換だけならまだしも、その言葉が発せられた状況や前後の文脈まできちんと分析しないと、本当の意味は取れないわけですから。 それでも、雑誌や新聞記事くらいなら自然な翻訳ができるようになると、世の中は大きく変わるでしょうね。あと数年待てばできるんじゃないの、と期待したり。 それでも、SF映画に出てくるような自動翻訳機が生まれ、もう英語もドイツ語も含めて外国語の勉強なんかしなくて良くなる日は、たぶん私が生きているあいだにはやってこないでしょう。 24世紀に生きる「スタートレック」の世界の人たちは良いよなあ、と思いつつ、当面はしっかりと勉強するしかなさそうです。とほほ。 |
2009年11月 7日 (土)
通じない固有名詞
バーガンディってどこですか? だいぶ前のことになりますが、アメリカへの旅行中にレストランでワインを勧められました、「おすすめはこれです、とってもおいしいバーガンディ」とかなんとか。 ん? バーガンディなんていう産地も銘柄も知らないぞ、と思ったのですが、みなさんはおわかりですね、バーガンディすなわち「Burgundy」は「Bourgogne」のこと。 おそらくあまりワインなどには興味がなくたって、日本人のほとんどは「ボルドー」「ブルゴーニュ」「シャンパーニュ」くらいは聞いたことがあります。あと最近では「ボージョレー」とか。 でも、そこらのアメリカ人に「ブルゴーニュ」っていっても、けっこうな確率で通じません。たとえそれがちゃんとしたフランス語の発音だったとしても。 もちろん「Champagne」だって「シャンペーイン!」といわなくちゃダメ、私はニューヨークのビストロで「シャンパーニュ」といったら「シャンペーインね!」と確認されました。でも、この綴りだったら「シャンパーニュ」って読めばいいじゃないかと、思っちゃうのですがねえ。 なぜ英語読みするのか 一度、英会話教室の講師に訊いたことがあります。「なぜアメリカ人は、固有名詞を現地の読み方を無視して英語読みするのか?」 答えは「良くわかんないな、どうして日本人はいろんな読み方するの?」と逆質問。ちゃんと質問に答えろ、と思ったのですが、きっとホントに理由はわからないのでしょう。 ある意味、なんでも英語読みするというのは首尾一貫してはいるのですが、そもそも英語ってスペルと読みに一貫性ないですからね。良いのか悪いのか...日本人にしたって、現地読みじゃないことも多いし、それに「プランタジュネ」なのか「プランタジネット」なのかって、迷い始めるときりがありません。 いずれにせよ、私たちが「プラトン」だと思っているひとは「プレイトウ」だし、「アリストテレス」は「アリスタートル」です。「ユリウス・カエサル」が「ジュリアス・シーザー」なのはまだしも、「マルクス・アントニウス」が「マーク・アントニー」になると、ものすごーく弱そうじゃありませんか? まあ、勝ったほうも「オーガスタス」じゃ、ちっとも「尊厳者」って感じがしませんが。 で、困るのは、私が「ユリウス・カエサル」っていっても、彼らの多くには通じないということなんですよね。 先日見つけたブログの記事にこんなのがありました。私は世界史好きでしたから「シャルルマーニュ」ですぐにわかるけど、たしかに多くのひとには「カール大帝」じゃないと通じないのかも。にしても、「こいつシャルルマーニュもしらんのか」と思われる悔しさ、よくわかります。 英語で固有名詞や専門用語が通じなくて苦労したことってありません?(My Life in MIT Sloan) 無教養と思われるのは腹立たしいよね 話が急に飛んで、11月の始めにサントリーホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮によるシンシナティ交響楽団の演奏会に行きました。 その直前の英会話教室で、「週末になんか予定ある?」と訊かれて「I'll go to a concert of Cincinnati Symphony Orchestra.」と返しました。そして次の質問が「Whose music do they play?」、さて困りました。 この日の演目は、バーンスタインの「キャンディード序曲」とシベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」、そしてドヴォルザークの「交響曲第9番」です。 Leonard Bernsteinは、まあいい。アメリカ人です(修正主義で知られる「Eduard Bernstein」も、アメリカではきっと「バーンスタイン」なんでしょうな) 。 でも、Sibeliusは「シベリウス」で良いのかな? Dvořákって、そもそも「ドヴォルザーク」じゃないんだよね... 結論からいうと、Sibeliusは通じました。「シベイリァス」てな感じで良いみたい。 でも、Dvořákはダメでしたね、辞書の発音記号から無理矢理カタカナで書くと「ドヴォージャーク」とかになるのかな。とにかく通じませんでした。 ただ、ドヴォルザークの場合は、そもそも「ドヴォジャーク」に近い発音だそうなので、これは日本で定着した呼び名よりも英語読みのほうがまだマシなのでしょう。「アメリカ人は何でも英語読み、日本人は現地語に近い読み」というのが、必ずしも当てはまらない例です。 一方で曲などのタイトルも困ります。「フィガロの結婚」は当然「Le nozze di Figaro」なのだけれど、これをいって通じる相手とそうでない相手がいます。 オペラの題名を全く知らないのではなく、「The Marriage of Figaro」といえばだいたいは(タイトルくらいは)知っているのですね。 日本では欧米の文化ってけっこう定着していますから、人名や地名なんかの固有名詞はごく当たり前の知識として多くの人が持っています。けれど、英語での会話となると、そもそも読み方が違っているせいで通じずにこちらが「知らない」ことになっちゃうのがやっかいです。日本人は教養がないなんて思われるのは悔しい。 歴史や音楽の授業では、日本で定着している読み方と、英語読みの両方を教えるくらい、しても良いのかもしれませんね。 |
2009年11月10日 (火)
レッスン開始、別人格スイッチオン!
実は人づきあいは苦手 こんなところでこんなブログを書いておいてなんだと叱られそうですが、実は私は人づきあいが苦手です。会社の宴会なんかも、できるだけ出席したくないくらいで、「最近の若者は職場の宴会を嫌がっている」なんていう報道を見ると、「当たり前でしょっ」と思ってます。 なにしろ、さして親しくない相手(しかも親しくなりたいと思っていない相手)と、その場限りの当たり障りのない会話をするのは面倒でしょうがないのです。 しかもその話題たるや、仕事の愚痴を除けばゴルフとかテレビドラマとか芸能人とか、心底興味のないものばかり。適当にあわせるにも限度があるのです。 一応40歳を過ぎた大人なので(笑)、どんな場合でもなんとかあわせてその場を和やかに終わらせることくらいはできるのですが、心の中では「もー早く終われよ幹事」といつも思ってます。きっと周囲にはばれているでしょうけどね... あ、「いつも」ではないか、本当に気のあう仲間とであれば、もちろんそんなことはないのです。大きな職場の歓送迎会とか、ホントに勘弁してほしいです。 もちろん、教室でも 話題に乏しいだけでなく、そもそも私はあまりたくさんしゃべるほうではないのです。 「テレビでイタリア語」なんて観ていると、どうしてまあこの番組に出てくるイタリア人は後から後からとめどもなく言葉が流れ出てくるものだと感心するのですが、それに引き換え私は必要なこともしゃべらずにすまそうとして、毎度妻にしかられる始末。 これもお仕事ならば黙ってろといわれてもいわなくちゃならないことは口に出すし、社内研修で講師をやってもかなり好評なほうなのですが、完全にお仕事モードだからできること。 英会話教室というのは、基本的に知らない人と英語で話さなければならない場所です。週に一度か二度、1時間弱の時間を共有しているだけの相手ですから、それこそ共通の話題なんてありません。 幸いなことに、どのレベルのクラスでも「今日はこのテーマについて話しましょう」というお題が与えられるのでお互いに押し黙ったままつらい時間が流れていく...といった事態には陥らずにすんだのですが、毎回ヒヤヒヤとしながらレッスンをしのいでいたのはたしかです。 英会話モードに切り替え 苦手だからとしゃべらずに黙っていては、自分が損するだけでなく、会話のパートナーになった他の生徒さんにも迷惑がかかるのが英会話教室。あのオッサンうざいんですけど、と思われるくらいならともかく、ヤツがいると会話にならないから一刻も早くやめてほしい、なんて思われたくありませんね。 そこで、朝事務所に入って「お仕事モード」に切り替えるのと同じように、教室のロビーに入ってスタッフから「こんばんは」と(あるいは講師から「Hello! How are you?」でも)声をかけられたときに、「英会話モード」のスイッチを入れるようにしてます。 もしかすると、教室で一緒になったことのあるかたがたは、私はけっこう話し好きだと思っているかも。 沈黙に耐えられずにしゃべり過ぎちゃうのはまた問題なのですが、でも限られた時間をむだにしてしまうのはもったいないし、外国語というのは失敗して恥をかかなければ上達しないものだと思っているので、黙るくらいならしゃべる、というのを自分のルールにしています。 しゃべりすぎ? でも沈黙はいやだし...(2009.10.24) 自分もこうなのだから、きっと同じ教室の中には「無理してがんばって話している人」や「しゃべりすぎないように必死で我慢している人」「ごく自然に会話に加わっている人」が混じっているのだろうな、と、ときおり観察に気を取られて英語がお留守になることもあります。 以前も書いたかと思いますが、「英語」という縁がなければ一生口をきくことなんてあり得なかった人たちと、けっこうプライベートな事柄も含めて話し合っている英会話教室って、ホントにおもしろいところだな、と思います。 |
2009年11月14日 (土)
MannとMan、そして「マン」
海外ドラマ三昧 この前、ケーブルテレビの番組視聴予約をしていたら、「予約件数が最大に達しました」と怒られちゃいました。なんとたったの16件しか予約できないのって、納得いかないのですが、ここでいってもしょうがないですね。 予約のほとんどは単発の番組ではなく、NHKの語学講座と海外ドラマです。これらで13件ほどを使ってしまっていて、単発の番組は3件ずつしか予約できなくなってしまったのです。うーん、せめて倍の32件はほしいところ。 毎週予約しているドラマを数え上げてみたら、けっこうたくさんになっていました。 「アグリー・ベティ3」 「魔術師マーリン」 「GSG-9」 「ターミネーター:サラ・コナー・クロニクルズ」 「HEROES」 「ビッグバン☆セオリー」 上からふたつがNHK、あとはケーブルテレビのチャンネルになります。NHKの2作品と、一番下の「ビッグバン☆セオリー」が二カ国語版、残りは字幕版です。二カ国語版は音声を言語にしたら字幕が出てくれればうれしいのですが...(字幕なしでは話についていくのがやっとなので) で、MannとMan 小見出しでおわかりのとおり、今回のネタはドイツ警察の対テロ特殊部隊を題材とした「GSG-9」です。前にも書きましたが「げーえすげー・のいん」です。 ちょっと前ですが、シーズン1の第6話では、紛争の続いたコソボに、戦争犯罪人として告発されたセルビア人の軍人を逮捕に向かうストーリーがあります。首尾良く逮捕はできたものの、チームの一人が人質となってしまいます。彼はトルコ系のイスラム教徒で、早く救出しないと命が危うい。しかしドイツ政府に交渉に応じる気はありません。 そこで、チームリーダーであるゲープ(Geb)が一策を講じます。 本部でシステムエンジニアを担当する女性職員ペトラに近づき、相手側の組織が連絡を取るためにネットを使っているのなら、そこへある情報を流せないか、という相談をします(内容については、ネタバレになっちゃうので伏せます)。 その際、「Kann man~?」と尋ねるのですが、すかさず「Mann?」と聞き返され、「いや、女でもいい」と応えるのです(この「女でも」ががんばっても聞き取れないのですが)。 以前から、ドイツ語講座の最初のほうで「ドイツ語ではMannとManは違います」と教わるたびに、「でも音が一緒なんだから、会話の中で誤解が生じないのか?」と疑問に思っていたのですが、その可能性はあるということですね。 上記のドラマのシーンは、ペトラがめずらしくも頼み事に来たゲープにちょっと意地悪をしたようにも思えたのですが、もしかしたらホントに誤解をしたのかもしれません。なんとか引き受けてもらった後で、「今日もきれいだ」などと普段は口にしないお世辞を言うゲープに向けたペトラの「やれやれ」という表情が何ともいえません。 「営業マン」「Salesman」「Verkäuer」 話は飛びますが、会社で使う資料で、あるいは会話の中で、「営業マン」って多用されるんですよね。中高年だけでなく、若いメンバーも平気で。 私は職場のダイバーシティ推進プロジェクトメンバーでもあったので、「営業担当者」となおすようにしつこく言っているのですが、なかなか修正できません。職場によって多少の差はありますが、営業担当者に占める女性の比率って年々上がってきています。それなのに「営業マン」なんて前時代の言い方早くやめたいものですね。 言葉を変えたから意識が変わるというものでもないのですが、だからといってそのままで良いというものじゃない。 英語だとPC(Politically Correctness)表現が増えてきて、「Salesman」や「Chairman」ではなく「Salesperson」「Chairperson」などと言い換えています。 会話の中でも、「He」と単独で使うとその立場なり職種なりを「男性のもの」と決めつけてしまうことになるため「He or she」と言ったりしますね。私は面倒なので、どうしても単数にしなければ意味の通じない場合を除くと「They」にしちゃうことも多いですが。 ただ日本語だと「営業パーソン」って語呂も良くないのでなかなか浸透しませんね。「ビジネスパーソン」だってそんなには使われていないし。だいたい「パーソン」か「パースン」か迷う時点で、日本語への導入は困難です。 ドイツ語になると、みなさんご存じのとおり同じ職種でも男女で名詞が変わります。 ドイツ語講座で必ず出てくるのが「der Lahrer」と「die Lehrerin」ですが、基本的には女性の場合には語末に「-in」が付加されることが多い。 「営業」はというと、「der Verkäufer」が男性で、女性ならば「die Verkäuferin」となります。 では、書類なんかで「男女問わず営業担当者全般」をさすときにはどうするのでしょうね? 複数形はそれぞれ「die Verkäufer」と「die Verkäuferinen」ですから、どこまでいっても男女の違いは残ります。「Ladies and gentlemen」とう具合に「Verkäuferinen und Verkäufer」というしかないのかな。これはこれで、かならず並列されるのならすごく平等といえるのかもしれません。 アメリカ流のPC表現も行きすぎると日本でいう「言葉狩り」みたいになっちゃいますが、だからといって男女ごっちゃにして「営業マン」が良いとは思えません。「営業」もしくは「営業担当」で、問題ないと思うんですが、なぜこの程度の言葉を、自分の中で修正できない人が多いのでしょうね。結局「営業は男の仕事だ!」という偏見があると思われても、知りませんよ私は。 あ、なんだか語学学習とは離れちゃいましたが、ご容赦を。 |
2009年11月17日 (火)
ご愛読御礼!100エントリ目です
開設11ヶ月目で このブログが「ゴガクルブログセレクション」の一員としてスタートしたのが、昨年(2008年)の12月12日、開設以来11ヶ月と少しになりますが、この記事が100エントリ目になります。 ちゃんと数えてないのですが、川本さんやmaringeさんよりはだいぶ少ないでしょうか。でもまあ、なんとかかんとか3桁に到達しました。数のわりに(あと字が多いわりに)参考になるような情報に乏しいブログではありますが... わりと器用な一方で何事にも飽きっぽく、子供のころから典型的な三日坊主だった私が、このブログセレクションに応募したときの最大の不安が「ちゃんと更新が続くか」でした。 スタート時にNHKエデュケーショナルの担当のかたから「週に2~3回は更新してね」という要望があったこともあり、早い段階で「更新する曜日を確定しよう」と心を決め、定着したのが「火曜日と土曜日」です。こうやって自分を縛れば、多少はマシだろうと思ったのです。 記事在庫は夏頃に払底! 上記の不安があったのと、ブログライターに選ばれた旨の通知から実際の開設まで一ヶ月くらいあったので、開設以前に多少記事を用意しておくことにしました。つまり、初期の記事はため込んであった在庫であったわけです。 おそらく12月中旬には、20くらいは在庫がある状態だったと記憶しています。これを適宜修正しながら更新していくという流れだったので、はじめの数ヶ月はあまり苦労がありませんでした。ネタはそれなりにたくさんありましたし。ひとまず半年程度はこれで乗り切れたのも、ここまで続けられた要因かもしれません。 その後もヒマとネタがあれば書きためておいたのですが、この「在庫」が本格的に切れたのが今年の夏休み頃です。 ここで週に二回の更新ペースを乱してしまっては、おそらく私のことです。あっという間に不定期更新になってしまっていたでしょう。ここはなんとか、毎週毎週なんとか記事をでっち上げつつ今日に至っています。もうすぐ開設1周年、「1年ももたなかった」ということには、ならずにすみそうです。 もちろん、続いているのは、ときおりコメントをいただくなど、「こんなモンでも読んでくださるかたがいるのだから」ということに尽きます。あらためてお礼を申し上げます。 書くことで学習も継続できる このブログに書いていることが誰かの役に立つということは、あまりなさそうですが(笑)、私にとっては大変役に立っています。 かよっている英会話教室や、ドイツ語の教室ではとくにこのブログについては知らせてもいないので、たぶんだれも私のことを知りません。職場でも、英語を始めるきっかけになった後輩以外には教えていないし、それほどは拡がっていないでしょう。 なので、「ブログ読んだよ~」といったプレッシャーは全くないのです。なので、直接に役に立つということではありません。 それでもここに書いていることで、「あー、めんどくさい、今日は英語(ドイツ語)の勉強やめちゃおっかなあ」などという気になった日でも、「いや、私はちっとも上達しないさまを日本中に公開しているのだった」と思えば、たとえ5分でも10分でも、なにかはやろうという気になります。しまいには、語学の勉強をしていれば何か書けるネタが見つかるかも、などと本末転倒なことを考え始めたり... まあ、理由はなんであれ、ブログを書くことが学習継続の原動力になることはたしかです。語学学習の経過をテーマにブログを更新しているかたがけっこう多いのですが、きっと同じような効果があるのでしょう。 また、こうして書きながら、同じゴガクルブログを毎日のように読むことで、自分の学習スタイルがたった一つのやり方ではないことに気付かされます。いろんな方法があって、それぞれに特長があって、しかも学習者それぞれの好みやの適性もあって... 私はわりと保守的で、良さそうな学習方法を見つけてもすぐに飛びつくということはしません。それでも「この学習法がよい理由はなんだろう?」などと考えることでヒントが出てくることがあります。もっとも、それが成果につながっているかどうかは、はなはだ心許ないのですが。 そんなわけで まあ今回は100回記念といいつつ、いつもにまして人の役に立たないことを書いていますが(笑)、今後もこんな感じで「とにかく多少しんどくてもちゃんと定期更新」という方針で参ります。 今後ともよろしくお願いいたします。 と、さすがにこれだけではあまりに情報不足なので、今読んでいる本をご紹介。 春先に書店の店頭で見かけて、しばらく迷っていたのですが、先週買って読み始めました。他の本も並行していたり、英文のビジネス書のサマリーを読んだりと途切れ途切れなのでまだ3分の1程度までしか到達していませんが、英語の進化と変遷、英語圏における出版文化など、英語学の研究を志しているわけではない私でも、雑学的な面白さで読み進められます。 タイトル:英語文化史を知るための15章 著者:武内信一 出版社:研究社(2009年4月) 古英語ってホントにドイツ語に似てるなあ、などと素人丸出しの感想を持ちながら読んでいるのですが、今の英国人にとっての古英語って、現代の日本人が源氏物語を読む程度には理解できるのでしょうか。もっと距離があるようにも思えるのですが。 過去の文献を読むとき、「その文が書かれたコンテクスト」「文が示す内容のコンテクスト」「文を読む今のコンテクスト」がそれぞれに異なる影響を及ぼし、異なる読み方を求めるというのは、普段忘れがちなことです。最近はネット上に「文章」があふれかえっていて、買った本でさえもさっさと読み飛ばしてしまいがちですが、じっくりと意味をくみ取りながら読み進めていこうと思っています。 この本で英語を読み書きする訓練になるわけではありませんが、「英語」という言葉とその文化に関心があれば、一度手に取ってみてはいかがでしょう。 |
2009年11月21日 (土)
würde~seinとwäre
いやはや接続法II式 「仮定法」ならまだしも、そもそもどうして「接続法」なんていうわかりにくい名前なんだ! などと八つ当たりしたくなりますが、もとが「Konjunktiv」なのだからしかたありません。 先日、ドイツ語教室はついに初級の最終ユニットに突入、お題は「接続法II式」です。 まあ、基本はわかります。なんどもいろんな本で勉強しました。 まずはいわゆる反実仮想です。 Wenn ich jetzt viele Zeit hätte, ich würde nach Deutschland reisen! (もしいま時間があったら、ドイツへ旅行に行くのに!) で、へりくだった丁寧表現。 Könnten Sie mir bitte Wasser bringen? (すみませんが、お水をもってきていただけますか?) 実際に会話でパッと出てくるか、あるいはわざわざこの表現を使う意図が聞き取れるかは別として、とりあえず「意味はわかる」という程度の「わかる」ではありますけど。 答えは一つじゃない たとえば「私は一人でいたいのだが」という表現を考えます。すぐに出てくるのは、こんな文になります。 Ich wäre gerne allein. でも、こんなのも可能ですね。 Ich würde gerne allein sein. はたまた、こういっても良いでしょう。 Ich möchte gerne allein sein. 3つめの「möchte」を使うのは、それがかなう可能性がけっこう高い状態でしょうから、「一人になりたいんだ」くらいの内容になるのでしょう。 では、前の2つはどうか。 教科書的には、「一人になりたい(でも、そういうわけに行かない)」もしくは「恐縮ですが、一人にしておいて下さい」といった内容になるはずです。どちらなのかは、この言葉が使われるコンテクストによるでしょう。 されば、「wäre」を使ったパターンと「würde ~ sein」を使ったパターンとの間に、意味上の違いはあるのか、ニュアンスの差はあるのか。 講師に質問した答えは「ganz gleich」(同じだよ)でした。あー、でもなんかスッキリしないんだよなあ...これって共通一次世代の悪い癖でしょうかね、はっきりとした答えが出てこないと気持ち悪い。 そりゃまあ、日本語で「一人にしておいて」「一人になりたいの」「私のことはほっといて」「そっとしておいて」などの表現が、「どう違うのか?」と問われても、困りますね。 「コンテクストによる」もしくは「だいたい一緒」としか答えられません。 なので、上記のパターンでも同じようなものなのでしょう。 仮にニュアンスの差があったとしても、初級クラスで教える範囲では、ないでしょうし(そんなこと考えている間に、形容詞の格変化をちゃんとおぼえろ! とかいわれそう)。 ああ、私はこのまま次のステップに突入してよいのだろうか、と「中級や、嘆息一つ冬の空」てなところです。お粗末様でした。 |
2009年11月24日 (火)
iPod touchを英語ブックリーダーにしてみる(もちろんiPhoneでもOK!)
いまさらながら... 突然ですが、みなさんは「青空文庫」をご存じでしょうか? まあ、かなりのかたが「Yes」ではないかと思うのですが、著作権の切れた作家の作品を中心に、作品を電子ブックとして公開している電子図書館です。 パソコンやPDA、携帯電話だけでなく、最近は電子辞書や携帯ゲーム機などでも読めるようになり、古典作品に手軽に触れられる貴重な存在です。 ところが、実をいうと私自身はここに所蔵された作品をパソコンやPDA(PalmやシャープのZaurusを使っていました)の画面で読み切ったことがないのです。 パソコンは「本を読む」には余計な誘惑が多いですし、PDAは電池の保ちに不安がありました。加えて、いまや「本を買うお金」よりも「本を読む時間」のほうが貴重なので、よりストレスの低い紙の本を読むのがずっと楽だ、ということもあります。 Amazonのソフトを使ってみる 2009年10月に、Amazon.comから電子ブックリーダー「Kindle」が世界の多くの国々に向けて出荷開始されたことは大きなニュースになりました。 英語読書派は大注目です、電子ブックリーダー(2009.10.10) これとあわせて、今月(2009年11月)にはKindle用のデータをパソコンの画面で読めるソフト「Kindle for PC」が無償で利用できるようになりました。 iPhoneとiPod touchで使えるソフトウェアは以前から公開されていました(日本のiTunes Storeからはダウンロードできませんが...)ので、Kindle向けの電子ブックは「Kindle」「iPhoneとiPod touch」そして「Windows PC」のどのプラットホームでも読めるようになったわけです(Mac用は準備中だそうです)。 さっそくPC用のソフトを設定して、Amazon.comで提供されている本のサンプルを読んでみました。機能は限られていますが、文字サイズも変更なども簡単で比較的快適です。 ただ、冒頭に書いたとおりの理由で、これで長い「本」を全部読むというのは、私にとってはあまり現実的ではないことに変わりはありません。 iPodで英文読書 次に、手持ちのiPod touchで試してみました。 とはいっても、「Kindle for iPhone」は日本では使えませんから、別の電子ブックリーダー「Stanza」をセットアップします。 最初から「Alice's Adventure in Wonderland」が入った状態でセットアップされますので表示させてみると、意外といけます。標準の白地では画面がまぶしいので、地の色を少し暗めに変えると目への負担も多少は軽減されるようです。 ちなみにこのソフトでは日本語も表示できますので、冒頭に触れた「青空文庫」の所蔵作品を読むこともできます(ただし縦書き表示不可、青空文庫向けのリーダーもありますので、無理して使う必要はないと思いますが)。 ネットワークにつながっていれば、iPod単体で(おそらくiPhoneでも)予め登録されているサイトから本を購入したり、あるいはパブリックドメインのものを(青空文庫と同じように)ダウンロードすることもできます。Kindle向けデータもかなりそろっているので、古典作品を読むだけなら、一切お金をかけないことも可能です。 このソフトをセットアップすれば、その日からiPhoneやiPod touchが電子ブックリーダーになるというわけ。もうちょっと早めにやってみれば良かった。 さて、何を読むか? わざわざコンパクトなiPodに入れて本を読むシチュエーションといえば、やはり通勤電車でしょうか。これなら駅に着いたらポケットに放り込めばOKです。 そして、通勤電車といえば、やはり貴重な学習時間! というわけで、読むのは英文。ただし細切れの時間だけに、長い本を読むというよりは、短めのものが良いでしょう。乗って30分40分かかるのなら小説に没頭しても大丈夫そうですが、私の場合15分か20分で乗り換えが必要なのです。 そこで最適なのが、ビジネス書の要約を送付してくれるサービス「Soundview Executive Book Summaries」のサマリーです。 このサービス(有料です)は300ページ内外のビジネス書の内容をレターサイズ(ほぼA4に近い)8ページにまとめてくれるもので、毎月2~3冊分が新たに追加されます。その名の通り、「忙しいExecutiveでも最新のビジネス書の内容を把握できる」というのが売り。Executiveではないけれど、本を一冊読み切るには英語力と時間が不足している私にもピッタリです。 しばらく他のものを読むのに忙しくしていてほったらかしていたのですが、気がつくと「Kindle形式」のデータでもダウンロードできるようになっていました。 ためしにパソコンで表示させてみると、ある程度読みやすくレイアウトされた状態で表示してくれます。A4で8ページというと、まあ通勤電車の往復を使えば読み切れるくらい(遅いですか? まあこの程度です)。 このデータを上述した「Stanza」のパソコン向けソフトウェアで読み込んで、ネットワーク経由でiPodに転送します。手順は下記のサイトにくわしく画面つきででています。 デスクトップ版 Stanza を利用して iPhone 版 Stanza に青空文庫を読み込む方法(Going My Way) 表示させてみた例がこの画像です。文字の大きさや行間、背景と文字の色などは簡単に変更が可能。読むときには画面の左右を触るとページをめくれます(中央部分を触るとメニューを表示させたり、今どのくらいまで読み進んだかを見られます)。 マウスやキーボードを使うよりも直感的な操作で読めること、そして通勤の1~2時間くらいの時間ならば電池の消耗を気にかける必要がないことなどが、iPodならではのメリットといえます。 意外といけるかも、電子ブック 専用の電子ブックリーダーは液晶画面ではなく電子ペーパーを使うので、より目への負担が小さいそうです。 また、画面自体も大きいので、より疲労は小さくなるでしょう。かなり読みやすくなっているとはいえ、iPodの小さな画面を続けて睨みつけていると、ちょっとくたびれます(英語だから余計にそう感じるのかもしれませんが)。 最近電車の中や街中で、着実にiPhoneやiPod touchを多く見かけるようになりました。また、他のスマートフォンを使うかたも増えてきているように思えます。 私は「携帯電話で読書」などと聞くと「あの『ケータイ小説』とかってヤツでしょ」と、ネガティブな印象が強かったのですが(お好きで読んでいるかたには申し訳ないのですが...)、iPodで専用のリーダーを使ってみて、これなら読書のいちスタイルとして行けるかも、と感じました。 なんでも、日本の電子書籍市場は2008年度で464億円、うち携帯電話向けが86%を占めるんだそうです(インプレスR&Dの調査より)。 なので、この記事自体は本当に「いまさら」なのではありますが、携帯電話の画面が大きく高解像度になり、読みやすく使いやすい電子ブックリーダーソフトを組み合わせることで、外国語の文章を読むことがもっと身近になっていくかもしれません。 電子ブックなら、いい年のオッサンが「不思議の国のアリス」や「秘密の花園」を読んでいても、周囲からはわかりませんしね(笑) あ、「秘密の花園」新訳版で買ったのに、まだ読んでないや。 |
2009年11月28日 (土)
真新しいテキスト
小中高校と 学校に行っていた頃、何がうれしいといって新学期に真新しい教科書を受け取るほど興奮した日はありませんでした。 これから一年間、使い続ける教科書にはいったいどんな内容が書かれているのか、もちろん授業など待ちきれずに、持ち帰ったその日のうちに半分くらい読み終えてしまうことも(もっとも、好きな教科だけでしたが)。 これは教科書に限った話ではありませんが、新しい本というのはまだ紙を裁断した切り口がくっついていて、ページを開くときにぱりぱりと乾いた音がします。ソフトカバーでも表紙がまだしっかりとしていてページにも開き癖がついておらず、あまり大きく開かずにそっと中をのぞき込むのがまたうれしいのです。 最近では「本を買う」こと自体がちっとも特別なことではなくなってしまいましたが、小遣いをやりくりしてやっと5〜6冊の文庫本を買っていた頃には、教科書といえど貴重な「本」のひとつでした。 何の話かというと 十代の頃の思い出話ではないのです。 ドイツ語の教室ですが、12月からいよいよ中級編、新しいテキストを使ってのレッスンが開始です。いかに不安な状態かについては、下記をどうぞ。こんなレベルで中級とは、さすがにマズイのではないかと思いつつ... würde~seinとwäre(2009.11.21) 使うテキストは、Hueberの「Schritte international 5」、レベルはB1.1、すなわち「ヨーロッパ共通参照枠(Common European Framework of Reference for Languages)」でいう「Threshold」です。 「Threshold」とは普段あまり使わない言葉ですが、「玄関の敷居」「出発点」といった意味。ちょっと長くなってしまいますが、Wikipediaの英語版から「B1」レベルの定義を引用すると、次のようになります。 Can understand the main points of clear standard input on familiar matters regularly encountered in work, school, leisure, etc. Can deal with most situations likely to arise whilst travelling in an area where the language is spoken. Can produce simple connected text on topics which are familiar or of personal interest. Can describe experiences and events, dreams, hopes & ambitions and briefly give reasons and explanations for opinions and plans. うーん、「Can deal with most situations」なんて無理無理。 英語ならばもう一つ上の「B2」くらいにひっかかる感じではありますが、ドイツ語ではスタートラインの「A1」をなんとか卒業しつつある程度、ではないかな。当面の私の目標は、英語で「B2」レベルは確実にクリアできます、といえる状態になること、そしてドイツ語では「B1」レベルに到達すること。 おそらくこの程度あれば、英語圏やドイツ語圏での旅行でなんとかコミュニケーションもできるでしょうし、多少のトラブルにも対応できるでしょう。 TOEIC何点、なんていうのでは英語でのコミュニケーション能力を測れるとは思わないのですが、ひとまずこの定義表を見ながら自分のレベルを推し量ると、まだまだ道のりは長いことが実感できます。 ま、外国語の習得なんて終わりのない旅なのだから、少しずつ前進すればいいとは思うのですけどね。 で、真新しいテキスト 今月まで使っていた「Schritte international 4」は表紙がオレンジでしたが、こんどはきれいな空色です。ページ数は184から180に少し減りましたが、何度も開いて閉じて使ってきたものと比べると、1割以上薄く感じられます。 当たり前ですがどのページにも書き込みがなく、心なしかページの地の色も明るいように思えます。 内容の難易度は...きっとあがっているのでしょうが、正直なところあまりよくわかりません。きっと実際に使い始めたら苦戦することでしょう。 テキストはAmazon.co.jpで2千円弱なり。「1点在庫あり」を買ってしまったので、いまは「2〜3週間以内に発送」になっちゃっています。 半年後、あるいは1年後、このテキストが、前のもの以上にぼろぼろになる頃には、いまよりももうちょっと語彙も増え、話せる事柄も増えているでしょうか。 |